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【おもしろいの正体:8】わかりにくいはわかりやすいよりおもしろい。

これ意味わかります?

(湿布薬のCM企画。30年以上前のもの…)

突然変なもの見せてすいません。
これは僕が新入社員だった頃に描いた
CMの絵コンテです。

実際のCMにはなってません。
プレゼンはしたけど通らなかった。
上司には褒められたけど。
そのくらいのレベルです。

多様化をテーマにしてたりして
なかなかに斬新ですが、
シュールですね。わけがわからない。

わかりやすいものは
理解は早いが残らない。

わからないものは
解決しないがずっと心に残る。

わかりやすいものは理解が早い。
当たり前ですね。

人はスッキリしたい生き物なので、
解決するとそれは快感です。
なので満足する。つまりそこで終わる。

一方わからないものは
自分の中で終わらない。

悪く言うと満足できない。
しかし後を引くとも言える。

あれ?これなんだっけ?どういうこと?
と、もう一回見たくなる。

「わからない」と
「わかりにくい」は
 ちょっと違う。

説明しようとしてるんですが、
それが下手だったり中途半端で
うまく伝わらないことがあります。

これはわかりやすいを目指して
「わかりにくい」を届けてしまった

ということ。

「わからない」はこれとは違って
そもそも説明という手段を使っていない。

かなり傲慢な考え方ですが、
受け手の感性を信頼して
思い切った伝え方をする。

わからないものを
楽しめる人の方が
レベルが高い。

あえて言い切ってしまいますが、
コミュニケーションとしては
わからないものの方が高級だと思います。

わからないものを楽しめる人の方が
レベルが高い。

絵画や音楽も説明されて理解はしても
それはわかったこととは違う。

そもそも説明とは
言葉に置き換える技術にすぎない。

感情を伝えるための道具、代替品。
説明なしで伝わる方が本来あるべきもので、
それができないからしょうがなく説明する。

何にでも説明が必要だと思うのは、
見る人を信じられていないから
です。

わからないを楽しむエンタメには
ココロの余裕が必要です。
だから最近減ってるのかもしれません。

じゃあわかりやすいものは
つまらないのかと言うとそんなことはない。
一瞬でわかる。考えなくて済む。
ストレートなおもしろさは王道です。

単なるおもしろさの種類の違いです。

そう考えると、アメリカのエンタメは昔から
わかりやすいものが多い。

成り立ちが多民族国家でいろんな文化があるから
最大公約数を取らないと伝わらない。

日本は単一民族で、独自の文化を持っている。
そのぶん深いけど、ガラパゴス化したりする。
またそれが個性になって…。

アニメなんかはそのいい例ですね。
ネットで世界の時差がなくなったことで
この特異性が武器になった。
映画やドラマでもこの流れはある。

なんか二極化してますね。
深いものはどんどん深く、
浅いものはどんどんペラペラに。

「みんなで見るもの」ほど浅い。

CMも含めてテレビで観るコンテンツが、
浅くなって歯止めが効かないです。

これには作り手が見る人を選べないという
テレビの特性が関係しています。

見る人のレベルが下がってるのかな、
と思ったりもするのですが、
人間は変わらないと思うので、たぶん、
届ける方がレベルの設定を下げている
ということだと思います。

メディアの広がりで興味が多様化したために、
興味が多民族国家みたいにバラバラになって

その最大公約数を取って、
誰もが理解できるものを作ろうとすると
下に合わせるしかない
ということだと思います。

ジャンルを特定することで
逆に異常に深く、マニアックになっていく
ネットのコンテンツとは真逆のベクトルですね。

情報が多いと
想像できない。

誰もがわかるものを届けようとすると
当然情報が多くなります。
結果、あの人に必要な情報が、
あの人には余計な情報だったりして、
だけどそれを削るとあの人にはわからないし、

みたいにどんどん膨らんでいく。
紫式部の衣装みたいな感じです。重い。

情報の多さは想像力を減らします。
想像するための隙間がない。

おもしろいと感じるための方法として、
意図的に情報が足りない状態にする
という方法があります。

という話を次回。

【おもしろいの正体:9】「足りない」がおもしろいを作る。

気が向いたら、また遊びに来てください。

いつも「おもしろい」を探してるクリエイターへ


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