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Vol.20_飢饉・疫病・戦争の3つを克服した人類が次に選んだ3つの問題とは?/サピエンス思索日記

この記事は、「サピエンス全史やホモ・デウスを読んでみたいけど、重たそうで、難しそうで、なかなか一歩踏み出せないな〜」という人向けに書いてます。そんな人に本著を読み始めるきっかけになってほしい。ザックリと要旨を掴んだ状態で読み始めれば、スッと内容に入っていけるように思うのです。

前回のVol.11から1年ぶりのサピエンス思索日記。どうして再開することにしたかというと、もちろんこの本が邦訳されて出版されたからですね。

「サピエンス全史」の続編とも言われる本著、あいかわらずハラリ氏の話はスリリングです。まだ上巻の前半ほどしか読めてませんが、今回は読みながら書いていくスタイルでいってみます。

↓今までのサピエンス思索日記はこちら。「サピエンス全史」について、2018年10月3日時点でVol.11まで書いてます。

「サピエンス全史」下巻の序盤をVol.11で紹介したきり更新が止まっていたので、その下巻の残りをあと8回分でまとめる予定として空白にしておき、続編「ホモデウス」の思索日記はVol.20から開始としたいと思います。まずは第1章から。


人類の対峙する3つのプロジェクト

ハラリ氏は20世紀までの人類にとって一番の問題だった3つ「飢饉」「疫病」「戦争」は、もうほぼ抑え込みつつあると言います。でも「ん?」と思いませんか?「いまだに世界中で飢饉も疫病も戦争も起きてるよ!?」という声をあげたくなりますよね。

その点も、20世紀の変遷を紐解くことで、実はこの3つはほぼ克服されつつあることを具体的・論理的に述べています。本著一発目の論点ですが、すでに常識がひっくり返るような事実です。この説明も面白いので読んでいただきたい。

飢饉と疫病と戦争はおそらく、この先何十年も厖大な数の犠牲者を出し続けることだろう。とはいえ、それらはもはや、無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではない。すでに、対処可能な課題になった。(P30)

そしてハラリ氏はこう続けます。

飢饉や疫病や戦争が減ってきているとしたら、人類が取り組むべきことのリストで、何かが必ずそれらに取って代わるだろう。(P31)

20世紀の人類が抱えてきたプロジェクトが解決に近くに従い、次に人類が夢中になるプロジェクトは何か。著者はそれは「不死」「幸福」「神性」の3つだと展開します。

この3つについての言及を余すことなくお伝えするには、本を読んでもらう他ありませんので、個人的に面白かった考察を少しずつご紹介することとしましょう。

僕たちは総力を挙げて、「死」という大敵と戦いつづける

まず「不死」について。不死なんて聞くとフィクションじみていて、現実味を持てないかもしれませんが、実は現代人はすでに「死」を技術的課題としか捉えていない、と著者は言います。

誰かが医院に行き、「先生、どこが悪いのでしょう?」と尋ねると、医師は、「ああ、インフルエンザです」とか、「結核です」「癌です」などと答える。だが医師は、「人はどのみち、何かで死ぬものです」などどはけっして言わない。だから私たちはみな、インフルエンザや結核や癌は技術的な問題であり、いつの日か、技術的な解決策が見つかるかもしれないという印象を持っている。(P35,36)

病気は克服すべきでも、老化は克服すべきでない、と思う人もいるでしょう。しかし、人類が共通のイデオロギーとして生命の価値を最上に置いている以上、老化も病気も、その克服に向けた歩みが止まることはないだろうと著者は続けます。

学校の教室も、議会の政治家も、法廷の弁護士も、舞台の俳優も。第二次世界対戦で採択された世界人権宣言(これは今のところ、世界憲法に最も近いものかもしれない)は、「生命の対する権利」が人類にとって最も根源的な価値である、ときっぱり言い切っている。死はこの権利を明らかに侵害するので、死は人道に反する犯罪であり、私たちは総力を挙げてそれと戦うべきなのだ。(P33)

今までは不死というゴールが遥か彼方にあったために、SFだねと笑い飛ばせていたものが、技術の進展が進むにつれて、いよいよ夢物語ではなくなってきている、という現実。そして不死に向かって歩み続けている結果として医療の発達があり、全ての不死へのアプローチは「医療技術の発展のため」という言葉に飲み込まれて、今後も止まることなく進み続けるだろう。

ざっくり乱暴に要約すると、上記のようにまとめられます。


僕たちの幸福感は謎めいたガラスの天井にぶち当たっている

2つ目のプロジェクトは「幸福」。飢饉や疫病、戦争をすべて克服しえたとしても、人類は幸福になれるわけではないという事実を、エピクロスやベンサムといった哲学者の言葉を借りながら説明してくれています。著者は、人類の幸福感はガラスの天井にぶち当たっており、真の幸福を達成するのは、老化や死を克服することよりも圧倒的に難しいだろうと展開します。

飢え死にしかけた中世の農民は、パンを一切れ与えられただけで大喜びした。だが、分不相応な高給をもらい、退屈した太り過ぎの技術者は、どうしたら喜ばせてやれるのか?(P48)

この問題に対する捉え方としては「ブッダ的な幸福観」「生化学的な幸福感」の2パターンが見られるようです。両者は、幸福を得るための手段として「快感」に注目しています。

快感は湧き起こったときと同様にたちまち消えてしまうし、人々は実際に快感を経験することなくそれを渇望しているかぎり、満足しないままになるという点に関して、両者の意見は一致している。(P58)

■ブッダ的なアプローチ
快感への渇望を減らし、その渇望に人生の主導権を与えないようにする。心を鍛錬すれば、あらゆる感覚が絶えず湧き起こっては消えていく様子を注意深く観察できるようになり、儚く無意味な気の迷いである快感を追い求めることへの関心を失う。

■生化学的なアプローチ
快感の果てしない流れを人間に提供し、けっして快感が途絶えることのないようにできる製品や治療法を開発する。


では、人類はどっちを選んでいくのか? 著者は後者を選ぶだろうと言い切ります。

今のところ、人類は生化学的な解決策のほうにはるかに大きな関心を抱いている。ヒマラヤの僧侶や浮世離れした哲学者が何と言おうと、資本主義という巨人にとって、幸福は快楽であり、そこに議論の余地はない。(P58)

だからこそ「幸福」こそが2つ目のプロジェクトになるわけです。

21世紀の2番目の大プロジェクトには、永続的な快楽を楽しめるようにホモ・サピエンスを作り直すことが必須のように見える。(P59)


ホモ・サピエンスをホモ・デウスへアップグレードする

ここまで紹介した「不死」「幸福」という2つの大プロジェクトが進んだ先に、第3のプロジェクトが見えてくると著者は続けます。

21世紀には、人類の第3のプロジェクトは、創造と破壊を行なう神のような力を獲得し、ホモ・サピエンスをホモ・デウスへとアップグレードするものになるだろう。(P64)

ここでようやく本著のタイトルが出てきましたね。「ホモ・デウス」。著者はそれを、ホモ・サピエンスがアップグレードされた先の種として表現しています。「不死」「幸福」に続いて3つ目は「神性」。人類は「神性」を得ようとするとみて間違いない、と著者は言い切っています。

唐突にこの引用だけ見ると、常軌を逸していて浮世離れしたイメージを持つかもしれません。ですが、この記事ではその詳細には触れずにおきます。というより短く要約するのが難しい(笑)。気になる方は、本著をぜひ読んでみてください。本のタイトルにするほどの言葉ですので、全編通してそのエッセンスが丁寧に書かれています。


以上、第1章のピックアップ紹介でした。1章だけでも内容が濃密すぎるのでぜひ1章だけでも見てもらえると面白さが伝わると思います。

また、「21世紀の人類は不死、幸福、神性を得ようとするだろう」という予測は、口にした時点でそれ以外の選択肢の可能性が一気に大きくなってしまいます。つまりは、歴史を知れば選択肢が広がるわけです。そのあたりの例え話もとても好きだったのですが、長くなるので今回は省きます。これもぜひ本著で。

「人間至上主義がどうして世界的な宗教になったのか?」

次章からはこの問いが非常に大切になってくるようです。お楽しみに。

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