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小説「モモコ」第2章〜2日目〜 【5話】

「はあ……」

 僕は大きくため息をついた。

 まさかモモコがここまで本気にしているとは思わなかった。

「なかなか大きな建物ね。私、ここに来るのは初めてだわ」

 天神駅からすぐ近くにある大きなホールのロビー。土曜日だというのに、ビジネススーツ姿の男女ばかりが行き交っている。エレベーター近くには立て看板が二つ並べられており、セミナーや学会の会場について無言で知らせていた。

 午後一時半にエントランスで待ち合わせると言い出した本人がまだ来ない。

 モモコはその建物そのものに興奮しているようで、ロビーを歩き回っていた。アクセスのよい立地に、会議室やホールなどを多く抱える大きなビルだ。僕は今朝近場のユニクロで買ったばかりのジーンズに黒いシャツを着ていた。昨日の肉離れが治っておらず、右足に重心を乗せた立ち方をせざるを得ない。

「おい、あんまり遠くに行かないでくれよ」

「わかってるわ。子ども扱いしないで」

 モモコは振り返って言った。

 まだまだ子どもだろうに、という言葉を僕は飲み込んだ。彼女は、もう自分は大人だと思っているのだろう。誘拐犯に追われても落ち着いて対処できる度胸や、並外れた頭脳だけを見れば、たしかに彼女はすでに大人以上かもしれない。

 でも、と僕は思った。

 大人びている彼女の言葉を聞くたびに、僕は言いようのない不安を感じるのだ。ピンと張り詰めた弦がいつ切れてしまってもおかしくないような、そんな不安を僕はモモコに抱いていた。

 あたりをキョロキョロしながら楽しそうに歩き回るモモコを見た。いったい彼女は、どこで生まれ、誰に、どのようにして育てられたのだろうか

「すいません、お待たせしました」

 エレベーターのある方向から、細身の青年が小走りに近づいてきた。

「会場設営の手伝いをしてまして。あれ、モモコちゃんは?」

 僕はその青年の顔を見ると、再びため息をついた。 今回わざわざこんな場所に来る羽目になったそもそもの発端は、まさに今、目の前にいる男にあるのだ。

「モモコ! レンくんが来たぞ」

 声をあげると、モモコがこちら振り返って駆け寄ってきた。

「お待たせしてごめんね、モモコちゃん」

「そうね、8分遅刻だけど、特別に招待をもらった側だし、今回は気にしないことにするわ」

「モモコちゃんは手厳しいね」

 レンは苦笑しながら返した。

「でも、今日は本当に来てくれてありがとう。昨日お二人のことを導師様にも話したのだけど、とても興味を持ってくれていたよ」

「それは嬉しいわ。わたしもその導師様に興味があるもの。それにしてもレンさん、昨日と格好が全然違うわね!」

 レンとモモコが談笑しながらエレベーターの方に歩き出したので、僕はそれを追いかけながら、レンの後ろ姿を眺めた。昨日ゲストハウスで会ったときとは打って変わって、グレーのカジュアルスーツを着こなし、長い髪は頭の後ろできれいに束ねられている。縦ストライプの入ったスーツのせいか、線の細さも際立っていた。

 布目レン。昨日出会ったばかりにも関わらず、僕の記憶喪失をチャンスだのと好き勝手にまくし立て、挙句にはセミナーに参加してみないかと執拗に誘ってきた細身の青年。

 何もかもに胡散臭さしか感じないため辟易していたが、なぜかモモコが食いついてしまったため、僕も付いて来らざるを得なくなったのだ。

 頭も要領もいいモモコだが、世間知らずなところはまだ子どもなのだと実感する。とはいえ記憶がない僕が頼りにできるのは彼女だけであることもあって、モモコが一人でセミナーに参加するのを見過ごすわけにはいかなかった。

 頭は切れるが世間知らずの10歳の少女と、少しばかり足腰が頑丈なだけの一文無しの男。一方は誘拐犯につけ狙われ、もう一方は記憶喪失で何も覚えてないという具合だ。そんな奇妙な二人がお互いに頼りあっているこの状況。

 笑うしかない、と僕は思った。

 そんな僕の笑みを見つけたレンが勘違いを加速させ、ますます得意気に語り始めた。

 ため息を出し尽くしてしまいそうだと、僕は思った。

〜つづく〜

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