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大人の自分探しトークログVol.1/将来のためにいまの楽しさを犠牲にするのは幸せなことなのか?

※いろいろな人たちと語り合いながら、そのトークログを書き起こして多くの人と共有する企画です。不定期開催でビデオチャットで遠方の人とも話せますので、興味ある方はご連絡ください。

いい大人が自分探ししたっていいんです。

わたしの幸せって何? わたしは何がやりたいの?
きっと誰もが、何歳になっても、人生について考えてるはず。

道端でふと遭遇した”問い”を見つけては、
ああでもないこうでもないと語り合う、大人の人生トーク記録(ログ)。

登場するのはどこにでもいそうな3人でありながら、
もしかしたらこの3人に投影されているのは、あなた自身かもしれません。

M:旅する活字好き女子。まだ小さい愛娘を子育て中。看護師から一転してWebのお仕事に。娘の写真をSNSにアップしがち。
K:旅するDIY系女子。地元宮崎でシェアハウス運営やWebの仕事をやったのち、東京で不動産のお仕事を始める。ついつい幸せを探しがち。
S:旅しない哲学系男子。気が付いたら勢いで宮崎にIターン移住。採用や広報の仕事に就く。そのまま嫁を呼んで結婚。意識高い系と言われがち。


お金で買わない生き方が将来の不安を小さくする?

M:わたし、最近消費しない生き方に興味があって。

S:消費しない暮らし?

M:うん、消費することにあまり魅力を感じないというか。マーケティングの仕事をしてるわたしが言うのもあれなんだけど(笑)

K:わたしもそれ共感なんですけど、環境は人を変えるな〜とも思って。宮崎から東京に行くと生活が全然変わりました。宮崎にいた頃は、自販機とかコンビニで飲み物を買うことすらためらうくらいの生活で、たまにコンビニで買うアイスコーヒーが自分へのご褒美!くらいな感じだったのに、東京に暮らし始めたいまはガンガンコーヒー買ってる(笑)

M:あーあ(笑)

K:たぶん宮崎という環境がそういう感覚にさせるのかな。

M:わたしはコンビニはふつうに行くんだけど(笑)、消費しない暮らしっていうのは、生活する上で自分でできる範囲が広がればいいのかなってこと。それこそ少しでも野菜を作って食べるとか、自分で生きていける力をもう少し広げれば、将来の不安ってどんどん減っていくんじゃないかな。

自分では何もできないからお金に頼って「消費する」ことで生活しているわけで、予想できない未来に対して漠然と不安になってしまうんだよね。でも自分で生きていける術さえあれば違うと思っていて、例えば自分で野菜を作らなくても、作っている人とつながって野菜をもらえる状況にして、物物交換できる相手を確保しとくとか。そういうつながりがあれば将来に対する不安要素が減っていくんじゃないかって。

S:お金で買うことで得るのではなく、それ以外の方法で買わずに得るということですね。

K:でも東京にいるとお金をかけないと何もできないところもあって。だって、河原でBBQするのに河原への入場料5000円とか、宮崎からすると意味がわからないじゃないですか(笑)

M:スピードの差もありそうだね。都会とかでは、お金を払えばパッと手に入るスピード感が重要なのかも。時間を買うという感覚かな。

S:でも、いまの時代だからこそ、消費しない生き方ってすごくいい気がします。

M:なんでそう思うかというと、この前トークイベントに参加したときに、ヤドカリっていうメディアをやっている人たちの話を聞いたのがあって。日本の小屋ブームを先駆けした人たちなんですけど、家を小さくして生活をスモールにすることが幸せにつながる、と話していて。ミニマルライフを実践しながら生活しているみたいで。

S:家を小さくする?

M:例えば、一生懸命働いてお金を貯めて、何十年ローンで家を買ったとして、子育てが終わり子供が出て行ったあと残った家はどうなるのか?最終的に自分が死んだときに子供はそこに住むのか?といった視点から住む場所を考えたときに、そんな場所は必要ないんじゃないかって想いで始まったそうで。

いまの時代は、何かを管理するとか要らないし、完成系を求めるんじゃなくて、途中の経験にこそ価値を置き始めているから、自分で0から作ることで幸せを感じることができるという考え方なんだよね。

S:たしかに、自分で作ることで、できたものにも愛着を感じますね。

M:そうそう、で、生活費を下げてミニマルな生活にすることで、将来の不安が減っていくっていう。


将来のためにいま我慢するのは幸せなことなのか?

S:逆にKさんは都会に移動して少しそういった生活から離れてしまってたりするんじゃないですか?

K:わたしは・・・都会にきて、自分の幸せを最近探してますね(笑)。
例えば以前宮崎で働いていたときは、毎日会社にくることも幸せだし、好きな宮崎で暮らせるし、とにかく毎日が楽しかった。ただ「果たしていま楽しいことが幸せなのか?」「いま楽しいだけでいいのだろうか?」という気持ちがあって転職したんですね。

でも、いざ都会にきてやりたい別の仕事を始めてみると「いまこのときが楽しければそれでいいんじゃないか」と考えるようになってきて。

宮崎にいたときは「いまは楽しくなくても将来楽しければいいや」という思いがあったけど、いまとなっては逆の考え方で。正解はわからないけど「いま目の前の幸せを手放して大変な思いをしても、”将来はきっと楽しくなる”ってずっと思い続けるだけなんじゃないか?」って。

「じゃあ、最終的な幸せって何なの?」というところを考えないとなっていうのがいまですね。

S:たしかに「いまは我慢しているけど、将来を含めたらきっと幸せだ」って思って我慢ばかりしていても、きっとそういう我慢する状況が永遠と続くだけな気がする。

K:まあ、いま我慢しているそのさきに何か得たいものがあって、そのために我慢しているなら構わないけど、それもわからないのにやり続けても意味ないなって思う。

S:僕も以前は「成功したい、もっと成長したい」っていう思いが強かったんですけど、最近は「成功って何? 何のために成長するの?」というふうに「成長したい」とばかり思う自分に腹立たしさすら覚えてきて、もうそんな成長ばかり求めるのは違うなと。

もちろん成長しないと前には進めないし、結果的に成長していくんですけど、それは「必要なスキルがあったら身につければいい」程度のものであって、目標に掲げたり欲しがったりするものではないよなぁと。

人生を考えたときに、必要なのは成功でも成長でもないな」と思うようになったから、「いまが楽しいことが大事」という考え方はわかる気がする。

K:うん、成長とかのさきに何があるんだろうなって。そのこと自体を楽しめる人ならいいんだけど。

M:そうだね、その成長の過程を楽しめるんだったらやっている意味があるね。

K:だらだらと何も考えないでやり続けるのは違うなと。

M:やっぱり「自分は何がしたいんだっけ?」って定期的に考えるじゃん。で、すごいいいことを言ったらさ、「世の中のために社会のために自分にできることをやりたい」ってチラッと思うこともあるんだけど、実際どうかと言われれば、家でダラダラしたいなぁって思う(笑)

S:そういう気づき、すごく大事ですね。家ってすごくいろんな意味があると思っていて、ヤドカリの人たちのようにミニマルな家というのもあれば、だらだらできる場所という意味での家もあると思っていて。

僕は結婚するまでは家をただ寝るための場所くらいにしか思ってなくて、家に対して特別な思いはなかったんですけど、いまは寝るための場所じゃなくて「帰る場所」だなって感じていて。

M:だいぶ変わったね。でもね、それからちょっと安定してくるとね、このままじゃだめだなって思うようになってくるんだよね。毎日すごい幸せだからここにいるのは心地良いんだけれども「もうちょっと頑張ったほうがいいんじゃないの?」って、自分自身から問いかけられるタイミングがくると思うよ。そしてそれをまた繰り返していくんですよ(笑)

S:なんか、悟ってますね(笑)

M:あ、でも、悟ったらだめだね。わかった感じになったらだめ。

K:悟らずに、常に何か探しているというか、そういうの大事ですよね。


今日はここまで。
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