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小説「モモコ」第3章〜3日目〜 【13話】

 雉谷はタブレットを操作すると、とある写真を表示させた。

「ルンバ、もう一度聞くけど、あなたの本名は?」

 急に記憶の話題に変わったようだ。

「名前? だから僕には記憶がないので、何もわからないんです」

「そう、じゃあ、この写真のはわかる?」

 雉谷は淡々と続ける。

 画面に示された写真には、三人の人物が写っている。中心に立つ若い女を挟むようにして男が二人。三人とも白衣に身を包んでいて、三人とも医者か、研究職だろうと推測できた。

「誰ですか? この人たちは」

 そう尋ねながら、僕の目は右側の男性の顔に釘付けになっていた。この顔は、どこかで見たことがある……。

「ルンバ、あなたはこの三人を全員知っているはずよ」

「え?」

 たしかに、この男は、自分がよく知っている人物である気がする……

「ねえ、あたしは? 知っている人いるの?」

「そうね、ミンジョンは、一人だけね。真ん中のこの美人な女の人は知っているはず」

「え、誰? 全然わかんないんだけど。まさかママとか言わないよね?」

 リリカはけらけら笑いながら言った。

「あら、センスがいいわね」

 雉谷が口角を釣り上げる。

「ええっ、ほんとに?」

 リリカが甲高い声を上げた。

「ねえルンバ、この真ん中の人、ママだって。そんなの信じられる?」

 隣でリリカが騒ぎ立てているのはわかっていたが、僕は返事をしなかった。いや、正確には、返事をする余裕がなくなっていたのだ。

「ちょっと、ルンバ?」

 自分の呼吸が荒くなっていくのを感じた。頭のなかに自分の部屋があって、その部屋の本棚もクローゼットも、挙句にはカーペットすらひっくり返されて、何から何まで引っ掻き回されているような感覚。ひどい頭痛が押し寄せるともに、一人の男の顔が脳裏にフラッシュバックする。

 この写真の右側の男は、そうだ、この人は……。

「やっぱり。あなただったのね、犬養くんの息子は」

 脳裏にフラッシュバックのように瞬いていた画像が急に色を帯びて鮮明になっていく。

 犬養? 息子……?

 僕はそう口にしようとしたが、脳みそをかき回すような頭痛がして、呼吸もうまくできない。ゼエゼエと息悶える僕を見て、リリカが心配そうな顔をしているのがわかった。

「少し休みましょう」

 雉谷が静かに言った。こうなることをわかっていたといったとでもいうように、冷静な物言いだった。

「少し荒っぽいやり方になったけど、思い出してもらわきゃいけないわ。あなたには、あまり時間がないのだから」
 

 意識が朦朧としたまま、30分ほど経っただろうか。ようやく気分が冴えてきた。僕は畳の上に転がったまま、天井を見上げていた。

「どう? 気分はよくなったかしら?」

 雉谷はまだ机の上のタブレット画面を見つめていた。起き上がって見回すと、リリカの姿がなくなっていた。

「リリカは帰ったわよ」

 心を読むかのようにして雉谷が答える。

「あの子、モモコちゃんを助ける準備をするって張り切っていたわね。ふふっ、いったい何をどうする気かしら?」

「助ける? 警察には通報していないんですか?」

「そんなのとっくにに通報しているわよ。モモコちゃんの素性がわかった昨日の夜の時点でね」

 雉谷はつまらなそうに答えた。

「私が通報したときはもう、警察はモモコちゃんのことを知っていたわ」

「え?」

「ヤクザ組織に追われていた浦島桃子は、碧玉会に保護してもらったから大丈夫だって言われたわ」

「碧玉会に、保護……?」

 不安そうな表情の僕を見ながら、雉谷は黙って電子タバコを吸っていた。

「そんなむちゃくちゃな! モモコは碧玉会に誘拐されたんですよ?」

 僕は気がつくと声を荒げていた。

「そのとおり。誘拐されたのは事実よ。わかるでしょ? ルンバ。私たち相手にしているのはそういう連中よ」

「警察もグルだっていうんですか?」

「この地域の警察に権力を持った会員がいるんでしょうね。実際にモモコちゃんがヤクザみたいな男たちに追われていたのは本当なんでしょう? コネさえあれば、これくらいの嘘なら簡単にでっち上げられるでしょうね」

 そう言って雉谷は電子タバコを机に置いた。

「さて、ルンバ。記憶は取り戻せたのかしら? あなたはそこから始めないといけないわ」

「いえ、何も」
 僕は先ほどの男のことを思い出しながら、白い天井を眺めた。

「あの男に見覚えがあることは確かなんですけど。でも、僕の記憶とモモコの誘拐、いったい何が関係あるんですか?」

「ええ、深く関係があるの。少し、昔話になってしまうけれど」

 雉谷は静かに語り始めた。

「ルンバ、いえ、犬養ヒトシ君。もう20年近く前の話よ。私はね、あなたが生まれたときから、あなたを知っているわ」

〜つづく〜

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