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第26回:脱トップダウンの鍵はタコ。タコになろう。

個人的にすごい気付きだったので書き記しておきたいと思います。あとで紹介するwiredの記事が良すぎて考え込んでしまいました。

どうしても世に受け入れられにくい考え方があるなと思う時に、その理由はもしかして僕ら人間の身体イメージにあるんじゃない?という話です。

トップダウンは人間身体的に自然

軍国主義よろしくの戦後から、ゆくぞ高度成長モーレツサラリーm...の近代まで、わりかし世の中を動かしてきたのはトップダウンの組織運営だったように思います。

トップダウンとは何かというと、基本的に組織はヒエラルキー型のピラミット構造で、人やチームを1単位とすれば複数単位の上に別の上位単位があり、それがどんどん上に伸びて最終的に中枢となる単位に辿り着くような図になります。

つまりは、人間の身体と同じで、脳となる存在(ブレーン)がいて、そやつが右手に「あれを掴め!」とか、両足に「歩け!」とか、右眼に「ウインクしろ!」とか、そういう命令を出しているわけです。

もうおわかりのように、トップダウンという構造は「脳とその他身体」という身体の構造と酷似していて、というより同じで、自分の身体と同じ構造だから、僕らもイメージしやすいわけです。

組織やチームも擬人化(擬「人間身体」化)して考えればいいわけですから。

擬タコ化して考える

一方で、最近話題のティール組織やホラクラシー組織は、なかなかイメージが湧きづらい。なぜなら、それら自律分散的な組織構造は、身体のそれとは全く構造が違うからです。

それらの構造は、絶対的に上位な存在がおらず、誰かの指令によって動くわけでもありません。逆に個々の単位がそれぞれ思考し、全体的に利となる方向をベクトルを向けて動いている。つまりは、個々の単位に脳も身体もある独立した構造です。

これは人間の身体とは全然違う。僕らの右手が考えて物を掴み、両足が歩きたいと渇望して一歩踏み出し、右眼が口説きたいと燃えてウインクをかます、という説明をするわけにもいきません。

つまり、ティールやホラクラシーは擬人化できない。

そこで、ひとつおもしろい記事があります。

ここで語られているのは、人間の身体ではなく、タコの身体として考えると、自律分散的なイメージを持ちやすいという話です。

ところがタコの場合は、神経系が身体に分散して存在しているため、脳と身体の区別は明確ではなく、改めて「心身問題」として扱わなければならなくなる。
しかも、神経系の分布が分散化=「脱中心化」されてしまっているため、あるとすればその心も、身体全部から立ち上がるものとして想像できてしまう。
心のありかを、心臓(ハート)なり脳(ブレイン)なり、とにかく身体の特定部分に局在化させて捉えてきたヒトならびに脊椎動物とは、全く異なるイメージを描く必要が出てくる。

髪の毛から足の指先まで全身に「心」がある、という感覚は人間には持ちにくいでしょう。だから、自律分散的な考え方に一定の抵抗を感じたても仕方ないように思えます。

でもだからこそ、人間は自らの身体イメージを超えた考え方を獲得しようとしているとも捉えられて、そういう意味でも、自律分散型の社会への移行は、非常にチャレンジングだなと思います。

もちろん、言わずもがな、自律分散型の社会にするは、色々課題もあります。文化醸成や共通のベクトルは必要でしょうし、情報をオープンにする仕組みやもっとコミュケーションしやすいツールが欲しいですし、そもそも会社組織ではできて国家規模で適応できるかまだ謎です。だからこそ擬タコ化した思考で考えて整理するのが大事そうだなと。

今回はティールやホラクラシーなど組織の話を引き合いに出しましたが、「中央集権→自律分散」の流れはもっと大きな潮流でして、ブロックチェーンや小さな経済圏、ポピュリズムの限界などなど兆候は見えて来ている気がします。

新しい考えを受け入れにくい時はタコになろう

まとめます。

何か受け入れにくい考えがあるとき、あるいは受け入れてもらえない考えがあるとき、もしかしたら人間身体に寄り過ぎたイメージ偏向によって、頑なになっちゃってるかもしれません。

そんなときは文字通り柔軟に、「僕はタコなんや」と頭を切り替えることで、もしかしたら新しい発見があるかもしれません。

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!