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小説「モモコ」第2章〜2日目〜 【9話】

「なあ、本当に大丈夫なのか?」

 リリカが連れてきたのは、天神の北側、親富孝通りの路地裏を進んだ先にある、寂れた古いオフィスビルだった。中州のゲストハウスから歩いて30分。歩くにはそれなりに長い距離だったが、リリカは平然とした顔つきで、白いヒールをカツカツと鳴らしながら歩いていた。

「さっきからぐちぐちと、うるさいなぁ」

 リリカはそうぼやくと、ろくな説明もないまま、ビルの階段を昇り始めた。

 ここまできたら黙ってついていくしかない。リリカは階段をカツカツと上っていく。エレベーターのあるビルにもかかわらず、5階まで階段を上ぼることになった。華奢な見かけによらず体力があるもんだと僕は少し感心した。

5階まで上ると、目の前に自動ドアが現れた。そこでようやくリリカが足を止めた。

 ドアの上部には『雉谷整形外科』と書かれた看板が、病院らしい淡白な雰囲気を主張していた。

「おい、探偵事務所じゃなくて、整形外科じゃないか」

「ママがいるといいんだけどね」

 リリカは僕と会話する気は一切ないらしい。

「ねえ、ママいるー?」

 自動ドアをくぐったリリカが声をあげる。

「あら、ミンジョン?」

 受付の奥から歩いてきた女性が返事をした。

「ついこのあいだ直したばかりでしょ? 今日はダメよ」

 年齢は40代前後か、もっと高めかもしれない。濃い化粧がさらに年齢をわかりづらくしていた。着ている白衣は新調したばかりなのだろうか。汚れ一つない真っ白な白衣が異様な存在感を出していた。少しパーマのかかった黒い髪を肩まで垂らしている。

「ママ、わかってるって。今日は違う用事」

 ミンジョンというのが、リリカの本名だろう。名前からして韓国籍だろうか。

 受付にはスタッフの姿もなければ、待合室にも誰一人いなかった。今日は定休日なのだろうか。僕は閑散とした待合室を見回した。

「あら何? 男連れじゃない。この前の男はどうしたのよ?」

 リリカの後ろから入ってきた僕に目をとめたママが茶化すように言った。

「ああ、あの弁護士ね。事務所の経営がよくないらしくて、最近羽振り悪いのよね。あとは手切れ金だけね」

「またローンで宝石でも買わせる気?」

 ママが呆れた声で返した。

「宝石は前の男にもらったからね。今回は時計にしたいんだけど、買い渋っているのよね、あいつ」

 リリカは待合室の椅子に腰掛けると、スマホをいじり始めた。

「あ、そう」

 ママは僕にちらっと目を向けると、不機嫌そうに訊ねた。

「じゃあ、あなたは何なのかしら?」

圧の強い口調に、あ、ええと、と僕は口ごもってしまう。

「客よ。客」

 リリカが吐き捨てるように答える。

「ママ、人探しを頼める?」

「あら、そういうこと?」

 ママはそう言って受付の奥のほうに入っていた。

「ちょっとルンバちゃん、ぼーっと突っ立ってないで」

 状況が飲み込めていない僕が入口の前にずっと立っていたせいで、後ろの自動ドアが意味もなく開閉を繰り返していた。

 僕はリリカの座る横長で簡素なソファに、リリカと二人分ほどの距離を開けて座った。

 どうしてリリカはこの病院に連れてきたのだろうか? ママと呼ばれる女性との会話から察するに、おそらくリリカはここの常連客なのだろう。

 ルンバはあまりに整った顔立ちのリリカの顔をもう一度眺めた。どこからどう見ても、整形された顔だ。

 そういう意味では、ここは、リリカをリリカたらしめた場所、とでも言えるかもしれない。

「ちょっと、そこのお客さん、こっち来てくれるかしら?」

 そのことについてリリカに話しかけようと口を開きかけた矢先、受付の奥からママと呼ばれる女性が顔を出した。

「え? いや、僕は客じゃ……」

「いいから行きなさいよ」

 リリカがスマホから目を外してルンバに言った。

「ミンジョン、探偵を紹介してくれるって話じゃないのか? 整形外科なんかに用はないんだよ」

「あら、ミンジョン、あなたの連れてくる男はいつも失礼な物言いの男ばかりね」

「大丈夫よ、男はみんなわたしにはやさしいから」

 リリカはスマホから顔を上げずに返した。

「いや、そんなつもりじゃ」

 僕は弁解するように、ママと呼ばれる女に言った。

「僕はただ妹を探しているんです。リリカさんに探偵を紹介してくれると聞いてきたんですけど、何か誤解があったみたいですね。僕はもうこれで帰りますね」

 僕は早口でそう言い残すと、自動ドアのほうに足を向けた。

 まったく、無駄な時間を過ごしてしまった。モモコは誘拐されたかもしれないというのに。

「ちょっと待って」

 リリカが声をあげた。

「リリカって何? わたしのこと?」

 リリカが笑っていた。

「あ、それは……」

 やらかした。リリカは僕が勝手に付けた呼び名だ。本名はミンジョンなのだ。

「何? 勝手に名前つけてたわけ? きゃははは、超キモいんですけど」

 リリカは甲高い声で笑っている。その高い声もリカちゃん人形っぽい気がするから困ったものだ。

「あ、わかったわ!」

 ママと呼ばれる女性がニヤつきながら言った。

「リアルリカちゃんかしら? リアルなリカちゃん人形。略してリリカね」

 リリカが急に笑うのをやめた。表情のない顔でルンバを見つめている。

 まずいことになった、とルンバは思った。リカちゃん人形みたいな整形ですね、なんて、少なくとも褒め言葉ではないだろう。

 狭い待合室に、沈黙が流れた。

 ルンバはどんな顔をしていいかわからず、また自分がいまどんな顔をしているのかもわからなかった。

「きゃははははは」

 甲高い笑い声が沈黙を破った。

「何焦ってんの? わたしが怒ると思ったの? ねえママ、いまの見た?」

 リリカはルンバに向かって指を差しながら笑っている。ママと呼ばれる女性も同じように笑っていた。

 さらに嫌気が差してきたので、黙って病院を出ようと再びドアに向かって歩き出した。どうにも、ふざけた連中だ。

「ちょっと待ちなさい」

 ママと呼ばれる女性が言った。さきほどの笑いを堪えるように声が震えていたが、その声には相変わらずの圧があった。

「探偵ならいるわ。妹を見つけたいんでしょう?」

〜つづく〜

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