「エモい」はインスタ文化によって生まれた感情の入れ物になっているのかもしれない

「エモい」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

InstagramやTwitterで日本の若者たちが使い始めている若者言葉である。EmotionのEmoをとって、感情的に心が揺れ動くような心情だったり、それを誘発するものだったりを「エモい」と呼んでいるわけだ。

例えば

ライブやコンサートに行った感想だったり、

AIのシンギュラリティがエモかったり、もはや何でもありである。ヤバい、ナウい、といった言葉の延長上にあると考えてもおかしくはないだろう。


エモいの定義

三省堂の「今年の新語2016」では第2位にランクインしているほどで、このように定義されている。

エモ・い 2 (形)〔emotionを形容詞化したものか〕 〔音楽などで〕接する人の心に、強く訴えかける働きを備えている様子だ。「彼女の新曲は何度聴いても━ね」
「エモい」は、感動・寂しさ・懐かしさなど、漠然としたいろいろな感情表現に使われます。古代には、これとほとんど同じ用法を持った「あはれ」ということばがありました。「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超エモい」と表現するはずです。、これとほとんど同じ用法を持った「あはれ」ということばがありました。「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超エモい」と表現するはずです。

(引用)http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo2016/2016Best10.html

「エモい」=「あはれ」と考えるとたしかに納得できる。
徒然草を初めて読んだとき「なんでもかんでも”あはれ”って言っとけばいいと思ってんのかよ」と正直感じたものだが、それと同じ類なわけである。


インスタ文化が生みだした言葉

では、なぜ「エモい」という言葉が生まれたのだろうか?
単純に、ナウい、グロい、というように、英語と混ぜてそれらしい言葉を作ってみただけなのだろうか?

言葉の生まれた背景を考えるとき、「なぜその言葉が生まれたのか?」という問いを立てるが、
これは、

「その言葉がなければ表現しきれない気持ちを感じる人間がいて、その気持ちが非常に多くの人々に共感されうるものだった。その気持ちとは何か?どのようにして生まれた気持ちで、どこが新しいのか?」

という問いに置き換えたほうが考えやすい。

つまり、「エモい」という言葉がなければ表現しきれない気持ちを若者たちが感じるようになったのだ。
そしてその気持ちを生まれた背景には、SNSの普及が影響し、もっと率直に言えば、Instagram文化が「エモい」を生んだと言えるのではないだろうか。


Instagram文化とは何か

Instagram文化の考察はまだ深堀が足りていないが、今のところ、筆者が考えるところでは、従来のSNS文化(特にTwitter文化)を前提として、日本においては主に3点挙げられるように思う。

1、解像度よりも世界観・雰囲気が大切

これは言わずもがな、今までのSNSになかった独自の世界観(ブランド)をまとっているのがInstagramというSNSである。

だからこそ、アプリのアイコンが変わっただけで、ユーザーは大きく困惑してしまった。好きなブランドのロゴマークが変われば困惑するのと同じような反応を見せてしまったのだ。

Instagramに写真をあげるユーザーは、写真を加工することが多い。その際、古っぽい加工、粗めの写りに見える加工にすることも多いように思われる。これは、”ノスタルジーな雰囲気が「エモい」”という若者の感性の表れかもしれない。

高度成長期を終えて成熟社会になった日本を生きる若者にとって、解像度が高いこと、つまり最先端であることだけがクールだとは限らなくなっているということでもある。「価値となりうる”手間”や”無駄”」があると考えているところだが、それはまた別の機会に整理してみたい。

2、独自のハッシュタグ文化と検索文化

例えばこちらの記事を読むと、独自のハッシュタグ文化が広まっているのがわかる。
これらのハッシュタグを用いた検索文化も大切な要素だ。例えば「渋谷 カフェ」という同じキーワードでも、Google検索で見つかるのは食べログやRetty、ぐるなびのページばかり。一方でInstagram検索では、その投稿写真や一緒にタグづけられている人物まで見つけられる。また、ハッシュタグで検索すれば、ちょっとした感情もすぐに検索ベースに乗せることができる。

この”ちょっとした感情”を表現するのに、「エモい」という言葉がしっくりきたのだろう。ユーザーは、少なくとも写真を撮影してInstagramにUPしたいと思うくらいには、感情が揺れ動かされている。けれども「感激!」「すごい!」というほどのものでもない。そんなときに「エモい」という広義的な言葉が便利になるのではないか。

3、質の高いセルフブランディング

facebookとInstagramの違いはここにある。そして、エモいを生みだした文化もこれに起因すると筆者は考えている。

facebookとInstagramの違いはこの記事に詳しくあるので参照してほしい。

facebookもInstagramも、友達にいいねをしてほしくて投稿することに変わりはない。だが、Instagramは独自の世界観があるために、”不用意にダサい投稿をできない”という暗黙の了解が流れているように思われる。

そのため、「写真を撮ったからInstagramにあげてみる」という状況はあまり考えにくい。なぜなら、なんとなく撮った写真では、Instagramの世界観に合わないことが多いからだ。一方でfacebookやTwitterではそういった世界観縛りがないため、UPすることにさして問題はないだろう。

そうすると「InstagramにUPするために写真を撮る」という状況が生じる。必然的に、おしゃれに見える写真、クールに見える写真を撮ろうと努力をする。世界観に合うものを撮ろうと探すだろうし、そう見えるように撮影を工夫したり、写真加工を施したりする。
そして最終的に出来上がった写真は「Instagramの世界観に合った写真」になる。そしてその写真にはきっと 「 #エモい 」とハッシュタグがついているのではないだろうか。

「エモい」は、Instagram文化で生まれた感情の入れ物になった

Instagramの世界観に合った写真を撮ろうとした結果、その写真を形容する言葉が見つからなくなり、その感情をうまく代弁してくれたのが「エモい」という言葉だったのではないか。

というのが、今回の考察から生まれた仮説である。もちろんTwitterでも多く見られるが、文化として影響したのはインスタなんじゃないかなと感じている。

主観的で、多少乱暴な議論をしているのは重々承知しているが、一考に値する内容でもあるのではと思う。

テクノロジーの発達によって新しい体験が生まれるたびに、人間は新しい感情を手にいれることになる。その感情をうまく表現する言葉がないとき、広義的な若者言葉が、その感情を収納して形容する入れ物として作用するのではないだろうか。

テクノロジーや産業の発達と、新語・流行語の変遷を追ってみたら、意外と面白い関係性があるかもしれない。今度調べてみたい。



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