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第31回:全体最適より優先されるwillが見つかるとき

全体最適ばかりを考えて仕事をしていました。
例えば同じ業務で自分より長けた人がいれば、「僕がやるよりその人がやったほうが合理的だ」として僕はその業務をやりませんでした。逆に自分が長けた業務があれば「これは僕がやるほうが早い」として巻き取ることも多かったと思います。

(もちろんストレッチした仕事を人に振ることもあったし、その人の成長込みでの全体最適を考えていたから、そういう仕事が振れないとかの話ではないです。)

全体最適を考えて仕事するのはおそらく「正しい」し、実質それを強みに働いてる自覚もあります。ただ、ふと、僕は気付きました。

全体最適ばかりを考えていては、想定通りの範疇から出られず、みんながびっくりするような仕事はできない。ということに。

全体最適を考えるのはもちろん大事。ただ、全体最適な解をわかっているのを大前提として上で、

「僕はこれをやりたいからこれをやる」
「この仕事の経験積みたいからやらせてほしい」
「この分野はまだあなたより能力低いけど、いずれ追いつくので自分にチャンスが欲しい」

といった自分の「will」を前面に打ち出すこと。そしてそのwillを軸に、全体最適な解から多少逸脱してみせること。

もちろん短期的に見れば、全体最適でない手法だし割り振りなのでマイナス成果が残るでしょう。調子づいて挑戦した挙句、全然ダメな結果で大失敗、も十分にあり得ます。

でも、自分のwillに基づいた挑戦には、その先があるのです。なんというか、その幅が違うのです。

・willを持って臨むからこそ得られる新しい発見がある
・willを持ってるからこそ成長が早く、それこそ全体最適に寄与する。
・現場に立って経験すると、実は全体最適だと思っていた解が間違いだと気づくことがある

そういった、想定し得ないプラス成果がもたらされるのだと思います。

ただ、何も全体最適を考えずに自分のwillばかりを優先させるのは単なる身勝手。そんな人は思考が足りないので、その挑戦から得られる成果も少ないでしょう。

大事なのは、全体最適を考え尽くした上で、自分のwillを基にあえてそれを逸脱してみせること。そこに、想定外の新しい価値を作り出すヒントがあるように思ってなりません。

(ここで問題になるのは、仕事においてwillを持ててない人もいるということです。どうしたい?という問いに答えられない問題が存在しますし、よく耳にします。これの原因は主に、そう問われた経験がないからだという仮説があるのですが、それはまた別途検討したいなと)

全体最適を考える思考力と自分のwillに誠実である感性。そのバランスなんだろうと思う朝です。

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!