美術館

2023秋の一人旅 1日目 その1

・新幹線を降りるとそこは、人の海です。
三連休を待ちわびていたのは、なにも私だけではありません。ロッカーはどこもいっぱいで、とうとうあきらめた私は、2泊分の荷物と映画を観る用のパソコンが詰まったリュックを背負って、美術館までのこのこ歩いていくことを決めました。

・「スケートボード禁止」と壁いっぱいに書いてある公園で、青年3人組が爽やかに板を蹴って漕ぎ出しました。滑っていく先、くぼんで薄暗い広場の中央で、親子が無表情におにぎりを貪っています。草むらの方、波を模した白っぽい椅子には、退屈だと顔いっぱいに書いてある男性が、木々の隙間から零れ落ちた光の中に身を投げ出すように座っています。
立体的に組み合わさった高速道路のせいで公園は端から端まで薄暗く、そこを抜けていくと健康的な並木道に出ることができました。心なしか私の足取りも軽くなって、それから春と見間違えるほどに光あふれる川を超えていくと、細身の建物が立ち並ぶ間にどかんと黒い箱が置かれています。どこか場違いに感じられるそれが、私のお目当ての美術館でした。

・どうしてここを訪れたかったのかというと、私の敬愛する、モディリアーニの作品が待っているからです。私は彼の作品を観るたびに、胸に空いている小さく複雑な形をした穴に、繊細なピースがぴったりと嵌るのを感じます。今回の旅の真の目的地はここではありませんが、わざわざ電車を降りて、この足ではるばるやって来たのです。

・美術館のカウンターでは、特別展のチケットしか売っていませんでした。特別展を見さえすれば常設展へと部屋が繋がっていて、その小部屋で、私はとうとう彼の作品に対面することが出来る。そう好意的に解釈した私は、ほとんど踊るような足取りで入場ゲートをくぐりました。

・ところが、嫌な予感がします。一つ、また一つと展示室を進んでいくうちに、どんどん入口のほうへと戻っていくのです。入口へ戻れば、これ以上展示室はありません。
しかし嫌な予感と同じくらいに、運命とも言える出会いに心が震えていました。奇抜な画風で知られたその画家は、その実誰よりも古典によく学び、常に新しい手法を追い求めたのです。大袈裟なほどコミカルな表情で描かれる動物たちですが、それらは自然の理から外れることのない正確な形で把握され、その観察力と写し取る画力に衝撃を受けました。それは画家が積み重ねてきた努力の結晶です。
一方で最近の私はどうでしょう。忙しそうな顔ばかり覚えて、本当に毎日真剣に生きていたでしょうか。真面目にしているつもりでも、いつもどこか上の空で、仕事のつまらなさを言い訳に日々を何となくやり過ごしていたように思います。
ああ恥ずかしい。何がモディリアーニが待っているだ。そんなお前を待っているモディリアーニなんて、いるわけがありません。あらゆる汚れを落としてから、冬将軍の訪れる頃にでももう一度出直しなさい。

・画家の師は何よりも写生を重要視し、どこへ行くにもスケッチブックを持ち歩いて、偶然の出会いを見逃さないよう描き留めたのだといいます。絵に落とし込む手さばきもそうですが、なにより一瞬の出会いに気付ける感性の鋭さ。それこそが今の私に欠けていて、より研ぎ澄ますためには、私はもっと、孤独になることが必要なのかもしれない。
そしてそのことを身体が感じ取って、いつの間にかこうして一人旅に出ることになったのでしょう。身体は私に嘘をつきません。

・ショップではモディリアーニの絵葉書だけがなぜか半額になっていて、いても経ってもいられなかったので、抱きしめるように5枚お持ち帰りをしました。

これがこの一人旅のはじまりです。

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