#4お父さんは怒ったぞ
前回までのあらすじ
恥ずかしがり屋の目立ちたがり屋の三井聡は日本大学芸術学部、俳優志望。
芸祭をきっかけにダンスと出会った。
初めて通ったレッスンで気絶し、2回目のレッスンで頭まっしろ。。
しかし、目立ちたい思いで始めたダンスにいつしか踊りたい気持ちが芽生えた。
そして、大事な決断を彼はしたのだ。
レッスンを受けながらも三井聡の大学生活は続いた。
学校では芝居の授業があり、創作実習という授業もあった。
創作実習というのは、芝居の舞台を学生だけで創作して、発表をする授業だ。
僕の役は産婦人科の先生で、きれたら泣きながら暴れるという、エキセントリックな役だった。
まず産婦人科で男の先生という設定が共感を得られないと内心思いながらも、泣きながら暴れるという表現をしたくなかった。
もっとカッコいい役が欲しかった。
三井聡はカッコつけたかったのである。
そして同時にダンスのレッスンにも通っていた。
昼は芝居で泣き暴れて、夜はダンスでカッコつける。
対局な表現をしていく毎日。
一日の中に二種類の表現方法が混在すると、やはり比べる対象となってしまう。
正直、三井は芝居に対して違和感を感じていた、もちろん俳優志望だけあってかなりの熱量を注いだ。
・セリフの練習中に、その場で友達を呼び出し、セリフを聞いてもらったり。
・フラミンゴの役があった時に上野動物園のフラミンゴの前で5時間観察したり。
・1年生の授業だけでなく、2年生の授業を聴講しに行ったり。
(ちなみに現在ミュージカル、宝塚歌劇団の歌唱指導で引っ張りだこの山口正義さんが当時2年生の授業を担当してました。)
後に僕が宝塚歌劇団の初振付の時の歌唱指導が山口正義さんで、演出が同級生の演劇学科劇作コースの野口幸作君だと、この時1ミリ、いや!
1ミクロンも思いませんでした。。
日毎に泣き暴れるよりカッコつけたい気持ちが大きくなっていきました。
芝居をする事というよりも、踊る事の方がしっくり来る日々。
そして、彼は決意しました。
大学を辞めてダンス一本で行こう!って、、
当時学費は親に払ってもらってました。
そして、学校に近い新所沢に一人暮らしをしていて正直助けてもらってました。
大学を辞めるって親が聞いたら何というか、、、
僕は両親の事をお父さん、お母さんと幼少から呼んでました。
・お母さんは僕の決めた事に何も言わず見守るタイプ
・お父さんはすごく厳しいタイプ
新所沢の駅から実家の横浜に向かった。
一応大事な話しは面と向かっての方が良いと思い、、、
電話であらかじめ、話がある家にいてくれ。と伝えた。
横浜に向かう道中、話し合いをするというより、辞めた報告をしに行くぐらいに気持ちは固まっていた。
実家に着き、久しぶりの食卓に腰を下ろし、あのセリフを言うだけだ。
「大学辞めたい」
このセリフが言えずにもじもじするのが、だいたいの黄金パターン。
三井聡にパターンはない。
痛いスペックは#1 でお伝えした通り。。
事後報告する様に、「大学を辞める」
と言った。
両親は驚いた。
と、いうのは、元々大学に入った理由は高校3年の1学期に親に俳優をやりたいって伝えたら、日芸入ったら良いわよって言われ、偏差値が低い高校だったが、もう勉強の末合格したのだ。
その過程を知ってるので、さとしがとぼけたのかと思った。
両親「え?」
聡「大学を辞めたい」
両親「は?」
聡の心の中「確かに辞めるだけじゃ、そうなるよね、理由を言わなきゃ」
聡「ダンサーになりたい」
両親「ん?」
聡「大学を辞めたい」
両親「で?」
聡「ダンスをしたい」
お父さん「あ?」
日本語の1文字クエスチョン返しに怒りが入ったのが「あ?」だ。
そして、二言目
「お父さんは怒ったぞ!!」
三井聡vsお父さん
三井家の歴史的事件簿の三本の指に入るくらいの戦いが今始まろうとしたのだ。
三井聡の退学という名の正義とお父さんの在学という名の正義がぶつかる。
人と人がぶつかるのは、だいたいがお互いの正義がぶつかる。
争い事の両者の共通点は今よりもより良い状況にしたいという思いだ。
お互いにぶつかりそうになったら相手の正義を少し理解しようとすると、関係性が一気に和む。
共存繁栄である。
次回は正義vs正義の物語
続きはまた明日!!
最後まで読んで頂きありがとうございました!!
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