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生成AIとおいらの考えについて。

皆さんお久しぶりです。吉武哲です。

今回は生存確認として生成AIに対するおいらの考えを炎上覚悟でお伝えしようと思う。ちなみに上の絵はAIの絵じゃなくて自作です。

おいらが生成AIと出会ったのは今から3~4年ほど前である。その頃の生成AIは言われた通りに描こうとしているが描かれたものがぐにゃぐにゃしたものだったり形が崩れたような絵しか描けていなかった。それを見たおいらは「今は駄目だろうけどこれでいやらしい絵が描けたら自分で描かなくて済むから最高だよな」などという明らかにスケベないかがわしい思考を持っていた。しかしそのようなあったらいいな的思考はここ一年で現実のものとなるほどの目覚ましい発展を遂げた。

去年のころから絵師の絵を真似た本物そっくりのイラストが登場し、中国ではAIの描いた漫画なんかも出回るようになってきた。そして現在のAIイラストはぐにゃぐにゃな部分も無くなりぱっと見人間が描いたのかと思うほど精巧に作られているのだ。おいらは自分の絵よりも上手くてショックを受けた。苦労もせずに作られた絵がおいらよりも上手いなんて・・・と。でもおいらはふと思った。

生成AIってカメラやデジタルイラストと同じようにひとつの技術じゃないか!

18世紀の西洋ではカメラの出現で画家は職を失ったように思えたが画家は印象派に代表されるように自由に空想や内面の世界を描くことを選んだ。
そして近年デジタルイラストの普及によって今まで以上に漫画やイラストの制作の効率は良くなりデジタルでイラストや漫画を描くクリエイターも増えた。ならば生成AIは絵を描けない人々が言葉を入れるだけで好きな絵を生成できる救いのようなツールのなんだとおいらは考えを改めることにした(AI絵に反対する絵師さんたちには申し訳のないような気もするが)。

だがやはり一番不安なのは生成AIに絵師の仕事が奪われるということだろう。でもカメラが発明されても画家は生き残って空想の世界や自然の風景を描く人だっていたしデジタルが普及しても尾田先生のようにアナログで描いている人は大勢いる。だからこそAI絵が普及しても人間の絵師がお役御免になることはまずないだろう。逆に温かみや人にしかできない絵柄や描き方が求められるようになるとおいらは思う。競争が激化するからこそ絵師さんたちは声を上げているのだろう。

おいらはAI絵にも絵師さんたちの意見にも反対でもないし賛成もしない。ただおいらが言いたいことはただ一つ。

AIや人間問わず創作する者たちに幸あれ。


そんな感じで今回は締めくくろうと思う。では、また。


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