「おとな」と呼ばないで

大人というものは、曖昧な定義だ。
「仕事をしている」とか、「物事をフカンして捉えられる」とか、「わがままを言わない」とか。
その人その人の中にある"理想"が、大人というものなのかもしれない。

「きむらくんは大人だね」
周りの人によく言われる。もちろん肯定的な意味で、決して皮肉ではないと思う。

それでも僕は嬉しくない。

何故ならそれを言われている時やその事柄は、
僕がぐっと自分を抑え込んでいる時だから。

僕より歳が上の人がお金にだらしなかったり、
本当はいやでいやで仕方ないのに依頼を引き受けたり、
譲りたくないものを譲ったり、
泣きそうなくらい悲しいのに明るく振舞ったり。

やらなければいいのに、大人という周りから与えられた「えらい僕」を手放せずに少しずつ自分自身に傷をつけていく。
でもその痛みに見合っただけの瞬間的な快楽は感じられる。
でもそれはものの数分のこと。
ドラッグみたいに、また「大人だ」と言われたいがために、
我慢し、引き受け、譲る。

時折、こんな自分に嫌気がさして気まぐれにわがままなんか言ってみると、
「後から言われても困るんだ、子供じゃあるまいし」と一蹴されてしまう。

僕は僕の中の子供をずっとずっと閉じ込めたまま大人のベールだけを身にまとってしまった。アダルトチルドレンだとかそんな大仰なものではないけれど、
今、確実にひずみが生じていることを感じている。

このズレから一歩でも離れられるように、
とりあえず今から少し高いアイスでも買ってやろうか、と思う。

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