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手放す と 諦める。

「断念するのではなく、違う選択をするために身軽になる。」


『手放す』と『諦める』。

同じような言葉だけど、僕のなかでは違うニュアンスを含んだ言葉である。


手放す … 持っているものを自分の手もとから放す。⇒ Let go of

諦める … とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。⇒  give up


手放すことは諦めることではない。(ただ、諦めることは手放すことでもあるのかもしれない。)


例えば … うーーん。

目指していたことがうまくいかなかった時に、バスケットのピボットをするように、縦に積み上げるのではなく横へと活路を見出していく。

縦に積み上げてきたことを『手放す』わけだが、横へと展開することで発展を目指すので『諦める』わけではない。


目的が縦に積み上げることであれば『諦める』ことでもあると思うが、目的が積み上げた先にあるものであれば、ピボットすることは『諦める』ことではない。…そんなことを思う。




以前『継続を美徳とする強迫観念』というタイトルでnoteを書いた。


継続という美徳に縛られ、手放せずにいる人が多い。

その価値観を否定しているのではなく、『目的』をどこに設定して、それに対して "どのような生きかたを望んでいるのか" というところが(僕を含めて)ぼやけてしまいがちだからだ。


夢を追い続ける姿は美しい。
夢を諦めてしまう姿は、時に惨めだ。


(僕は諦めの姿も美しいと感じる)  


そんな意識のなか『美しい姿を追い続ける』が目的になってしまうと、『夢を追い続ける自分』を追い続けるわけであって、『夢を叶えるため』の手段を選ばなくなってくる。


そもそも、夢ってずっと変わっていないもの?

実はピボットしたところにあるものかも?
そもそも優先順位が変わってきているかも?


幸せになるため…が自己の最大の目的で仮にあるならば、幸せになる要素は変化していくかもしれないし、それに合わせて手段も変化していくだろう。

それは『諦める』ではなく、ピボットするための『手放す』行為だ。


諦めないために、手放す。




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