一方向の想いの蓄積は、ときに人を不健康にさせる。
今日こんなツイートをした。
『旦那さんの【家のことが分からない】問題』
TV番組で話題になっていたわけではないし、結婚はおろか恋人さえいない僕の話でもないし、周りの人の愚痴や相談でもない。
ただ感じていたことが頭に浮かんだ。
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ここ数年、僕は旅をする日々の中で、様々な人の習慣や生活を垣間みてきた。そして、共に生活をさせてもらう経験もあった。
ケンカばかりしている夫婦や本当に仲のいい夫婦、細かいルールに基づいて生活している家族や何となくのフィーリングで上手くやっている他人の集まり、コミュニケーションが少なくすれ違い、寒さを感じる空気もあった。
色んな人と共同生活をし、新しい環境でゼロから分担や共有を始める日々を数年間繰り返してきたなかで学んだことは、『(初期の、そして日々の)コミュニケーション』にある程度の労力をかけるべきだということ。
冒頭のツイートでいう『家族内での役割や分担』の話もそうだが、ベースとなる日々のコミュニケーションなく、「ただ期待する」とか「ただ我慢する」とか‥。そんな一方向の想いの蓄積って、人を不健康にさせるし無駄でしかない。
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仕事でも共同生活でも一緒で、『自主的に』や『主体的に』の言葉と同列で、ビジョンや全体像をある程度共有できていないと、『ただ動く』では期待する行動はお互いにとれないし、そもそもすれ違っていては仕方がない。
ベースになる部分を先ず共有して、その後もアップデートし続けるコミュニケーションをとること。
「こうしてくれると嬉しい」とか「こういう環境を目指したい」とか、その都度、布石を積み重ねていきながら『輪郭』をゆるやかに共有したり、
「これにはこれを使う」とか「これはこうやって管理する」とか、そのための具体的な手段も、双方向で納得・協力してゆるやかに共有できてくると、だいぶストレスは減りそうなものだ。
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僕は『自由で自分らしいこと』にとても価値を感じる人間だけど、そのための【前段階】の蓄積… (たとえば環境づくりや関係づくり、共有や技術や思想) にも強く必要性を感じていて。
守破離じゃないけど、【前段階】をすっ飛ばして分かり合おうとかする人種に、たまにウンザリしてしまう。
そもそも やすやす と分かり合えないし、それでも何かを共にする関係を目指すなら、お互いを尊重し合えるコミュニケーション、自らを深め伝えるスキル、近づこうとする姿勢や仕組みは必要なんだと思う。
【前段階】を端折って蓄積する関係のモロさに、もう少し目を向けた方がいい。
『線で長く関わり続けることを諦めない』
そんな人生を目指したいからこそ、ゆっくりとお互いを認識し合ったり、コミュニケーションを通じて自分らしさを尊重しあい、協力し合える関係性を増やしていきたい。
執着心がないとすぐ諦めてしまうから‥執着することの重要性もやっぱり感じるんだよなぁ。
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