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「古書を買う」と、いうこと。 夏目漱石「漾虚集(大倉書店)」

ここに一冊の古書がある。
夏目漱石「漾虚集(大倉書店)」である。以前、地方の古書店で見つけ手に入れたものだ。

一見して「だいぶ古そうな本ですね」と、いう佇まいをしている。奥付けを見てみよう。発行は大正六年。そう、今から100年以上前の本になる。ご高齢である。ちょっと力を入れて開くと、バラバラになってしまいそうな気配がある。

この古書を開くと、中に新聞の切り抜きが折りたたんで挟まれていた。すでに端の方から劣化が進み、指で触れるとボロボロに欠けてしまう。慎重に開いて眺めてみる。おそらく、前の所有者が挟んだものだろう。裏面の記事に「大正八年」と記載されていたので、この書籍を購入した数年後に挟んだのではないかと思われる。

この本を手に入れる時に、古書店の店主から前の所有者に関するエピソードをいくつか伺った。個人情報に関わることなので、それについてはここに書かない。ただ、そのような話を聞く度に「古書を買う」ということは、品物を所有するだけではなく「以前の持ち主の、人生(のようなもの)」を引き継いでいくのだ、ということを考える。

縁があって私のところにやってきた本を、私が引退する時に「この本は、地方に出かけた先に、偶然飛び込んだ古書店の店主と話が盛り上がって、譲っていただいた本なんだ」などと、少しばかり自分のエピソードをつけくわえて、次の世代に渡していきたい。そんなことを考える。

人の手をわたり、物語をのせ、つながっていく。

本は情報を伝えるもの、である。情報が得られるなら、紙でもデジタルでもなんでも目的を達することができる。でも。そう、でもしかし、古書には人の手を渡っている物語があり、それをつないでいこうとする想い(のようなもの)が加わっていく。それが「紙」である限り、時間と共に劣化が進み原型を保つことは困難になる。しかし、そこには新しい物語が加わり豊かさを増していく。

そんな世界があるのだ、ということを読者のみなさんにもお伝えしたくなって、この記事を書いてみた。


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