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知らぬ間にとらわれている枠

今日、「本づくり」や「本の流通」について、すごく熱いお話を聞かせていただいた。

例えば、ドイツでは、書店員がプロとして職能学校で教育を受ける。すべての書店員がプロであり、目利きだ。本の価格は高い。けれど、日本と同じくらいの市場規模がある。売る人がきちんと売り、買う人がきちんと買う。その仕組みができている。

他にも、日本の書籍では当たり前になっている「カバー」と「帯」。
海外の書籍で一般的なペーパーバックには、そんなものはついていない。なぜ、日本ではついていて、海外ではついていないのか。
それは、日本では、本は「返品されるもの」だから。返品された際に、付き物といわれるカバーや帯は巻き直されて、新品さながらとなり、また新たな書店に送られていく。
そもそも、「返品はされんぞ!」という方針であれば、カバーも帯もいらない。

こうした話を聞いていて、「枠にとらわれたくない」「枠を超えて」と言い続けていた私も、いつの間にか「枠」の中で生きていたにすぎないのだ、と気づかされた。出版業界に生き続けてきたからこそ、本当は当たり前じゃないことが当たり前になってしまっていた。

「枠にとらわれない」という生き方には、そのための意識が必要だ。でも、意識だけでは不十分なのだ。
意識とともに必要なのは、「枠」の外に出る行動力であり、他の世界を学ぶ勇気だ。

同じ枠内で話していることは、時に気持ちいいことがある。前提は揃っているし、内輪ウケみたいなものもある。「新刊しか売れないもんだ」とか「希望冊数から数量調整されて届くもんだ」とか、そんなことを言い合って、ビールを飲んでいると、ちょっとスッキリするかもしれない。
でも、それでは間違いなく何も変わらない。

特に私は、毎日同じ食べ物を食べることが割と好きだし(朝:チョココロネ→昼:担々麺 を一ヶ月とか過ごせる)、ずっと同じ曲をリピートして聞いている(中島みゆき)とかも好きである。つまり、どちらかというと、結構型にはまり安い人間だと思う。だから注意が必要だ。いつの間にかできている枠に敏感でなければいけない。

私は出版業界が好きだし、本が好きだ。
出版業界には変わった人が普通の社会よりも多いところも気に入っているし、一冊一冊に「もしかしたらめちゃくちゃ売れちゃうかも」みたいなドリームがあるところもオモシロイ。

でも、ここらで大きな「変わる」流れがくる。

これまでの「日本の出版」を否定するのではなく、「アップデートする」道を私は探りたいし、きっと探っていくことが求められている。
今回は出版業界のことを考える中で思い至ったけれど、知らぬ間にとらわれている枠に敏感でありたいというのはすべてに共通することだ。そうでないと、ジリジリと自分の周りの囲いは迫り、いつの間にかすごく狭い枠の中で息をしているだけ……、なんてことになってしまうかもしれない。

それは可能性を狭めることであると思うし、無限に広がるこの世界を楽しみ尽くせないことになる。「出版」をもっと楽しむために、枠を超える勇気と行動力を持つ。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。