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「自分を生きること」に、焦点を当てる

「ひきこもり」の方々が、気になること。
「自分探しの旅」に出る人たちに対して、「そんなもの探しても意味ないよ」と言い切れないこと。
それは、私自身が彼らと同じような思いを抱いているからなのではないかと、思うようになった。

ひきこもる人々も、自分探しに出る人々も、皆「自分とは何者か?」という問を突きつけられて、一般的な社会で生活し続けることがままならず、部屋にこもったり、旅に出たりする。
こもることと、旅に出ることは、まったく真逆の行動のようで、その根にある「問」は同一のものなのではないかと、思う。

では、ひきこもらず、自分探しの旅にも出ていない「私」は、問に対して何をしているか。
それは、ひたすらに文章を書いている。
ライターとしての商業用の文章ではなく、このnoteのように昔の自分と遭遇するような、あるいは自分の知らない自分を見つけるような、そんな感覚の文章を書き続けている。

私はnoteを「誰のために書いているか?」と問われれば、「自分のために書いている」と回答せずにはいられない。
noteをはじめたばかりの時は、「教育でもっと役立つ情報をお届けしたい!」「ライターになるにはコンテンツを充実したい!」と思っていたのだが、結局noteを開くと「自分とは何者か?」を綴り出す。
(「役立ち系の記事」も、覚悟を決めてジリジリ書きたい。)

結局のところ、「なんでも書いていいよ」というフリーな状態に置かれると、私は「自分とは何者か?」を発見するための文章を書きたいのだと思う。我ながら、なんとも自分勝手な話なのだが。noteをはじめて、そんな自分に気づかされた。

noteは、私の精神安定剤というか、マインドフルネスの効果をもたらすものというか。「自分を生きること」に、焦点を当てるのに必要なものとなっている。

2018年noteに出会えて、よかった。たぶん少しだけ、「世の中」というものの中で、呼吸をするのが楽になった。来年は文字を通した私の問はどんな変容を遂げるんだろう。少し怖くて、大いに楽しみ。

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