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京都を離れても俺がいるところが京都だ

今から5年前、2019年の3月30日に京都に引っ越してきた。京都という土地に一切の縁がなかった。本と服とやる気だけがある殺風景な部屋から、僕の一人暮らしは始まった。

それから5年が経ち、大学を卒業し、京都を離れて東京で働くことになった。京都という土地に育ててもらった5年間だった。

牛乳石鹸、ひろうす、かしわ、きずし、鯖ずし、愛宕神社の火の用心の札。

鴨川、大文字山、比叡山、大原、京見峠、逢坂峠、琵琶湖。

コンパクトな京都の隅々まで思い出が沁み込んでしまっていて、その土地を離れる感傷に気持ちが振り回されている。前しか見ないように、振り向かないように加速していかないと京都の盆地の重力に囚われてしまいそうだ。

飲み会の後、木屋町の駐輪場で駐車券をなくしたアホがいたなあとか。
バイトの後にシャッターが下りた錦市場をのんびり漕いで帰るのが好きだったなあとか。
どうしようもないぐらい落ち込んでいた時期に浄土寺の歩道橋から白川通を眺めたなあとか。

忘れられないような一日もたくさんあったし、どうしようもない一日もたくさんあったし、そのすべてを受容してくれるような京都の懐の深さに、何回救われただろうか。

はい!ということでね、京都を離れる大学生の感傷のお手本のような文章を書いてしまいました。お恥ずかしい。だいたいそんなに京都が好きなら住み続ければいいじゃあないのよ。結局なんだかんだ理由をつけて東京に行くんじゃないですか。住民税も払わず、学生時代の気楽さで京都にフリーライドしてそりゃ楽しいでしょうよ。

そうです。めっちゃ楽しかったんです。京都で過ごしたこの5年間が。京大を選んだ高校の時の自分に何度感謝したかわかりません。
ですが、僕は、「ああわが心のふるさと京都よ」などとのたまい、定期的に京都に帰ってきて懐かしむだけで終わる気はさらさらありません。

京都が遠いならば東京を京都にしてしまえばいいじゃない

そうなんですよ。東京しんどい、おもんない、京都帰りたい、京都は良かった、そういうお前が一番おもんない。絶対なりたくない。それならまだ港区で寿司にキャビアを載せて腕時計と写真を撮るほうがマシです。下品ですが潔さがあるので。
とはいえ、東京には東京の文化があり、良さがあり、良くなさがあるので、そこを楽しまず、分析せずに京都ナイズすることもまた良くない。

京都で居心地よく楽しく過ごすことが出来たのは、画一的な価値観がなく、オルタナティブを認めるノリが共有されていたことが大きいと思う。何者になってもよいし、何者にならなくても良かった。

たとえば電車内の広告もそうだ。東京の電車の「英語やれ」「痩せろ」「脱毛しろ」「中学受験」などの「資本主義社会にとって価値ある人間であれ」というメッセージは発信され続けている。僕は電車内でみすず学園の広告を見るとホッとするのだが、それは意味が解らないからだ。なんだ怒涛の英語って。
関西の電車は「京阪乗る人、おけいはん」「ひらパー」「○○展開催」など、お上品でメッセージ性が強くない。いいですね。

ということで、東京で資本主義的枠組みから外れた、何かオルタナティブで面白いことをして遊んでいきたいなと考えている。

農村から人口が流出し、農と食が分断されてしまった都市部で餅つきイベントとかしたい。就職先の会社の屋上で勝手にはつか大根とか育てたい。

一方で、自分は(無事卒業できれば)東京でコンサルとして働くのだが、資本主義的枠組みの中でしっかり勝ちたいという決意もある。勝てていない、儲かっていない状態で「オルタナティブなことに価値があるよ」と言っても負け犬の遠吠えになってしまい、説得力がないからだ。
バンバン働き、価値を出し、競争に勝ち抜き、その上で王道から外れた事をしていきたい。そういう決意表明だ。

環境が変わり、立場も変わり、やって行けるのかという不安もある。でも自分が京都で過ごした5年間の密度と自己の成長は、心から信頼できるものだと思う。立ち返る場所があることのありがたさを噛み締めつつ、東京でカマしていきたい。

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