「私語り」で連発される「私」って、誰?

蔦屋さんで2度ほど目にとまってパラパラめくって立ち読みというか、立ち眺めしていた本。昨夜、家に連れて帰ってきました。

ねぎトロアボカド丼がメニューにあったら避けて通れないのと同じくらい、こういう文房具関係の本や特集に弱いワタクシです。


のだけど、、、
読んでいたら、この本の「構造」に対する違和感が、どうしても気になって気になって仕方なくて、それっていま私が取り組んでいる仕事でぶち当たってる課題に通じてるなあと思ったので、書き残しておくことにしました。

書き手のプロフィールと「私語り」の相関関係についてです。


この本ですが、総分量の約半分を占める第1章で、無印良品のいろんな文房具が紹介されています。そして、この原稿が一人称の原稿なんですよね。

私が学生時代に流行ったこの商品、とか
私が好きなのは、この部分、とか。
仕事柄、私はここが気になる、とか。

でも、この「私」の名前が表紙にはない。つまり、著者ではないので、一瞬「私」って誰? ってなるんですよ。

よくよく見ると、1章の扉に、小さく取材執筆された方(文具ソムリエールという肩書きの方でした)のクレジットとちょっとしたプロフィールが入っています。
でも、年齢はわからないし(原稿には、世代の話がたくさん出てくるのにも関わらず)、この方と無印良品との関係性もわからない。

単なる商品紹介の取材記事であれば、ここまで違和感は感じなかったと思うのだけど、「私」という主語が連発される、いわゆる「私語り」で、その方の想いがつまった原稿だったので、その「私」の顔がいまいち見えないことがとても気になりました。この文具ソムリエールという書き手さんのバックボーンがわかれば、もっと原稿を楽しめただろうなって。

(さらに言うと、3章と4章は、また別の方が執筆されているらしく、それぞれプロフィールが載っているのですが、こちらは三人称の記事で、ご本人の感想や意見は一切出てきません。__開発者の苦労を書き添えながら商品紹介していく、とても気持ちの良いステキな文章でした__。でも、そうなると逆に「築20年のマンションに夫と子ども2人で暮らしてます」のようなライターさんのプロフィールは必要なのだろうか? という気がしたんですよね)

つまり、1章はコラム仕立てで、3、4章は取材まとめ記事にも関わらず、書き手のプロフィールの扱いが同格だったことが、私が違和感を感じた理由だった、ということに気づきます。

この違和感を言語化しておこうと思ったのは、最近、自分自身が依頼される原稿において、この「私語り」の難しさをよく感じるから。

私語りで始まる記事は最近よく見かけますし、ずいぶん増えたように思います。(特にウェブ記事で)

自分の立ち位置を明確にした書き手が商品や出来事対して語る文章は、そうでない文章に比べて読みやすく感じる人が多いようです。それは、読者にとって、その書き手の物の見方が、ひとつの「物ごとの捉え方」の指針になるからだろうと思います。
また、これだけ情報が多い時代、「誰が」書いているのかは、そもそも読むかどうかを判断する基準にもなりますから、私語りで書いてほしいというご依頼が増えるのもわかります。

ただ、「私語り」って、書き手がどんな人なのかがわかってこその、私語りだと思うんですよね。
だからこそ、書き手が何者か(プロフィール)と何を私語りするか、の整合性をとるのが、結構難しい。

言い換えれば、この案件に関して、他の誰でもない私が私語りする場合の読者ベネフィットはなんだろうということを考える作業が必要になるということだと思います。
単に「私」と言っても、いろんな顔の「私」がいるので、今回の案件に関しては、自分と社会のどの接点で(=どのタグで)「私語り」するのが、一番面白く読んでもらえるだろうということを考える作業が発生するんですよね。

最近、私が苦労しているのはそのあたりです。と、そんなことをつらつら考えながら読んでいました。


無印良品では、3ミリのボールペンとA5の100枚ノートのリピーターです。

んでは、また。


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