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アイラ島に行けば、僕らのことばはウイスキーになるのか【書アド検#9】

書籍に書かれているアドバイスを愚直に実行すると本当にいいことが起こるのかを検証するコーナー、略して、「書アド検」

いやはや。3年半ぶりの更新です。

これ、セミナーや講演会で「あれ、また書いてください」と言ってもらえる唯一の企画なんですよね。
今回はちょっと趣を変えて、20年前に読んだ本に誘われて行った旅の話を。


書籍は、村上春樹さん。
今回はね、多少センチメンタルですよん。
どうぞお付き合いください。

ん、では。

___________________________________


”本”とは、読んでいる最中や、読んだ後に、「ここではないどこか」に連れて行ってくれる装置だと思っている。

これまでに、いろんな場所に連れて行ってもらった。
知らない街に、知らない時代に。自分の過去や未来に飛ばしてもらったこともある。時には死んだ人にも会いに行けたりするし、まだ見ぬ命と出会うこともある。

ただ、書籍がきっかけで、「物理的」に一番遠い場所にきたのは、今回のような気がする。

『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

社会人1年目の冬。単行本でこの本を読んだ時から、このエッセイの舞台であるアイラ島にいつか、行きたいと思っていた。

↑アイラ島はスコットランドにある小さな島。シングルモルトの聖地として知られる。

この本を読むまでウィスキーを1滴も飲んだことなかったけれど、数ある旅行記の中でこの本に書かれた場所には必ず行こうと、22歳の時に思ったのです。なぜか。

「なぜか」と書いたけれど、でも多分、理由はひとつあって。それは、この本に書かれている、というかタイトルである「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」という言葉に、心の一部分がもっていかれてたからだと思う。
初めて読んだ時から20年もたつけれど、このタイトルは私にとって、いまも書籍におけるナンバーワンタイトル。


いま、村上春樹さんのファンですというと、「ああ、ハルキストですか」みたいな感じでなんかちょっと、コミカルな響きを持つのだけれど(失礼!)、当時の村上春樹さんは私たちの世代にある種のまったく新しい価値観をぶっこんできた人だった。

いまそれがなんだったかと言われたら「病んでもいい」とか「見えないものが見えてもいい」とか、むしろそれがクールだというか、誤解を恐れずにいうとそういうことだったような気がする。心の奥底を深くふかく掘ったら、誰にもそこに井戸みたいなものがあって、その井戸まで到達したら、だいたい人はちょっと狂っていてだいたいセカイは歪んだ空間で、どこかに通じている。

それまで清く正しく女子高生と女子大生をやってきた私にとっては、そのなんだかねじれている世界が、自分が初めて経験したパラレルワールドだった。

↑日本からアイラに渡るには、グラスゴー経由が一番速いのだけれど、今回は一緒に旅してくれた友人の1人がエジンバラに住んでいた人だったので、エジンバラを拠点にした。


↑エジンバラは日本でいう京都のような街。暗い歴史も美しい歴史も内包しているあたりも京都に似ている。

高校時代の同級生に、ちょっと退廃的なムードを漂わせていた女の子がいた。ほとんど話をしたことはなかったのだけれど、私は彼女と友達になりたくて、その子に近づける手段を探していた。高校3年の時。あれはもうほとんど恋だったと思う。

彼女は私に言った。
「私、村上春樹を読んでない人と、友達にはなれないから」

私は、結構素直なたちで、その時に世の中に出ていた村上春樹さんの本をすぐにすべて読んだ。受験勉強より、そっちが大事な気がした。2週間ほどで、当時出ていた全ての著作を読んだ。

村上春樹さんの小説は、当時の私にとっては、正直、よくわからなかった。

『風の歌を聴け』が、なぜあんなにも鮮烈なデビューになったのかもわからなかったし、『ノルウェーの森』がなぜあんなにも多くの人に読まれるのかも全然わからなかった。というか、あんな本がこんなに売れる日本って、大丈夫かって思ったくらいだ。

でもこの時、村上春樹さんの著作をすべて読んだ結果、私は、志望校を変更して国文科に進むことになる。よくわからないことを問い学ぶことが学問だとしたら、私にとって、その一番よくわからないことは彼女がどうして村上春樹さんの本を良いというのか、だったし、一番興味があることも、それだった。
結果私は現代文学を学び、卒論で村上春樹さんについて研究し、ライターになった。

長くなっちゃったけれど、その、よくわからない村上春樹さんの作品群の中で、この『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』は、ずっと心に残っていた。

この本には、こんな一節がある。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。


残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる


これから書くことを生業(なりわい)として生きていこうとする私にとって、この文章は、忘れられない言葉になる。

ノンバーバルのコミュニケーションなんて、当時、キスとセックスくらいしか知らなかった22歳の若造に

そうか。言葉って、ウィスキーほどに通じないものなんだな。
そんな表現方法を、何の因果でか、私は選んで生きていこうとするんだな。
道はたぶん、かなり、険しいんだろうな。

そんなことを釘さしてくれた本だったのかもしれない。

書くことを仕事にすることの、阿呆らしさ。答えのなさ。でもそれをやると決める覚悟、みたいなものを。私はこの本を読みながら感じていたのかもしれない。

↑エジンバラにあるウィスキーの体験型施設。地域ごとに違った独特の香りを放つシングルモルトを、それぞれの土地の映像とともに飲み比べできる。ここは天国ですか。

↑エジンバラのレストランにて。この土地では珍しいという快晴。

あれから20年。いろんな文章を書いた。正直言ってしまうと、書くことが面白いと思えるようになったのは、つい昨年のことだ。

時々、文章が溶けるように誰かの身体の一部になることがある。誰かの言葉が溶けるように私の文章になる時がある。いろいろ条件が揃わないと味わうことができないのだけれど、そういう瞬間を信じることができるようになったのが(というか生み出すことができるようになったのが)、去年だったのです。

それで、やっぱりアイラ島に行きたいと思うようになった。
アイラ島でラフロイグを飲んで、ボウモアを飲んで、カリラを飲んで、それらを飲んで「ああ、これね」と、わかりあえる親密さが、どれくらいの「わかりあえる感」なのかを知りたくて。その「わかりあえる感」を、文章で表現することはやっぱり無謀なことなのか。そんなことを、「肌で」、知りたいなあと思ったのです。


アイラ島に入るルートは2つ。グラスゴーからフライトするか、グラスゴーからバスでケナクレイグまで行き、そこから船で向かうか。フライトルートは週に何便かしか出ていないので、船で入る。早朝5時にホテルを出て、アイラに着いたのはお昼の12時頃。

↑晴れることなんかほとんどないというスコットランドで、快晴の航海。

アイラ島について最初に入ったレストランで、本を再読する。

本当はフライト中に読もうと思っていたのだけれど、その時抱えていた原稿が収束せず、飛行機はもとより、ホテルでも、船の中でもずっと書いていた。

まずこのレストランで。次にホテルで。そしてラフロイグの蒸留所のバーで。
この島にいる間に、この本を3回読んだ。


一緒に旅をしてくれた2人は、アイラに向かうバスと船の中で、書籍を読了していたらしい。

すでに詳細を忘れていた私に、そのうちの一人が教えてくれる。

「ボウモアの街って、本に書いてるみたいに、本当に白い壁の家ばっかりなんだねー」

私たちが訪れた7月は、ウィスキーづくりの休暇時期。

本には、こんな記載がある。

ウィスキーを造る人々にとって、一年のうち六月から九月まではほとんどやることがない。暇なのである。夏になると川の水の温度が上がって、ウィスキー造りには適さなくなるし、またこの時期に水を使いすぎると川の水量が減って、鮭が川を上ることができなくなるからだ。だから蒸溜所も開店休業状態になってしまう。そういうときに人びとは壁のペンキの塗り替えをする。おかげでこの島の家のペンキはいつもフレッシュなんだと、島の人が教えてくれた。

私たちが泊まったホテルの真向かいで、まさに、ペンキ塗りをしている男性を発見。「さとゆみ、これ、本に書いてあった通り!」とちゃっぴー(一緒にいってくれた友人)が言う

さっそく入ったレストランでは、書籍の中で村上さんがおすすめしていた生牡蠣のウィスキーかけを試す。

↑本にあるとおり、アイラの牡蠣は小粒でソルティ。これがほんとうに美味しくて、人生最後の晩餐はこれが食べたい。

↑かけるウィスキーはボウモアの10年がいいか、12年がいいかと聞かれる。あとでわかったことだけれど、島でも、牡蠣にウィスキーをかける食べ方を推奨しているレストランはここくらいなのだとか。ということは、このレストランは村上さんもいらした場所なんだな。Harbour Innというお店です。

島にある蒸溜所は現在8カ所。この日、この後ボウモアの蒸留所を見学にいくのを皮切りに、それぞれの個性あるモルトを、もう無理です、というくらい楽しむことになる。

村上さんが、それぞれの蒸溜所について言及している文章はここ。

どの酒にもそれぞれの生き方があり、哲学があるのだろうという気がする。どのメーカーも「まあ、だいたいこのへんでいいだろう」というような安逸な考え方をしていない。(中略)それぞれのディスティラリー(蒸溜所)には、それぞれのデイスティリングのレシピがある。レシピとは要するに生き方である。何をとり、何を捨てるかという価値基準のようなものである。何かを捨てないものには、何もとれない。(『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』より)

ここに書かれていることばは、一緒に旅行してくれたもう1人の友人、パーリーが、一番ぐっときたと言っていた部分。

それぞれの蒸留所について細かく書くことはしないけれど、それぞれの蒸留所は、「生活」としっかり結びついていた。

↑ボウモアの蒸留所。街の中心にある。というか、街の中心がボウモアである。村上さんの小説では、ストリクトな蒸留所として描かれていたけれど、実際工場を案内してくれた男性は「今年はピートを発注し忘れちゃってねえ。ラフロイグのピートを分けてもらったんだ」とか言ってた。冗談だったのかもしれない。でも冗談っぽくなかったな。

どの蒸留所でも、この小瓶に入るくらいの15mlのモルトで飲み比べをさせてもらえる。ボウモアはあまりクセがなく、アイラウィスキーの女王と呼ばれている飲みやすさ。

「生活と結びついていた」というのは、当たり前なのだけれど、この街の人たちにとってウィスキーを作るということは、生活であり日常なのだなというようなこと。

私にとって、ウィスキー、中でもとくにシングルモルトは特別なお酒だ。
ソーダで割らずに原液で飲む(つまりストレート)シングルモルトは、私が唯一、時間をかけて飲むお酒。

ビールは一気に飲み干しちゃうし、ワインは水のようにすっと飲んでしまう。
でもウィスキーは違う。自分を「ほどく」ために飲むようなお酒だと思う。

舌の上で転がして、喉にぐっと溜めて、かああっと熱くなった道を、数mlのウィスキーが通り抜けていく。いまその液が私の身体のどこを通っているかがはっきりわかる。それを体感しながら飲むお酒。自分の喉のカタチがどんな感じかすら、わかるような気もしてしまう。
固くなった心の中の結び目も、ウィスキーに浸されていると、徐々にほどけてくる気がする。根っこのほうに手が届くお酒なんだと思う。

↑いたるところにいる羊とハイランドカウ。前髪が邪魔そう。切ってあげたい。

そんな、私にとって限られた場所で限られたとくべつな時間を過ごすために飲むウィスキーは、当たり前なのだけれど、ここで働く人にとっては日常生活であって。なんだかそのことが面白かったな。

↑私たちを案内してくれたガイドのクリスティンは、村上さんがアイラ島に来た時にはボウモアで広報として働いていたそう。本を見せると、懐かしいーとキスせんばかりに見入っていた。

↑カリラでは、工場見学をすると、4種類のモルトとチョコレートのマリアージュを楽しませてくれる。

私はシングルモルトを、ラフロイグで知り、カリラでハマり、ボウモアでなじんだクチです。なので、カリラではこの島でしか買えない2018年のウィスキー祭り限定ボトルをget。私がカリラのファンだと言うと、オーナーが出て来てくれて、ボトルにサインをしてくれた。

しかも、「君は30年を飲んだことあるか?」と言って、30年を15mlの小瓶に入れてプレゼントしてくれた。もったいなくて、まだ1回しか舐めてなかったのですが、いまこの文章は、この、強烈なカリラ30年を飲みながら書いています。

今回、ウィスキーを飲みながら、3度も同じ本を読み返して、ひとつはっきりとわかったことがある。

それは「文体」について。

これまで一度も気づかなかったのだけれど、村上春樹さんの文章は多分、書きたいことよりも、文体のほうが優先されている。というか、文体に合わせて書くことを選んでいる。おそらく、物語を進行する上で、一番譲れないのが、文体なのだと思う。

文体を整えるために書かれている形容詞があり、文体を締めるために選ばれている動詞があり、文体を優先するために選ばれているエピソードがある。すべてが文体にはじまり文体に帰着している。
雷にうたれたように、そのことに気づいたのが、アイラ島でこの本を読み返している時のことだった。

時期的にこの本は、ちょうど、村上さんがサリン事件について書いた自身初のノンフィクション「アンダーグラウンド」の直前に書かれている。そして直後に手直しを経て単行本にされている。
驚くほどストイックで、ネジがきりっきりに締まっていて、無駄な文字は一文字たりともない。無駄な文字は一文字たりとも書かない、という覚悟が全ページから漂ってくる。

↑ラフロイグのピート畑と蒸留所にて。ボウモアとラフロイグはともにサントリーが近年、買収した。ボウモアの人たちもラフロイグの人たちも、「サントリーのおかげで設備投資もできているし、助けられている」と語る。アイラモルトファンの日本人として、サントリーが現地の人たちに愛されていること、なんだか嬉しかった。

↑ラフロイグのバーで、今回3度めの『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』読了。モルトはストレートでしか飲んではいけないというのがアイラ流なのだけれど、スペシャルレシピのカクテルも美味しかった。

↑ラフロイグでも、2018年限定モルトを購入。島でしか買えないこのボトルは、毎回カラーが変わるらしく、今年はイエロー。これは帰国してからはじめて昨日、仲間たちと飲んだのだけれど、ラフロイグらしいがつんとした味わいに、ちょっと優しい雰囲気があって、私はとても好きだった。

↑ちなみに、それぞれの蒸留所はそれぞれオリジナルデザインのタータンチェックを持っていて、登録されている。テーブルクロスやファブリック、お土産の帽子などにいたるまで、このタータンが使われている。緑のタータンがラフロイグで、その左がボウモア、右がカリラのもの。

前に書いたように、今回仕事がおさまらなかったこともあり、旅の途中、ホテルも移動中も、ずっと原稿を書いてた。なかなかにこみいったビジネス書だったけれど、気持ちよく書いていたような気がする。

私は書くのがすごく速いライターだと言われていたのだけれど、この時、スコットランドに持ち込むことになってしまった仕事のように、最近、驚くほど書くのが遅くなってきている。
昔は書くことを決めて書いていたけれど、最近は書くことで書くことを決めている。だから時間がかかる。
そして、不思議なことに、というか、やはりというか、書くスピードと反比例するように、書くことが楽しくなってきている。

これまでずっと、空気を吸うように、空気を吐くように、自然に生きるように書けるようになるといいなと思っていたけれど、
実際には、
もっと比重の重い気体を吸って、もっと粘性の高い、液体のような固体のようなものを吐き出して書いているような気がする。

そして今回の旅行中に初めて自覚をしたのだけれど、私も自分の文を書く時はやっぱり、何を書くべきかよりも、文体やリズムや語感を優先していると思う。


そして、と書くか。
それでも、と書くか。
書いていて気持ちの良かった方を選んでから、その接続詞にあう文章を考えている。結論はどこにいってもいい。気持ちのいい文章が連れて行ってくれる場所に届けてもらっている。

↑一緒に旅をしてくれた愛する友人、パーリー

↑ちゃっぴーとは、アイラ島でお揃いのピアスを購入


帰国したあとに乗ったJALで、SKYWARD」をみていたら村上春樹さんの最新の旅行記が掲載されていた。
アイラ島で読んだ本ではあれだけストリクトだと感じた文体の鎖は、引っ張れば伸びるくらいの柔軟性があったように思う。
もちろん、それがダメとか、そんなことを言うつもりはなく。
ただ、あの触れれば切れそうな文章は、あの時代の村上さんのものだったのだなと思った。

多分、人には人それぞれ、その年代というか、生きている時間に合った文体というのがあるのだと思う。それは、ことばが「身体性」と切っても切れないものだからだと思う。

これから先、ウィスキーを飲むたびに、この小さな街のことを思い出すだろうし、あの街で読んだ村上さんの文章を思い出すことになるんだと思う。


もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。

例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。


時々、文章が溶けるように誰かの身体の一部になることがある。誰かの言葉が溶けるように私の文章になる時がある。いろいろ条件が揃わないと味わうことができないのだけれど、そんなことばが、たぶん、ときどき、書けるはず。

と、しんじながら、ねんじながら、祈りながら。
これからも書いていこうと思った。


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