すっごくいいと思った子育て本を、途中で読むのをやめた話

知り合いの編集さんが担当された本を読んだ。

この方が作られる本は、自分にまったく興味関心がないジャンルの本でも軒並み面白いので、いつも新作を楽しみにしているのだけれど、
今回はコレキタ、ってなくらい、私自身がど真ん中の読者対象なので、読むのをとても楽しみにしてたんですよ。


子どもが幸せになることば

発売日当日に買ったのだけれど、落ち着いて読みたかったので、滞納している原稿が全部なくなったタイミングで、いそいそと取り出して読み始めた。


ところで
わたしは、これまで、仕事の参考資料として読んだ『学力の経済学』と、『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』をのぞくと、子育て本を読んだことがない。
(前者はめちゃくちゃ面白かった。後者はまったく肌に合わなかった)

とくにポリシーがあって読まないようにしてきたわけではなくて、たんに、バタバタしていて、子育て本を読む方に手が回ってなかっただけです。

なので、どんな子育て本がいいのか、というのは比較対象がなくてわからないので偉そうなことは言えないのだけれど

それでも、この本はのっけから、ぱーんと音がする感じで、弾けるように面白かった。

たとえば、予防接種で泣いちゃう子どもになんと言えばいいか、とか
たとえば、野菜を食べない子どもになんと言えばいいか、とか。
たとえば、歯磨きしたがらない子どもになんと言えばいいか、とか。

それらが、すべて「子どもの立場に立って」語られているところが、面白かったし、なによりとっても優しくてあったかかった。


わたし自身、子どもに反発されたり、癇癪を起こされるたびに考えさせられてきたのだけれど、

たしかに、この本で指摘されているように、

子どもにかけている言葉のうちの多くが(とくに叱っている時は、そのほとんどが)、親の都合で話していたり、親が自分を安心させるために繰り出している言葉のような気がする。

ここに書かれているシチュエーションが、たしかに過去にこんなことあった、と、思い当たることばかりで、
もう、なんだか、家での会話を全部聞かれてたんじゃないかと思うくらいだったよね。

で、

そういった、親の都合で発する言葉の数々なんだけど

幸か不幸か、
我が家の息子氏は、そういう言葉にとても敏感な子だった。


そういった、親の視点からだけ発せられた言葉を感知すると、全身全霊文字通り体当たりで反論してくる。

論旨をずらしたり、過去の発言と矛盾したことを言うと、すぐに声を荒げて突進してくる。

いや、反論してくるならまだいい。

ときには、わたしの顔を一瞥して、「いや、もういいや」と言う。「ママのしたいようにすれば」と言われたこともある。そして、この件に関して私を「話す価値のない相手」とみなして、何も話さなくなる。

きーきー叫びながら反論してくるのもめんどうだし参るけど、会話をシャットダウンされると、もっとこたえる。

そして、どうしてこうなっちゃったんだっけと元をただすと、大抵の場合、彼のいう「ママはぼくの気持ちをぜんぜんわかってない」が正しくて、わたしが「ごめんね、ママが間違ってた」と、あやまる羽目になる。

仕事でのミスはともかくとして、プライベートでは、

わたしは、「ごめんなさい、わたしが間違っていました。許してほしい」と、誰かに言った経験が、ほとんどない。

これまで、とても頭でっかちに生きてきたので、しかも無駄に弁が立つタイプだったので、いつも会話で人を言い負かしてきた。
会話とは、キャッチボールではなく、ストライクを取ること、もしくはヒットやホームランを打つことだと思いこんでいた節すらある。

だから、過去発した「ごめんなさい、わたしが間違っていました」のうちほとんどは、ここ数年の間に息子氏にむかって言った言葉だ。

でも、ひとたび、ごめんなさいとか、そうかそういう考えもあるよね、とか、自分のことばっかり考えてたね、とか、わたしが悪かった、とかを口に出すと

それは「負け」でもなんでもなくて、むしろ、新たな気づきでしかなくて、とても素敵なことなんだと思うようになってきた。


そして、彼に指摘されて、自分がいかに詭弁や矛盾が多い人間かを自覚するようになってこのかた、他の場面でも、「あれ? わたし、ほんとに相手のことを考えて話してるっけ、いま」と、立ち止まることが多くなった。

彼以外の相手にも、自分のことばかり考えてごめんなさいと、いう機会が増えた気がする。

この本は、子どもの年齢ごとに、よくあるシチュエーションで、かけるべき言葉を紹介している本なのだけれど、

0〜2歳児、3〜5歳児までのページで書かれていたことは、私が彼と怒鳴りあったり、ときには、取っ組みあったり、泣いたり笑ったりしながら、

ああ、もっと、彼の気持ちを考えて話すべきだったなあとか
ああ、私、自分が子どもの時に感じた「大人はちっともわかってない」って気持ち、完全に忘れてたなあとか

その都度その都度で感じたことと、すごく深くシンクロしていた気がした。

あの時、この本に出会っていたら、こんなに悩むこともなかったし、もっと早く楽になっていたかもなあとも思った。

そして

とても深く共感したし、自分の経験にシンクロしたからこそ、この本を読むのは、ここまでにしようと思って、ページを閉じた。

というのも

私にとって、子育ての一番の醍醐味は、彼と一緒に過ごす時間によって、今まで気づかなかったことを「発見」することだなあ、と思ったからだ。

たとえ、それが大変だったり、回り道だったりしても、誰かから教えてもらうのではなく、自分で「発見」したい。
いちばん美味しいところ、人に気づかされたくない。

そう思った。

それくらい、

彼から気づかされたことは、私の人生においてとてもとても大事な大発見ばかりだった。



彼が9歳になったら「6歳から8歳まで」の章を読もうと思う。彼が小学校を卒業したら、「9歳から12歳まで」の章を読もうと思う。

といいつつ、ひょっとしたら、ほんとにほんとに道に迷っちゃって、もうにっちもさっちも行かなくなる時があるかもしれない。

その時は、予定よりもちょっとはやくフライングして、この本を開くかもしれない。

でも、それまでは、なんの先入観もなしにこれから起こる出来事を、うわっ、ほんとに? ありえん! まじかよ、ってしっちゃかめっちゃかしながら、楽しんでいこうと思います。

毎日持ち歩いているニトログリセニンみたいな。
いざという時のお守り。

そんな頼もしい本に出会えてうれしいです。

今野さん、いつも素敵な本をありがとう。



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