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あいしているから

息子氏の国語の教科書(三省堂出版)にある「あいしているから」という文章がすてきだ。

宿題で音読してくれるのだけれど、そのたび、ぐっときて、何かがのどにせまってくるくらい、いい。

あらすじはざっとこんな感じ。

主人公のもぐらのモールくんが弱っていた雛を助けて育ててあげるのだけれど、モールくんは、その雛が大きくなっても鳥かごの中で飼おうとする。パパやママが、野生の鳥だから離してあげなさいと言っても「あいしているから」、一緒にいたいと言う。
そんなある日、おじいちゃんがモールくんを丘の上に連れていってくれる。そこでは鳥たちがみんな元気に羽ばたいていた。モールくんは、鳥を離してあげることにした。それは、「あいしているから」。


なんだか、人生の縮図のようなものがたりで、この文章が小学1年生の教科書に採用され、三省堂の教科書を使っている学校の親御さんたちがみんな、子供の声でこの文章を聞いているかと思うと(大抵の学校で音読は宿題になっているようだから)、いろいろと趣深い。
三省堂の皆さんは、子どもの音読を通して、過保護な親への警鐘を鳴らしているのかなどと邪推したりもする(邪推しすぎ)
こういった、親は親の立場で、子は子の立場で読むことができるダブルミーニングの本は、本当に素晴らしいと思います。

で、
こういうところが私の良くないところというか、いやらしいところだと思うのだけれど、よせばいいのに、息子氏に国語の先生みたいな質問してみたりした。

♀「ねえ、どうしてモールくんは、鳥を離してあげようと思ったのかなあ」
♂「そんなの決まってるじゃん。そんなの聞く必要ある?」

はい、その通りです。こうやって、読書感想を大人が誘導しようとするの、いやだよね。私も子どもの時、すごく嫌だった。ごめんなさい。と、思っていたら、息子氏、ちょっと想像と違うことを言った。

♂「鳥が飛べるということを知ったからに決まってるよ」
♀「え。ああ、そうか、そうなのね」
♂「モールくんは、もぐらだから、それまで鳥が飛べることを知らなかったんだよ。だからおじいちゃんが丘に連れていって見せてあげたんだ」
♀「そうか。おじいちゃん、すごいね」
♂「おじいちゃんは、モールくんに何も言わないんだよ」
♀「あ、そうだね。たしかにおじいちゃん、何も言わないよね」
♂「そう。おじいちゃんは、何も言ってないんだ」
♀「……」

短い会話だったけれど、ちょっといろいろ考えちゃったな。

「どうしておじいちゃんは、何も言わなかったんだと思う?」とか「おじいちゃんが何も言わないことを、キミはどう思った?」とか、いろいろ聞きたいことはあったけれど、それを「言う」のは野暮なんだろうなと思って、ぐっとこらえた。

彼の頭の中で、なにかを強制することもなく、意見することもなく、モールくんの行動を変えさせたおじいちゃんは、どんな存在にうつっているのかなあと想像しながら。


子どもとの会話って、付き合いたての彼氏との会話くらい、頭を使う。

野暮なことを言わないですませることのスマートさと、余計なことを言ったからこそ聞ける話と。

うん、楽しい。


こうやって会話してくれるのも、男の子なら3年生くらいまでだよーと、いろんなお母さんに言われるので、今のうちに舐めるように味わい尽くすことにします(笑)

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