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人生の間違えって何だろう

『父から電話がかかって来た』

父と弟が、仕事を見つけない私のことを心配してるらしく父から電話がかかって来た。父は私が今までやって来たことを「間違えたことばかりしている」と言った。最低賃金と分かりながらそこにずっと居続けたことも、他の組織に関わっていても収入に繋がらず抜けたことも。間違えようとしてやったことでなくても、結果的に成功しなければ、それは間違えていたと言うことになると言うのだ。私がやっていることは理解できないと言う。

『予測不可能な未来』

私はある企業で正社員として最低賃金程度の給料で雇われながら、そのシフトの休日は業務管理アプリケーションソフトの開発と販売に関わるための勉強をしていた。いづれこの事で収入を得る予定でいた。勤めていた企業は、それを承知で正社員起用をしてくれていたため、最低賃金でよしとしていたのだ。関わっていた組織の方で、私自身にハラスメントがあり、娘も巻き込んでいたことで心が傷ついてしまった。だから自ら手放したのだ。とても頭の回る人だったから、もしかしたら、手放すように巧みに仕向けられたのかも知れない。でもそれは、わからないし、手放したことは正しい選択で、どちらでも良いのだ。

私がこれまで選択して来たことは、本質を辿ればお金のためだった。けれど、そこでハラスメントを受けそうになったから、私はお金のためにハラスメントを受け入れることを拒否しただけだ。逃げただけ。そのハラスメントが起こることを初期段階で予測できたのであれば、私は確かに間違えていた。しかし、それがどうして予測出来ただろう。

『根っこのこと』

世の中のハラスメント、差別、貧困。。。自然環境の破壊、その他の様々な解決出来ない問題は、今の経済活動が根源となしてることだ。それらはみんな逃げれば良いだけのことも逃げずに、助けてと言えば良いのに言わず、手を差し伸べれば良いだけのことなのにそれもせず、お金のために我慢する。だから止まないのだ。お金のために我慢すること。私はそれこそが自分を騙して生きることになり、間違えている選択だと父に言った。私は、これまでやりたくないことをやり、お金のために自分の魂の望むやるべきことを我慢をして来た。けれど、それが自分を騙していることだと気付いたから、その根っこであるお金のために自分のやりたいこともせず、老後の年金のためだけにしがみ付いて生きることを手放すのだと。

『宮崎へ行くこと』

父は、それならば高い家賃を払ってそこに住んでいないで栃木へ帰って古民家を借りて自給自足の生活をすれば良いのではないかと言ってくれた。私の生き方に理解は出来ないど、協力すると言うのだ。親と言うのは…本当にありがたい。

しかし、私は自分のことも大切にするが、先の先の世代の未来に自分らしく生きられる未来を手渡したい。けど、思っているだけでは何も始まらない。だから12月に宮崎に行くと言った。それを始めてる仲間がいるし、寝るところはあるから大丈夫だと。落ち着いたら宮崎へ遊びに来ればいいと言った。父は、そうするよと、ちょっとなぜか嬉しそうだった。

結果、娘の人生であり、認めざるを得ないのが親心なのだ。その私の我儘を受け入れられる体制を築いて来た父のこれまでの人生も幸せだったことを願う。私も、私の娘や父が助けて欲しいと行った時は、お金がなくても、インフラが使えなくなっても、安心して暮らせる、誰に気を使う事もなく、いつでもおいでと言える場所を築こうと思う。

『いま、を生きるテーマ』

私は父に、いま宮崎へ行くために荷物を処分しているけれど、娘のためにとっておいてあげたいもの、娘が小さな時に書いた絵や折り紙、お手紙。。。捨てようと思うと涙が出てしまうほど、どうしても思い出があって捨て難いものがあり困っていると言った。すると父の工場に棚を作って、持って来て置いておけば良いと言ってくれた。けれど、出来るだけ手放そうと思う。

どんなことがこの先起こるかわからない。あ、間違えたと思ったら、また元に戻れば良い。ただ、自分をごまかし、騙す本当の意味で、間違えた生き方はもうやめようと思う。先ず、「執着を手放すこと」「いま在るものから新しいものを生み出すこと」この2つが今の私のテーマだ。

読んでくれてありがとう。かぼちゃプリンをどうぞ♬

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向こうに見えるのが父、宮崎へ遊びに来てねぇ〜ヽ(´o`;

2020年12月〜この搾取とハラスメント、地球環境の破壊を容認する人の経済活動に薪をくべることをやめ、人々が自立して支え合う新しい経済や繋がりを創り出す目的で活動している宮崎県のひょうたん市場作りに参加予定。テントで寝袋のキャンプ暮らしになります。サポートで応援資金を募ってます!