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春分を抜けたその先の泥まみれ

2021年3月21日
ひょうたん市場でネイティブの伝統的なセレモニー
スエットロッジを行うことになり
私も人生初そのセレモニーに参加する機会を授かれた

スエットロッジとは

スエットロッジについて
調べれば何でも表面的なことは知る事が出来る時代だが
敢えて予備知識は何も得なかった。
自分が感じたありのままを体感として得たかったからだ。

ひょうたん市場のケンゴマンとノブさんから
大まかな流れや注意事項などを聞いたのみで参加した。
ネイティブの民のことも詳しいわけでもなく
このスエットに入る機会を切望したわけでもないけれど
この場所に導かれ
この機会を授かったことはとても有難く
きっと何か意味があったのだろうと考えている。

振り返って見ると
インディアンの文化は気になっていたけれど
特にのめり込んで知ろうともしていなかった。
今は縁が繋がっていないだけで
いつか縁が繋がるだろうと漠然と思っていた。

今回機会を授かって
スエットロッジはこう言うものだと語るほど解ったわけではないので
その時起きたこと、その時得た感覚を記そうと思う。

土と水と火と空と

ひょうたん市場でスエットを行う場所作りは
ひょうたん市場のメンバーがユンボで土地を開拓し
作ってくれた
そこには粘土が豊富にあった。


子供達の子供スエットが先に行われ
その後の本番で大人達が入った。
子供スエットが始まる前に子供達は粘土遊びをしていた。
誰かが泥団子を焚火に投げ込んだのか
次の日に熾を掘っていたら可愛い素焼きの小さな泥団子が出て来た。

当日は写真撮影は一切禁止で写真は無いけれど
この時焚く焚き火(ファイアーピット)は
スエットロッジの中で水を掛けて蒸気を出すための溶岩石を真っ赤に焼く為のもの。

スエットロッジの骨組みは竹で作り
中には光が入らない暗闇を作る為に
毛布などを何枚もかけて作る。

入り口は四つん這いになって入る。
小さな入り口があり
中はドロドロの
入り口を閉じると真っ暗の闇
母なる大地の胎内だそうだ。

中心に焼けた石を置いてその周りを囲んで座り
順番にその時感じているありのままの自分の思いや祈りを言葉にして行く。

「ファイアーマンやります」
焚きの前で楽くんがスピリッツに向けて呟やいた

この日は楽くんがファイアーマン
ファイアーピットで焼いた溶岩石を取り出してスエットロッジに運び込む役目

余談だけれど
子供の頃英語では消防士をファイアーファイターと言う事を知ったとき、なんだかわからないけどカッコいい〜と思った事があり
ファイアーマン。。。楽くんカッコいいじゃん
記憶の片隅のその時の感覚が過った。

話しを戻すと…
その真っ赤に焼けた石はスエットロッジの真ん中に置かれ
ケンゴマンが祈りを唱えを掛けると熱い水蒸気が出た。
世の中にあるもので例えれば「もの凄く熱〜いサウナ」になる。

ファイアーピットに火が着き
スエットロッジの結界のある場所の
鳶が飛んで来た。

土と水と火と空
私達が生まれ生かされているこの地球
このおおよそ社会とかけ離れたひょうたん市場の日常とでさえ、明らかに違う場所、空気、時間の流れをスエットロッジに向かう"そこ"に感じた。

母なる大地の胎内

スエットロッジ内は
水と土と…どろどろだった
泥々と言うのはこう言う事を現すのだろうと言う
泥々のドロドロのどろどろのねちょねちょだった。
男性は上半身裸
女性はTシャツに膝下のスカートやワンピースと言う軽装。

泥の上に座るなんて私の人生にかつてあったかな…
子供の頃でさえ
服を汚すと親に叱られることを恐れて
堂々と躊躇なく泥に塗れたことなんて
数少なかった様な気がする。

私は何処から生まれて来たのだろう。
宇宙の中の地球の中のそこから生まれた生命体
泥のそれを強く感じる事が出来た。
地球と一体になれた気がした。

熱く焼けた石に水が掛かる度に
熱い蒸気がスエットロッジ内に満ち
最初は上手く行かなかったけど
その蒸気を含んだ空気でゆっくりと呼吸するのが
とても気持ちよく陶酔に近い心地よさで
身体中温かな優しい何かが満ちた。

このひょうたん市場での今回のスエットロッジに関わった全ての人
離れた家族のこと
遠くから私を応援してくれる人…
この世に姿がなくなった人たち…
そのヒトたちを支えている
地球に生きるあらゆる生命が
私を支え生かしてくれている
だから私は此処に来る事が出来たし
今ここに在る
皆んなの心や暖かさが心からありがたいと思った。

その時どんな言葉でその気持ちを表し、石に語りかけたかはあまり覚えていない。
でも、感謝の気持ちでいっぱいだった事だけ覚えている。

ここから先の未来

悲しいことに
ヒトがヒトの利便性を求めて出来上がった文化は
もう、母なる大地の事なんて忘れてしまっている
土や水や空気が汚れても
楽に楽しく暮らすことしか考えなくなった。

この日本でも、幸福を求めて現在のこの暮らしに至るまで数々の悲劇があり
沢山のご先祖の生命がそのために散った。
その礎の上に私達のこの暮らしが実現出来ている。
けれど、もっともっとと人が幸せを求め過ぎて
人と自然とキラキラと生きる幸せが
ある地点まで来た時に違う方向に向かってしまったのではないかと感じる。

大地はもう止めて欲しいと悲鳴を上げている
その声は聞かないばかりか
自分達に都合が悪い声は聴こえなくなっている。
そう言う耳をもったヒトたちは
そうして地球への虐待を繰り返す物凄い親不孝だ。

ひょうたん市場へ来る以前
自治体のゴミ収集所に出されるゴミの山
次々に建つ新しい家
そのわりに街に放置されている古い建物
崩される山
流れをコントロールされる河川
暮らしの為に植物や動物の過剰な採取
アスファルトで覆い尽くされた土地を見て
このまま解決しないまま何処まで行くのだろう
どうしたら良いのだろうと
思ってもどうにもならない事を思って暮らしていた。

ある方に、本当は何がしたいのかと尋ねられたことがあり
私は、壊れた環境をこれ以上壊したくない
少しでも元に戻せる道があるならば
本当はその道を行きたい。
と答えたことがある。
質問したその方から
「そんなことしたって、お金にならないよ」と
失笑をかった。
そんなに恥ずかしいことなのか…理解が追いつかなかった。

また、スピリチュアルにあまり興味がないのに
ある時ディーパック・チョプラという人の本を書店で何気なく手にした本がスピリチュアル系で
本当の自分の望みは何かと言う下りがあり
その時の私の答えも同じだった。

世の中が今まで問題だらけでダメならば
今までと同じ回転を繰り返せばさらに問題は加速して行く
会社ならば倒産だ
この文明は崩壊だ。

私は、やっぱりこの道を行く。
この道で良いんだ。
そう強く確信出来た。

今までの世界から
一歩踏み出したこの場所で
スエットロッジに出会え
母なる大地に触れられた事に感謝。

朧げな赤い光

スエットロッジの中で
下を向いていた顔をふと上げると
親指大と薬指大の紅い光がひとつずつふたつあった。
一つはケンゴマンの方に
もう一つはノブさんの方に
それはスエットが終わるまでずっと
時々消えたりもしたけど
水をかけるとまた現れた。

電球の様なしっかりした灯りではなく
モザイクの様なぼやっとした朧げな灯りだった。

普段私は何かエネルギー的なものが見えたりする能力はないから
それも気のせいか、眼のトラブルかと思ってずっと見ていたけれど
そんな感じでも無い存在感だった。

石に向かって色々な言葉をかけたけど
今まで自然を苦しめて来たことを謝れなかったことを後悔している。
まだまだ自分本位の殻から抜け切っていないのだろう。

子供スエット

大人が入る前に
3歳〜6歳の子供達とお母さんが入った子供スエット。

ちょうど空をトンビが飛んでいたから
童謡「トンビ」を中で歌う事にして
歌を練習してから中に入った。

真っ暗闇でどろどろな中でも
子供達は誰ひとり怖がらず
とーべとーべぇト〜ンビ〜…♬と元気な歌声が聞こえて来た。

子供のころにこの体験が出来るなんて
羨ましいくらいだ
この日のこと
この歌のこと
ずっと忘れないのだろうな。。。

泥塗れの中から出て思うこと

私達は我欲に塗れ
壊すためだけに生まれて来たのだろうか。
その為の代償に生きる意味もわからず
妬み嫉みの苦しみの中で生きることを与えられたのだろうか。

この廃れて行く文明の中で育ち
我慢や苦しみの中で
お金を稼ぐために苦しみ、生きる希望が何なのかわからない私の様な大人たちばかりなのはなぜなのだろう。
今までのそれを止めなければこの苦しみの連鎖から抜け出せず新しい未来は築けない。
安冨歩さんの著書マイケルジャクソンの思想に出会いその中に私も居ることに気付いた。

そんな事に気付いたところで間に合わないと
諦めてしまいがちだけれど
そんな私達が捨身で止める今までとは何なのか
考え行動することと
守り伝えること
今までと違う新しい芽を摘まず
希望を持って育てることをする大人たちと
新しい未来の架け橋を作ろうと思う。

そして
私を支えてくれる沢山の大切な人達と
この泥塗れの美しい地球の生命の循環に感謝して生きる
本当にありがとう

*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*颯月



2020年12月〜この搾取とハラスメント、地球環境の破壊を容認する人の経済活動に薪をくべることをやめ、人々が自立して支え合う新しい経済や繋がりを創り出す目的で活動している宮崎県のひょうたん市場作りに参加予定。テントで寝袋のキャンプ暮らしになります。サポートで応援資金を募ってます!