5/13のこと

5/13(土)段々と雨
今日は休み。8時半に起き、パンを食べ、洗濯機を回す。洗濯が終わるまで、昨日録画しておいた「スキップとローファー」6話を観る。
自分が『スキップとローファー』にハマるきっかけになったと言って過言ではない仲直り回。アニメもめちゃくちゃ良かった。志摩くんの表情が子どもっぽくなるところが好きです。原作もそうですが、登場人物たちの表情の変化が大袈裟過ぎないのが良い。リアルで、でもそれがちゃんと伝わる絶妙な塩梅。
そしてやっぱりみつみのセリフが良すぎるんですよね。
“もっともらしいこと言ったけどホントは 志摩くんが来ないとつまんないから来てよって言いたかっただけなんだ……”
こんなことを言われたい学生時代だったし、ちゃんと言える人でもありたかったな。恥ずかしいところがあったって、それを見せたって良いじゃないか。わからないと恐れながらも、一歩踏み込む勇気を持って。

洗濯物を干し、お昼を食べ、出張で必要なものを買いに家を出る。当然のごとく書店にも行く。
電車では『人間がいなくなった後の自然』を読みすすめる。キプロスの章に突入。ここで書かれるトルコという国が、自分が抱いていた親日国として知られるトルコの印象とかけ離れていて驚く。でもそういえばトルコがウクライナのNATO加盟を反対していたとニュースで観たときも違和感を持ったなあと思い出す。
結局、表面上の情報では何もわからないし、深く調べたとしても、それは一面でしかなくて。実際はいろんな表情を持っているのだろうな、国も人も。

書店へ。面白そうな本をいくつかチェックしつつ、結局、尹雄大『聞くこと、話すこと。』と郡司ペギオ幸夫『天然知能』、つくみず『少女終末旅行』1~6巻を購入する。
その後はユニクロでシャツを買ったり、スーパーで夕飯の食材を買ったりして帰る。

家に帰って『少女終末旅行』を読みはじめたり、夕飯にピーマンの肉詰めを作って食べたりする。ピーマンの肉詰めが想像以上に美味しく作れて嬉しくなる。

『少女終末旅行』は5巻まで読んだ。4巻まではアニメで観ていたのだけれど、改めて読んでみるとまた良かったし、思いのほか哲学的だった。確かになぜ音楽で楽しくなったり、悲しくなったりするのだろう。そして夕日を見て悲しい気持ちになるのだろうか。
最近、自分が終末的なものや人が居なくなったものを読みたくなっているのはなぜか。
それは無駄なこと、何にもならないことをしたくて(あるいは何もしたくなくて)、それに対して誰にも文句を言われたくないからと言えるのかもしれない。資本主義による早すぎる社会が鬱陶しくなって、人間という仕事をひと休みしたい。実生活には何も役に立たないことについて考えていたい。

『少女終末旅行』5巻では人工知能さんの話とセリフがすごく良かった。“どこにでも行ける自由を得て知るのは本当に行きたい場所がどこにもないという事実です”って本当にそうなんだよなと思う。GW、仮に9連休だったとしても結局どこにも行かなかっただろうし。なににでもなれますよ、と今言われたとしても、なにになりたいかが全く答えられないし。自由が欲しいのではなくて、休みが欲しいのだろうか…動かなくていい自由?…ううん?わからなくなってくる。

後好きだったシーンは美術館に描いた絵を飾るところ。人はいろんなものの価値がなくなったとき、何をしたくなるのか。その答えが生きた証を残す、ということなのかな。誰も居ないのに残す意味があるのだろうかとも思うけれど、岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』の“ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい”みたいな、神さまに見ていて欲しい、と祈るような感情なのかも。それはすごく共感できる。誰かに見ていて欲しい、という感情は最後まで残るものなんだな…。

長々とよくわからない話になってしまった。まあ日記なので許して欲しい。明日は昼から仕事です。

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