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本来の自分で全力で生きていたあの頃にはもう戻れやしない

こんばんは、もなかです。
今日は闇が深い過去のお話を書こうと思います。

本来の自分、そのまままの自分でいれたのは小学校まででした。
第一印象は、よく大人しい子、クールな子とプロフィール手帳に書かれていたけど、家では全くそんな事なくって、好き嫌いのハッキリした子供でした。

仲良くなると、家での自分が出てきて面白いね〜とか楽しい!と言われるようになったけど、どうも先生という立場の人間の前では萎縮してしまってみんなみたいに話すことが出来ませんでした。

そして、割と大人しい性格のまま中学生へ入学しテニス部に入りました。顧問の先生の言うことは絶対正しいと思って、叱られた時も褒められた時もハイ!と元気な返事をして、言われたことはとにかく実践してみる、素直な性格でもありました。

私の性格に影響を及ぼしたパーソンがいます。
その子は私のダブルスのペアで、元気で面白く誰にでも声をかけるような積極的な子でした。
その子といると楽しいし、私もこんな風になれたらなぁと思っていました。
ペアをやってるからか分かりませんが、段々とその子の性格を似てきた、というかあの子ならどうするだろう、と私が憧れている部分を自分に取り入れて生活するようになりました。

その時から私の性格は、第一印象を含め大人しく、クールな子から明るく積極的な子と言われるまで変わりました。
当時は無理して明るくしていた訳では全くなく、自然体のままでいられましたし、そんな自分が他人から好かれているという自信にもなりました。

そして、高校へ入学します。
16歳、多感な年頃。
人格形成に最も悪影響を及ぼした時期。

何をしても、誰と居ても楽しくない。

周りの子はみんな痩せてて二重で可愛い子。

私はデブで一重で肌が汚い。

そんな括りで自分を見るようになりました。直接誰かに言われた訳では無いけど、可愛い子は得をするし、可愛いって言われるし、対応も違うし.....。

中学まではクラス替えがある度、クラスの女子全員と友達になるくらいコミュニケーション能力(・・?)が高かったのですが、高校では気の合う子としかつるみませんでした。

1年生の時は一応クラスの女子全員と友達になったのですが、思い出したくない、二度と同じ経験をしたくない過去です。

noteの記事にも書きましたが、私は自分の発言が無視される事にビックリしたし、それが心に大きなキズを残しました。
高校以前でもこんな体験はしたのだろうけど、なぜか高校生になってからその対応が、私の心の壁にラクガキをしてキズをつけ、挙句の果てにぶっ壊されたような衝撃を受けました。

つまり、劣等感が芽生え始めた訳ですね。オマケに自己否定、自責、自己卑下、他人軸も。
この著しく自己肯定感が下がっている状態でよく学校行ってたなぁ、毎日苦しくて辛かったよなぁと本当に自分を褒めてあげたいです。

逃げなかったね、エラいよ。

当時のクラスメイトにも私と同じ性格の子がいて、その子も何かに傷ついた様な顔をして毎朝学校に来ていました。

プライドの高い私は、その子よりも自分は優れている、劣ってない。と必死で友達の前で笑顔を作り、お前より楽しんでるぞ、お前より友達いるんだぞ、と最低な言葉を心の中で言っていました。

誰かを見下して自分の居場所を安心感で固める。
誰にも必要とされていないんじゃないか、一人ぼっちになったらどうしよう、と毎日グルグル考えていたし、私に友達がいない、会話しても笑ってくれない、無理される、反応がないのは自分の能力が他人より劣っているからなんだ、自分はダメなやつなんだ、と毎日毎日朝から晩まで自分を否定し続けてた。

朝起きて学校へ行くという恐怖。
家にいるのに帰りたい。

ツラいツラいツラいツラいツラい....。

そんな私でもなぜか死にたい、この世から消えてなくなりたいなどの自殺願望は芽生えませんでした。
だって、人生で楽しいことや好きな物があると知っていたから。死んでしまったらもう二度とそれをする事は出来ないと思ったから。

この感情はもうすく20歳になる今の今までも同じ感情を持っています。
もうこの感情や気持ちは消すことの出来ないわたしの1部となりました。

他人に好かれるために笑顔をつくって、無理に笑って、必死で頷いて誰にでもいい顔する自虐的八方美人の出来上がり。

本当のわたしはどこにいるの?どんな思いをもって生きているの?
何が好きで何が嫌いなの?
どうやって生きていきたいの?

探さなくても、ずっと傍にいるのにね。

それを認めたくないんだ。
だって、本当の自分は他人に好かれないとおもっているから、自分を変えなきゃと思っているから。

何回この言葉を書いただろう。

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