見出し画像

肩の荷がスっとおりた話

今日の朝は特別調子がいい訳ではなかった。
行きたくないな学校。人に会いたくない。

そんな気持ちで支度をしていた。

学校に着くと、いつも教室に入る前は心臓がドキドキして扉を開けるのを躊躇ってしまう(扉を開けた時の視線が怖い)のだけど、今日はすんなりと開くことが出来た。

自分でも不思議だった。
妙に心が落ち着いていた。

自分の席に座り、授業の準備をする。いつもは、周りの話し声や雑音に気を取られて落ち着かない状態で、常に誰かに見られている気がして、不安だった。周りの目が怖かった。

今日は違う。なんだか周りの雑音が自分とは関係の無い世界の出来事の様で、人の視線もほとんど気にならなくて、自分のことに集中できた。

何故だろう。
疑問に思った。

すると、頭のどこかからこんな考えが出てきた。

自分の価値は何をしても変わらない。
誰かより上だとか下だとか、もう決めなくていいんだよ。
みんなと平等に接していいんだよ。

当たり前の事だと思うが、わたしは無意識の内に相手より自分は下の立場。合わせなければ嫌われるし仲良くなんてなれやしない、と本気で思っていたらしい。
だから、他人と上手くいかなかった時は全て自分が悪いと決めつけて自分を責めるし、自己嫌悪するし、劣等感を持つのだ。

わたしが最も辛いと感じた孤独感についても、今日はほとんど感じられなかった。
一人でいることは他人からずっと責められているように感じたからだ。
一人でいるのは悪いこと。
友達がいないやつ。
ぼっち。

相手と自分は平等。

この言葉がしっくり来た。
我ながらよく思いついたなと思う。
わたしの様に無意識の内に他人より自分は下の存在で、合わせなければ嫌われるもしくはうまく関係を築けないと思っている人にとってはめちゃくちゃ良い気づきだと思う。

平等であるが故に、自分を出していいし、言いたいことを我慢しなくていいし、無理に合わせることも無い。

平等

平等。

平等。。

わたしは人より劣ってなんかなかったんだ。

惨めな気持ちにならなくていいんだ。

見下されてなかったんだ。

無意識下で行われている思考は恐ろしい。
それが絶対だ、不変だ、と思い込んでしまう。

今日は気づけて良かった。
わたしも同じ立ち位置に立つことができたと思う。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

6

もなか

2年生。20歳になりました。 私の見え方、考え方について書きます。 過剰同調性/共感性羞恥
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。