感情移入という感情。

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ハイバイ「ヒッキー・ソトニデテミターノ」
2018/02/20 tue
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わたしは想像以上に“ひきこもり”という存在を偏見丸出しで見下していたことに気が付く。ひきこもりは社会を形成する一部から逃げたり拒否しているはずなのに、自分という存在自体を認めてほしい自己中心的、というなイメージが勝手にあって、それがまあー表現されて且つわたし側よりの意見もあったもんだから、見ているこっちのそういう部分をつつかれてしまった。
そんなの一定数の話で、ひきこもりになるのはいろんなパターンがあって、社会に混じりすぎてしまう人や混じれない人、パターンを見せられているうちに、そのパターンひとつひとつに対して考えを改めながらコロコロと感情移入をしてしまう。出張お姉さんにも、ね。

みんながみんな自分が一番かわいくて、自分が一番傷つきたくなくて、自分が一番傷つけたくなくて、自分勝手なのに、人のために自分を押し殺して生きなければならないことがこの社会には多すぎる。
これと戦う社会に出るものと、これを全うするためにひきこもるもの。こんな単純な分類ではないけれど、どちらも正解だ。外に出ているものが正解で正義なのか。そんなことをいろんな人に感情を預けながら見ていた。

ここ最近見ていた作品がそこまで感情移入をするものではなかったから、特になのか感情移入が過ぎてしまって、いまこれを書きながら何を思い出してなのか泣いてしまった。観劇中は泣かなかったのに。とはいえ、緩急がしっかりとしていてポップに描かれたひきこもりとそれを取り巻く世界。

感情移入をしてしまう舞台を俯瞰で見られたら、どんな見え方をするのだろうね。

あ、あとわたしも「きのこたちの冒険」に手を挙げたい。

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