間と空間と呼吸、それから空気。

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ムニ「川、くらめくくらい遠のく」
2018/2/16 fri
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ナタリーでたまたま見かけた「俳句的思考で演劇を創作」という言葉が引っかかり即座に予約。

俳句的思考って何だろう。なにかが、引っかかった。ただそうとしか言えない。どんなものが見れるのかという期待というか、わくわくは確かだった。

川のあるとある町、と思われる人々の話が淡々と、とんとんと続いていく作品。
ある人とある人の話がごくたまにリンクしていて、みんなの脳内で「あ、これさっきの人の」とか「あの場所がつながってるのねー」という感覚に陥っているであろう、脳内地図を共有・共感する空気感がまた気持ちもよく。

結果、俳句的思考の根幹はわからなかったのだけれど。
俳句的というからには相当緻密に計算された言葉選びとテンポとその間合い、そして2.5メートル四方(くらいかな?)のアクティングスペースを持て余すくらいに小さく使う。25人の観客がみまもる中、歯車が合いそうで合わない、この様子がなんともおかしくて、美しい時間。
新宿眼科画廊という場所柄たまに漏れ聴こえる外の話し声が、川のある町の雑踏というような、勝手な演出的効果を生んでいて、どういうことであの小屋を選んだかわからないけれど、大正解な場所だったと思う。

みまもるという言葉がピタとはまるような、静寂な空気をまとった作品で、基本同じトーンでずーっと続くので、もう気持ち10分くらい短くてもよかったかもしれないけれど、観劇から2日も経つのに何かとあの空間のことを思い出してしまう。
帰りにはちょっぴりあのテンポで自分が話してしまいそうな自分がいた。

なぜだろう、間と空間が気持ちいいなーと思いながら見ていたら、なぜか、むかし池尻にあった区ト間という梅酒バーのことを思い返していた。なぜだろう。

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