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崩壊スターレイルVer2.1に感じた違和感

※崩壊スターレイルver2.1のネタバレを含みます。

「ベルベットの中の悪魔」面白かったですね。
ピノコニーに初めて訪れた時の不安と高揚感が混ざった「夢の国」での滞在にも慣れてきたところでまた色々と謎が増えたような気がします。

ところで私は、元々原神プレイヤーなのですが、花火のPVとピノコニーのきな臭い雰囲気に誘われて崩壊スターレイルを再開しました。
再開からは早くピノコニーに辿り着きたい一心で、でも大切なエピソードの1つも読みもらしたくないなと葛藤しながら相当のエネルギーをもって崩壊スターレイルを遊んでいました。

そんな中で、このゲームの原神と違っていいなと思った部分の1つに「主人公の選択で異なる道筋を辿ったり結末が変わることがある」という部分でした。

白露との振り返り

ピノコニーでのクエスト「未来の薔薇を想像して」でもそうでしたが、私たちはおかしな言動や行動を繰り返す星核の容器「星」と「穹」を通して、まるで自分があの世界に存在して、自分で何かを「選択」出来ると錯覚し、旅の行く末を案じながら崩壊スターレイルの世界への没入感を全身で楽しむことが出来ていたのだと思います。

同行クエストやモブとのクエストの中でも、主人公の突飛な発言で場を驚かせながらも、「自分自身で」何かを選択し、しかももう戻れない、という感覚に私は魅力されていました。

あのとき別の選択をとっていたらどうなっただろう、と思いを馳せ、もちろん動画などでいくらでも見ることは出来ますがそれは決して「自身の足跡」ではなく、異なる世界の異なる彼等の物語であって、例え大筋はエリオの見た未来のもと決まっているのだとしても、自分だけの物語を形作れる点にこのゲームの面白さがあると思っています。

その上で、今回ver2.1の物語に触れ十分に時間が経った今、拭えない違和感について書き残しておきたいと思います。

視点変更という試み

これ自体は仙舟でもあったように、私達は丹恒の足跡を垣間見たりすることで、物語の登場人物「主人公=自分」ではなく神の視点でストーリーを俯瞰することが出来ました。
キャラクターの行動や性格、過去を掘り下げることで思い入れを強くし、かつ、本当はここで何があったのかを憶測する小説や他の媒体でもある手法だと思います。
仙舟ではストーリーの合間に丹恒の状況を知ることができ、仙舟「羅府」の歴史や物語を深く掘り下げるためにちょうど良いバランスで取り入れられていたと思います。
ところが、ver2.1では一変して、私達は「星」や「穹」として没入感を味わうことを禁止され、完全にほとんどアベンチュリン自身となってピノコニーに渦巻く問題を「見る」ことになります。
アベンチュリン自身の物語の完成度は言うまでもありませんが、プレイヤーである「私達」が共に苦しみ、彼に感情移入した状態でアベンチュリンを倒さねばならない、という構図には違和感を禁じえませんでした。
「私」は一体何の権利をもって彼自身を操作し、彼の物語を他人の癖にまるで我がことのように振り返り、一世一代の賭けをするのでしょうか。
これが彼の彼なりの戦略だと知って、そこに隠された苦しみも全部引き受けた上で、「どうか死なないで」と祈りながら彼を倒す「私」は一体何者なのでしょうか。
主人公はアベンチュリンのことを結局よく知らないまま倒すことになります。
主人公と「私」の距離はどんどん遠ざかり、繰り返される視点変更の中で「私」は主人公ではなく、多くのことを誰かの視点になって覗き見る存在となりました。
「神の視点」ですよね。
星神とその運命を題材の1つとする物語の中で、他でもないプレイヤー自身も、結局「神」になってしまったのです。

天から動き回る登場人物の行く末を覗き見、心の内を暴く、ただの物語の外側の人間です。

自分が「主人公」だと思い、黄金の刻の没入感に感動し、叶わぬ夢を見る人々との出会いを果たし、バーでモンスター達との大切な時間を過ごした「その人」は、私ではなく結局は主人公にすぎないのでした。

アベンチュリンの視点を大々的に取り上げることによって、彼というキャラクターの解像度が上がり勿論an・anや他の雑誌とのコラボレーションも大いに盛り上がり大変に素晴らしいことと思います。

その一方で、宙ぶらりんに他者の視点を行き来する「私」は所詮ゲームのプレイヤーにすぎないのだと感じ、あんなに大切だと感じて選択を繰り返してきた「主人公自身」は結局プレイヤーの傀儡にすぎないことが強く印象づけられ、身近に感じていたピノコニーで出会った人々、勿論それまでにヤリーロ、羅府で出会ったなんでもないモブやキャラクターとの邂逅が酷く遠く色褪せたものになってしまったような気がして、今回のストーリー構成には正直言って満足できませんでした。気になったのはあくまで「構成」であってストーリー自体はとても面白くだからこそもう少しやりようがあったのではないか、とモヤモヤが残っています。

ただ、サンポがヤリーロでの戦いが一段落した後に「私に」向かって話しかけてくれたように、一切の口を聞かず全てを盗み見ている「私」という存在もまたふまえた上で、ピノコニーという世界の着地点が満足できるものになるといいなとも思っています。

長文お読みいただきありがとうございました。
今後ギャラガーを始めとした「ファミリー」の思惑も色々と明らかになってくると思うのでもっともっと楽しめるストーリーに出会えたらなと思います。

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