お前の神に用はない。

私は宗教が嫌いです。全部。そういう思想も含めて嫌いというか、視界に入れたくない。

昔、まだ10代の頃。一家で某宗教を信仰してる子がバイト先にいて。それ自体は珍しくないんやけど、何かっていうと神が神がって煩くて。

人が何を信じても、それは個人の自由なのでほっとくけど。私はお前の神に毛ほども興味がないんよ…ってやんわり伝えるけど全然変わらない。そしてある日、多分暑くてしんどくて最高潮に機嫌が悪かった日についにキレた。

その日も奴は神がいかに素晴らしいかを語り出して、神は友達のような存在とかわけのわからないことを言い出したので、友達ならこの場に連れてこいや。それ見て私が素晴らしいと思うかを自分で判断するからはよ連れてこい。と。

そしたら、神は友達と言った同じ口で、神は会えるような存在じゃないとかモゴモゴ言い出し。

「あんた自分の話に筋通ってると思うか?友達で会えないって何?妄想?どこらへんが素晴らしいのか全然わからんし、わかりたくもない。もうほんま鬱陶しいから私の前で神の話すんのやめてくれへん?」と言って泣かしてしまった。神ガチ勢なんやったらそれくらいで泣くななよ。あとどんなに素晴らしい神を推したくても、嫌がってる人にしたらあかんやろ。

自宅にガチの宗教婆がいて既に毎日百年戦争みたいになってた私。論破する気なら殺す気でこいと思ってた。ほんま、信仰に関しては押し付けられるのが不快で堪らない。勝手にやっててくれ。漏らしてくるな。

しかし。よく考えてみたら、これって宗教に限った話じゃないよな。何か特定の物や出来事、音楽、季節…等々に、他人が当たり前に語ることに密かに嫌な思いをしたり傷付く人は、実はたくさんいるんじゃないかと思う。

例えば私は、親子の愛情とか。幼なじみと旅行とか。そういう、手に出来なかったものは見ててしんどいからなるべく見えないようにする。某ねずみ講もどきも、昔父親が若い女に引っ掛かり家まで連れてきて。「娘ちゃん!ちゃんと話聞いてるん!?」とキレられたこともあり、大嫌いになりまして。

つーかお前誰やねん。帰れよ。って、今なら言えるけど。まだその頃はお父さんの『お友達』なので、親の顔を潰したらあかんと子供ながらに不快に耐えたんですよね。今なら即追い出すけどな。ついでに土鍋で塩撒いたるわ。

まぁそういう過激派にはなるべくなりたくないので、不快からはそっと離れるのが一番楽なんやろうけど。

総じて、言葉というのは、難しいなぁと思う。誰かの快は別の誰かの不快かもしれなくて。でも毎日ずっとそこまで気にしてられへんし。


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