FGO 奏章Ⅱ 不可逆排気孔イドを終えて


※今回のストーリーに満足されている方は読まれない方が良いと思われます

始めに

 2024年3月20日午後8時、約9か月ぶりのメインストーリー更新が行われた。近頃はイベントも惰性でやっていて、現在開催中のホワイトデーイベントに至ってはまるで完走しきれていない状態ではあったが、メインストーリーとなれば話は違う。
 奏章Ⅰは可もなく不可もなくといった感じで、「カーマが良かった」「剣メドゥーサが欲しかった」以外のことはあまり覚えていない。
 で、配信開始から1日かけてクリアしたので、ここに感想を残したいと思う。思わずnoteを開設してしまうほどに、言語化したい何かが存在する。

 まずこの時点で表明をしておくと、今回のメインを張っている巌窟王に対して、私は特別な感情を持ち合わせてはいない。弊カルデアにはいないし、監獄塔イベントを遊んだのも随分と昔。その他の主にメインキャラとして活躍した邪ンヌやサリエリも同様だ。また、主人公藤丸立香に対しても、プレイしてる自分自身として見ることはあまりしておらず、できるだけ神の視点でFGOを楽しんでいる。

 その上で、奏章Ⅱ 不可逆排気孔イドの感想を述べていく。

感想

良かった点

・アヴェンジャーが活躍できる戦闘
 ペーパームーンの時に残念だったことを思い出したが、アルターエゴを使うべき戦闘が無かった点がある。私はメルトリリスを使い倒したかったのだ。今回のイドではアヴェンジャーに強化補正が自動で入り、また敵側もアヴェンジャー以外への耐性を所持していたため、自然とアヴェンジャーを採用する機会が増えた(一方活躍の機会を失ったムーンキャンサーたち)。
 どこかの異文帯の無敵持ちばかりとの戦闘を経験した後では、快適な仕様だったと思う。またその耐性も体感ではそこまで高くなく、Wコヤモルガンで十分だったが、せっかくなのでカーマやスペースイシュタルで攻略した。イドの3waveモブ戦闘は、WキャストリアとArts全体アヴェンジャーが安牌だった

・邪ンヌのヒロイン感
 ペーパームーンのカーマ、イドの邪ンヌといった感じで掘り下げがしっかりと存在していたように思う。イドを読むまで好きでも嫌いでもなかった邪ンヌをかなり好きになれるシナリオだった。マリーオルタのデートに触発されたデートのお誘いは、ツンデレのテンプレでありながらもその良さを感じられた。
 復刻ピックアップ開催中のため是非とも引きたいぐらい好きになってしまい、またリニューアルされた宝具演出も非常に格好良く、NPC選択を強いられるクエストでは毎回邪ンヌを選択し、毎回宝具を打っていた

・景清は死なず
 邪ンヌを持っていない私が選出し続けた、弊カルデア唯一の単体アヴェンジャー。また曖昧な記憶で申し訳ないが、鎌倉イベント以来の登場ということもあってか、割とストーリーにも絡んでいた。生放送の時点で登場は示唆されていたが、実際に第一の試練で影から現れる演出には素直に興奮してしまった(この演出を毎回見ることになるとは、まだ知らなかった)。
 巌窟王も邪ンヌも居ない私は、全アヴェンジャーの中で景清に最も思い入れがあり、その補正もあって特に良かったと感じた。景清にあまり詳しくなかったマスターも、今までより好きになったのではないだろうか 

・一枚絵が豊富
 これは年々力を入れている感じが伝わってくる。マリーオルタ(学生服)の一枚絵はあまりにも良い。こんな同級生に青春を壊されたかった。また私が邪ンヌ推しであれば、ダンスの一枚絵や最後の一枚絵に感動しきっていただろう。景清の一枚絵も欲しかったなぁ

・ストーリーのボリューム
 節数で比べることに意味はないが、ペーパームーンの16節に対してイドは26節まで存在した。10節辺りまで進めていた時に、「まだ終わらないのか?長いな今回」と思っていたが、まさかその倍までかかるとは。約9か月待ったメインストーリー更新なので、読み物として長いのは純粋にありがたかった。・・・長いのにはそれなりの理由があったが、それは後ほど

・終盤の展開とオチ
 最終版、アヴェンジャー達が排気孔へ向かっていく以降の展開は熱かったと思う。藤丸立香を現実に返しながら結局来てもらって共闘する部分には言いたいことがないでもないが、ここでようやく「共犯者」という言葉が出たことは素直に良かった。
 またアヴェンジャーとの別れはかなり納得のいく理由付けがされており、読後すぐは「アルターエゴはまだ残ってるのに何故アヴェンジャーは消えるのか。EXクラスと向き合い背負ってカルデアスに行くのではないのか」と感じていたが、今では寧ろ「逆にアヴェンジャーと別れるならアルターエゴと別れないのは何故なんだ」と思っている。アヴェンジャーとは本当にいい別れができたのだろう

悪かった点

・(頷く)/(曖昧にうなずく)
 これはライターの癖として以前から認識しているが、ソシャゲの読み物として「どうなんだ?」と思わずにはいられなかった。主人公の意思決定をプレイヤーに押させる意図そのものは分かるものの、そう何度も強い意志で(頷く)を押したことがあっただろうか。邪ンヌの「おはよう」に対して、(頷く)/(曖昧にうなずく)という選択肢が果たして何の意味があっただろうか。せめて、(頷く)/(否定する)のような、方向性の異なる選択肢を準備していただきたい。いつも以上にテンポを崩すノイズと化していた。
 また(頷く)を選択後、実際に藤丸立香が首を縦に振ることで画面が上下に動くのだが、その演出があるならどちらかで十分ではないか。(頷く)を押させない代わりに自動で画面が上下する、(頷く)を押す代わりに画面が上下しない、どちらかだと思うのだが、このゲームはその二つを同時に強いてくる。テンポロスに大きく貢献していただいた

・同じ展開、同じ文面の繰り返し
 試練を迎える→挑むも苦戦し撤退する→作戦(特攻)を立てる→影から新たなアヴェンジャーを呼ぶ→試練を迎える……を何回か繰り返してイドのストーリーは終わった。それだけで面白くなかった。
 文面に関しては好き嫌いがあると思われる。要所は変わっているものの、何度も同じ構文を読むことを強いられたのはかなり厳しかった。正直構文に気づいてしまうと読む気にもならなかった

・ストーリー内での宝具演出
 いつからか採用されるようになった演出であり、かなり好みではあったのだが、イドでは演出過多に感じられた。単純に回数が多かったように思う。     
 またプレイスタイル次第ではあるため仕方が無いのだが、戦闘の最後を宝具で終わらせた直後のストーリーで、またNPCの宝具演出を見させられるのは割とだるかった。物語終盤のW巌窟王では(おそらく?)ストーリー内専用と思われる宝具ボイスが再生されたが、それでも何か工夫はなかったのだろうか

・カリオストロの存在感
 蘆屋道満と要素が被りすぎており、「またこういう敵か」以外の感想が出てこなかった。マリーオルタを背後からアゾットし、味方と言いつつも隠しきれない怪しさや、実際に裏切りの裏切りで翻り、正体はプリテンダーでしたと明らかにする部分は良かったものの、章ボスとしての格はまるで感じられなかった。安いキャラにするためのレパートリーが蘆屋道満しかなかったのかもしれない。
 「ンンンンンンン」の強調から蘆屋道満を騙るキャラとも考えられ、プリテンダー(詐称者)としては納得できそうな部分ではあるが、プレイヤーからすれば二番煎じでしかない。似た造形のキャラを好むかどうかでここは意見が分かれてしまうと思われる

・家族(母、妹、幼馴染)の最期
 自分の大切な人の顔をしてる人間の最期の姿を見て取り乱すのは分かるが、過去と比べてそこまで衝撃的な場面だっただろうか。今までの旅路の蓄積と合わせて今回のイドで爆発してしまったと捉えてはいるが、お前にはマシュがいるだろ……と思わずにはいられなかった。ダヴィンチはもういないから辛いのかも。そして、ロリンチの今後を薄っすら示唆しているのかな、と気にはなったが気にしすぎかもしれない。
 また私としては、十節のわずかな出番ではこの三人(特に母、妹)に深い思い入れが生まれず、「どうした藤丸立香?」という感じで、いつもより一層主人公との距離を感じてしまった

気になった点

・あなた/わたし
 最後まで読むと意図が分かるのだが、その意図が分かるまでにあまりにも多用されていたと感じる。というか、薄々この表現の意図も気づいていたので、やや主張が激しかったかな・・・と。ただ解説はあったため、納得できる表現方法だったと感じる

・ダヴィンチ(母)、ダヴィンチ(妹)、ブーディカ(手)
 ここ最近そういった画像を意図せず見せつけられるせいでそう見えてしまい大変申し訳ないのだが、初見はダヴィンチがAIイラストのように見えてしまった。そうではないと思うのだが、一度そう見えてしまうと気になって仕方がなかった。
 ブーディカの左手はAIどうこうではなく、さすがにこうならないだろと。実践してみると手首がやや痛いが、これがデフォルトの人もいるかもしれない

・学園が舞台であること
 別に学園パロディ風が寒かったとかではなく、寧ろSNを感じることもあったのだが、何故舞台だったのかはあまり良く分からなかった。藤丸立香を復讐者に差し向けるための舞台として、またその舞台に適した役者である家族や同級生、後輩の存在を出すためなのかもしれないが、もう少し舞台が効果的に物語内で活きるべきだったのではと思う。カルデアの知り合いの顔をした友人なんて、よっぽどイベントストーリーのようだ

・家族の死後と、叔母との生活
 現場を目撃後、そのままその家に滞在しているのはどういった精神構造なのか。もう壊れてしまっているという事か。離れたくなかったのだろうか。
 また、叔母さんのスカサハ(スカディ?)には思わず吹き出してしまった。その後、殺されることもなく、明確な役割も感じられず、なんならハサンの出番を減らすことに繋がっていく。ハサンに思い入れが生まれないのは、間違いなく終始警護に付いていて出番が少なかったからだろう。役割が無いから担当鯖を出したともいえるかもしれない

・どうせアヴェンジャー達は帰ってくるだろうという読み
 マテリアルにおいて、アヴェンジャーの一部はLINK LOST という状態になっており、あの宮本武蔵のように詳細が確認できない状態になってしまったる。でも正直、終章で戻ってくるだろうと思ってしまう。醒めすぎだろうか
 またメインストーリーやイベントストーリーにしばらく参加できないということは確定しているようなもので、好きだった景清はもちろん好きになった邪ンヌの活躍を、おそらくサ終直前まで見れないというのは何とも言えない気分である


終わりに

 9か月待ったメインストーリーだったが、歴代トップクラスに読むのが苦痛だった。元々ツングースカのシナリオを読んだ際に「なんて相性の悪いライターだろう」と思っていたが、改めて私には読むのが無理だなと感じた。
 ストーリーの内容そのものも、同じこと(文面・演出・解決策など)の繰り返しで、もう読んだよと思わずにはいられない。繰り返しのカタルシスを得ることが私にはできなかった。

 Xで感想を探したのだが、藤丸立香への仕打ちに悲しみ、アヴェンジャー達との別れに感情を整理できていないようだ。
 しかし私は藤丸立香ではないため、偽物の家族の亡骸に悲しむことはなく、2016年から巌窟王や邪ンヌと現実時間を過ごしていたわけではないので、フルボイスでの別れを噛み締めることもできなかった。
 
 私にも共犯者がいれば、違った受け取り方ができたのかなぁ


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