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トマトパスタと愛おしさよ春の夜を私たち踊り明かそう

気づいてしまった。
朝起きて、寝癖にバスローブのまま自然とジョージが散らかした食器や洗濯物を片付けはじめ、さらには口笛まで吹いている私に気づいた。

お前は一体何をしているんだ。

窓からゆるやかに朝の日差しが差し込み、古い木の床を照らしている。隣のアパートのネコが、いつも通りの時間ににゃーとひとつ鳴く。
洗濯機が回っているのを確認して、出がらしの紅茶を飲みながら三日前の新聞を読み始める。きょうはこれから掃除機かけて、スーパーに行こう、昨日はサンドイッチだったから今夜はパスタにしようかな?

おっとおっとちょっと待ちんさいよ!
あぁこれはこれは、私の中のアンチ恋愛党代表のお出ましである。
家政婦をやるためにお前さんはこんなところまで来たのかい?
頼まれてもいないのにせっせと家のことをやるなんて、君の脳みそは一体どうしてしまったのだ?!21世紀だよここは?働け女よ、外に出るんだ!
家事をしてご飯を作って男の帰りを待って幸せなんて、狂ってるぞ!

すっかり勝手に新妻気分だった私はやっと正気に戻る――うん、そうだ。
私は、いま狂っている!
そうだよ。そうだこれはやばい。

私は血相を変え光速でシャワーのち身支度、
これはいかん絶対にいかん!と堰を切って、やっと家をでる。
洗濯機はまわしっぱなしだし食器も洗ってないけど、これでいいのだ、私は家政婦じゃないんだ!とひとりライオット状態の私は、とにかく何か人がイッパイいそうなところに行くべしとMONOというカフェバーを訪れる。

Orange Juiceという90年代に流行ったバンドのおじちゃんが病を克服した後の復活記念ステージがしっぽりと行われていた。
窓も扉も開け放されて、昼間の陽気の名残りとゆるやかな西日に照らされて、おじちゃんは歌っていた。
おじちゃんと同じくらいの年代の男女が目に涙をためながら体を動かすたびに、ゆったりと舞うほこりきらきらきらめいて、きれいだった。

すっかりこころがあたたまりイスから微動だにしない人となっていた私は、
ふとグラスゴー初日の夜に出会ったバーテンダーのにいちゃんに
「このバーは絶対おすすめだから行った方がいい」
と教えてもらった店がここの近所だった気がする、というのを思い出した。

ぽかぽかした気持ちのままMONOを後にし、
さてあの店ブラックなんとかとかいう名前だったなとそれらしきバーを探す、とその店はいとも簡単に見つかった。
THE・スコットランドのパブ!と行った感じのクラシックな外装、
中に入ってみると隅から隅までクラシックかつ老若男女バラエティ豊かな客層の店である、これは通好みだなぁ、やっぱあの兄ちゃんセンスあるわーとうなづきながらカウンターでビールを待つ。
と、陽気な白人おばちゃんが踊りながら「あらあなた!さっきMONOにいたわね!」と話しかけてくる。
ドロシーという名の彼女は、よく笑う、これまたTHE・スコットランドのおばちゃん!と行った感じの女性で、私たちはすぐに打ち解けた。
おばちゃんはアーティストを生業としていて、舞台の上で何かわからんがスープを作る劇などをやっているらしい。これ最近の作品なの、といってグミを超アップで撮影し続ける前衛動画などを見せてもらう。
よくここのバーを見つけたねーと感心するおばちゃんに、
とあるバーテンダーのお兄ちゃんに教えてもらったんだよ、などとしばし談笑のちちょいと失礼といって一服しに外に出る。(イギリスは室内完全禁煙である)

やっと空が暗くなってきて、ああ夜が始まるなあという感じが好きだ。
春の夜の、陽気と冷気が入り混じったような空気もたまらなく好きだ。

なんてすっかりポエムモードONの私の名前を、呼ぶ者がある。

「おーい!」

何度もなんども呼んでいる。
誰だ?
と声のする方を見やると、
やたら派手な格好の怪しい男が笑顔で手を振りながら近づいてくる。
誰だ?
「トムだよ!」
「え!」
なんと、例の初日に出会ったバーテンダーのにいちゃんではないか。
珍しく休みが取れたので、ちょうどこの辺で飲んでたとこだったんだというトム、バーテンダーの服装の時とはまるで別人である。ベージュ色のトレンチにヒョウ柄のスカーフ、全身タトゥーに指にも耳にも大量のシルバーアクセサリーでかなりファンキーなおしゃれ男である。
今日たまたまふと思い出してやって来たこの店で、ちょうどトムの話をしていたタイミングでたまたま彼が通りがかるなんて、そんな偶然あるのかい?と、再会にテンションうなぎのぼりの私たちはそのままバーカウンターへ、待っていたドロシーに
「さぁこの方が先ほど話していたバーテンダーです」
と紹介すると手品師か!と大笑いのちすっかり酒の洪水に呑まれた私たちは生バンドの演奏に合わせて謎の踊りを繰り広げ酩酊、その後トムを一晩中探していたらしい彼のガールフレンドから「あんたこんなとこで何してんの!帰るよ!」と猫の子のように連れ帰られたトムを見送り、時計を見るとすっかり0時を過ぎていた。

ドロシーらに別れを告げ、ちょっとした吐き気を抱えながら夜道に出る。
月がでかい。
通りがかったタクシーに乗り込む。
どこへ?
というドライバーに私は自分でも驚くほど自然にジョージ宅の住所を告げると、タクシーは動き出す。
まるでさも自分の家に帰るのよといったような口ぶりの自分が、なんだかおかしかった。
タクシーは空いている大きな道路をぐんぐん進む、
普段見慣れない高層マンションや空き地ばかりの風景がオレンジの光に照らされているのを見ていると、ふと日本を思い出す。

しゃっくりを繰り返しながら、階段なし4階のジョージ宅まで息も絶え絶え帰宅。
そこには、珍しく私よりも先に帰宅していたジョージがトマトパスタを作って待っていた。
夕飯作ってくれてたんならメールくれれば早く帰って来たのに、
というと気にすんな気にすんな、といった仕草をしてから彼はキッチンでパスタを温め始める。
洗濯機に入ったままのはずだった洗濯物が、きれいに干されている。
そこらへんの店で買ってきたのであろう安物のキャンドルが燃えている。もう半分くらいしか残っていない。
時間が経っちゃったからちょっとまずいかも、
と不器用な仕草でパスタを皿に盛り付けている彼の後ろ姿を見ていたら、なぜだか妙に愛おしくなって、私は彼を抱きしめた。

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