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女一代カナダ放浪記 - 001

日本を出てから14日、トロントに着いてからかれこれ11日たった。
まだ11日かと驚く。なんだか一ヶ月くらいはあくせくもがいていたような気がする。
羽田から北京、
北京にて中国人の魅力にばしばしやられてしまって色あせたニューヨーク、
それからとろとろとトロント行きの列車に14時間揺られやっとこさのトロント入りだった。

いまはすっかり秋で、わたしは毎日同じセーターでずうっと肌寒いまま歩いている。
朝おきて、髪の毛と身体を洗って、
そそくさと準備してひたすら同じ場所を歩き回っている。

最初の数日間はホステルにて過ごす。
それから延泊を希望したものの既に予約がいっぱいとのことで宿無し、時はTORONTO INTERNATIONAL FILM FESTIVALのシーズンであった。
どこの宿も一杯でわたしは蛍光グリーンのスーツケースといっしょに中華街をとぼとぼと歩き回る。
さむいなぁと鼻をすすりながら歩いているとなんでだか目頭があつくなってくる。
ごろごろごろごろごろと飽きもせず騒ぎ立てる我がスーツケースの騒音だけがわたしにオウ!サムイなァサムイなァ!としきりに話しかけてくれているような気がしてきて、
勝手にセンチメンタル状態になってしまった。
中華街からスパダイナ駅、
ごろごろとクリスティー駅まで何時間もかけて歩いて、おなかもすっかり減ってますます目頭も熱く、
わたしはえいやっとチャイニーズレストランにすべりこむ。
閑散としたレストランには一組の学生風の男子2人がいるばかりで、
奥から腰の曲がったおばあさんがあらわれる。
サワースープとビーフとチャーハン…とつぶやく、
お決まりの アア? が出た。
サワースープとビーフとチャーハン … アア??
最終的に写真を指差すと彼女はごそごそと奥へ消えていった。
芝居じみたセンチメンタルを漂わせながらわたしは窓際の席を目指した、
するとラテン系の男子学生が
大丈夫か?なにか困っている?
と私に問うてくれた。
こういう時じぶんの先ほどまで漂わせていた困ってるんだよ感が本当にはずかしくなってしまう、
それからぶわっとこみあげるように私は喋り散らした。
彼等は心底やさしかった。
ばかみたいなわたしはめそめそと泣きながらいつの間にか置いてあったチャーハンをすすっていた。
ラテン系の学生と韓国人の学生はルームメイトで、
うちのアパートのオーナーならなにかしら部屋があるだろう
とのことで電話をかけてくれた。
奥からおばあさんと息子とおぼしき店員もじっと事の顛末をみつめていた。
ほんとにいろんなひとに迷惑をかけながらしかわたしはうまく生きれないんだなぁ
とかこんなとこで私はなにしてんだとか
色んなことがぐるぐるめぐってすっかり私は2人を困らせながらすっかり泣きじゃくっていた。
彼等からしたら休日にゆるりとランチを楽しんでいるところにいきなり外国人があわられて目の前でめそめそ泣きながら意味不明な言葉を喋り散らしながら食べまくっているのである。
こんな異様な状態で、よく飽きずに相手してくれたなぁ、、
しかも部屋があるとのことで私は彼等といっしょにドンランズ駅まで移動する。
そこには英語のわからない人の好い中国人のオーナーがおり、
フォロミー!フォロミー!
といわれるままバスに乗り込んで
彼女と彼女の彼氏が住む家の一角を貸してもらい、
私は9月いっぱいそこで落ち着く運びとなった。
トロントにきてから、
そして来るまでも私は中国人に助けられっぱなしである。
彼等のなにもかまわない素朴さと声のでかさと、
そういういろんなものがざっくりとあたたかい。

何日かして、
またお決まりのルートを散歩しているとHIRING NOW(求人中)のポスターのはってあるメキシカンバーを発見し、聞いてみると月曜から来い!とのことで仕事の方はあっけなく決まってしまった。

トロントで中国人カップルと同居しながらメキシカンバーのバーテンダーになるのかぁと私はじぶんでじぶんがどこにいるのやらまだつかみきれないまま、毎日のみつぶれているトロント11日目であった。

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