見出し画像

コクヨサウナ部部長“カワちゃん”を紹介します!

こんにちは!

今回のnoteでは、コクヨサウナ部の立ち上げ人であり部長の“カワちゃん”をご紹介します。


本名は川田直樹。コクヨでは社長室長を務める彼ですが、実は「サウナ伝道師」として業界ではちょっとした有名人です。このnoteを読んでいる方は、すでによくご存知かもしれないですね。

おじいちゃんの影響で幼い頃からサウナに通い、好きが高じてコクヨでサウナ部を立ち上げました。当時一級建築士の資格を持ちながらオフィスの設計や工事の仕事をしていましたが、次第にサウナがワーカーのウェルビーイングに良い影響をもたらす確信を持つようになります。部署の仲間3人と立ち上げたコクヨサウナ部は、今では部員数100名を超えました。その活動は他企業のサウナーたちにも広がり、現在は企業サウナ部連合(JAPAN SAUNA-BU ALLIANCE)へと発展。現在約200社の加盟規模にまで拡大しています。またサウナをライフワークとしている独自の視点や建築士の資格も活かしながら、横浜スカイスパのコワーキングサウナや今話題の富山のThe Hiveのプロデュースなども手がけています。

今回は、カワちゃんのサウナ人生を振り返りながら、サウナ伝道師としての思いや、コクヨ×サウナで今何を仕掛けようとしているのかなど、2回にわたるインタビューをお届けします!



湯船から背中を流す人を観察していた

―カワちゃんがそもそもサウナにハマったきっかけは?

5歳の時、おじいちゃんに奈良の健康ランドに連れて行ってもらったのがサウナの初体験です。今サウナブームで、5年前・10年前ぐらいからサウナにハマった人も多いと思いますが、僕は最近39歳になったので、34年前ですね。変態です(笑)。

―年季が違いますね(笑)

気が付けばサウナのある毎日でした。もちろん「ととのう」なんて言葉もない時代で、周りはおじさんやおじいちゃんばかり。今から考えれば、彼らは今のブームの先駆者ですよね。作業着を着た仕事終わりにサウナで汗かいて、ちょっとした外のスペースで、タオルを首に巻いて仁王立ちするおじいちゃんの姿がかっこよかったんです。

―学生時代もずっと好きだったんですか?

はい、小中学生の時の趣味が、プラモデルづくりと古本屋巡り、そして銭湯・サウナ(笑)。おじいちゃんみたいってよく言われていました。

―子どもにしては渋いですね(笑)。

周りはサッカー・野球、ゲームセンターとかで楽しんでいましたから。僕は親友と二人で、おこづかいを握りしめて、スキあらば自転車で銭湯に通っていました。これを言うとみんなに驚かれますが、僕は男ばかりの三兄弟の次男で、中でも一番おとなしいタイプだったんです。

まだカワちゃんがおとなしいタイプだった時代(黒い服の少年がカワちゃんです)

―今の姿からは考えにくいですね(笑)。銭湯やサウナの何が好きだったんですか?

次男らしい特性かもしれませんが、銭湯での人間観察が好きでした。湯船につかって背中を洗い流す人たちを眺めながら、きっとあのおっちゃんも家帰ったら大家族で野球見ながらビール飲むんやろうな~とか、なんかクールそうな人やから学校の先生やろうか、などと勝手に想像して楽しんでいました。妄想癖があったんです(笑)あとは、ちょっとした優しさの連鎖があることが好きでした。シャワーを使ったあとに向きをそろえたり、ベンチをゆずったり、一声かけたり。ほんわかした空気感自体に癒やされていました。

―たしかに銭湯やサウナって、基本知らない人と一緒なのにどこか親密な空気がありますよね。

誰もが来られて、誰も拒まれない場所です。たまたま一緒になった人たちの名前も知らないし、知りようもないんですが、同じ場所で同じ行動を取るコミュニティ。そんなオープンでフラットな空気感が、子どもながらに心地よかったんだと思います。

―オープンでフラットな感じは、今のカワちゃんからも伝わってきます。

私は小さい頃から空手をやっていたんです。チーム戦ではなく個人競技。群れたり何かの派閥に所属するような経験があまりなかったことも、そういった感覚につながっているのかもしれません。今の企業での仕事は空手とは違ってチーム戦ですが、それでもこのオープンでフラットな感覚は大事にしています。自分がワントップで何かを成し遂げるということにはあまり関心がないです。それよりも自分がハブになって、やりたいことがある人たちをつなげて伴走していく。そうやって関わる人たちの価値を高めながら、全体を観察してプロデュースしていくことが好きです。銭湯で人間観察していた自分ともつながっている気がしますね。

サウナに入れば、一日に二回朝が来る

―サウナと空手好きのカワちゃんのコクヨとの出会いは?

実は中学で空手の日本チャンピオンになり、ありがたいことに強豪校からのお誘いもありました。ただ当時「空手道」はオリンピックの種目になっていなかったこともあり、大好きな空手に別れを告げて、高校からは建築の道に進みました。卒業後コクヨに入社したのは、建築設計や工事管理者としてでした。

―そういう経緯だったんですね。どんな新入社員でしたか?

先ほどもお話したように、どちらかと言えばおとなしい学生だったんですが、社会に出て一気に心が外に開きました。オフィス空間を構築する仕事で、納品後にお客様からリニューアルした空間を見て、直接「ありがとう」と言われることがめちゃくちゃ嬉しかったんです。サウナも空手も自分と向き合うものでしたが、自分が成したことで人が喜んでくれる。これまでの人生にはなかった経験でした。元々スイッチが入るととことんやるタイプなので、仕事で人を感動させるぐらいのパフォーマンスを発揮したいと思うようになったんです。

―仕事とサウナがつながっていったきっかけは?

建築の設計や工事に関わる仕事だったので、せっかくなら目標は大きく、最難関の一級建築士と一級建築施工管理技士のW資格を取ることを自分に課していました。資格取得の平均年齢が40代のところ、僕はそれを20代で取ろうと決めた。その方が、有資格者として若い内からチャレンジできる領域が広がるだろう、という思いでした。そのために、寝る間を惜しんで仕事と勉強に明け暮れました。ただどうしても夜は眠くなってしまう。時間の捻出とモチベートが難しい。。そんな時に思い出したのがサウナだったんです。

―社会人になってもサウナは通っていたんですか?

はい、日課のように通っていました。ある日仕事でクタクタになってからサウナに行って、そのあと勉強したら、まるでもう一度朝が訪れたようなフレッシュな感覚になりました。「これなら1日を2回やれる」って思いました(笑)

―意識高すぎじゃないですか(笑)?

よくストイックだねと言われますが、自分としてはゲーム感覚なんです。やっているうちに面白くなっちゃう。例えば、サウナも複数セットこなしてから勉強だと逆に眠くなっちゃうから、1セットがちょうどいいなとか、水風呂の時間を長くしたらどうなるだろうとか、検証しながらより良い手法を探っていく。まだ今のブームが起きる前だったので、サウナにいるのはおじいちゃんばかり。そんな中、サウナから出たらロッカーの中で参考書を読みながら勉強していました(笑) 

3度のミーティングより、1度のサウナ

―まずは自分の仕事と生活の中でサウナの効能を検証していったわけですね。

はい、自分を実験台に研究するのが好きで、サウナと仕事は相性が良いという実感が自分の中で生まれていました。その後、30代になって管理職になり、チームを持つようになります。そこで壁にぶつかったのが「名プレーヤー、名監督にあらず」じゃないですけど、ストイックにやるのが好きな自分が、決してそういう人ばかりではないチームメンバーをどうマネジメントするかという問題でした。ちょうどチームの中に内向的な若手がいて、そのメンバーにどうやって会議などで発言を促せるか悩んだ結果、思いきってサウナに誘ってみたんです。

―上司にいきなりサウナに誘われたらちょっと驚くかもしれません(笑)

そうですよね(笑)。でも彼はちゃんと来てくれて、一緒にサウナに入りました。当時常連だった横浜のスカイスパです。そのまま館内のレストランで一緒に食事をしましたが、彼の方からプライベートの話もしてくれて、嬉しい驚きでした。たぶんサウナに入るという共通体験を経て、リラックスしつつも仕事の時とは違う顔が見えて、心理的な距離が近くなったのだと思います。会社のことは会社で解決することがもちろん最短距離ですが、あえてプライベートの体験をはさんで一見遠回りすることが、逆に近道になるんだと気づかせてくれた経験でした。

―サウナが仕事のコミュニケーションも円滑にしてくれると

そうです。この経験を経て、仕事を成立させたい人と3回ミーティングするなら、1回サウナに行った方がいいなと思うようになりました。この頃には、リフレッシュにもコミュニケーションにも、ワーカーのウェルビーイングにサウナが効くという確信を持っていました。ワークプレイスや働き方を提案する仕事だったのもあり、どうにかこの経験を世の中に伝えていきたいと思うようになりました。

コクヨサウナ部発足当初

あまりの意識の高さにちょっと引いた方もいるかもしれませんが(笑)、カワちゃんのサウナ人生前編はいかがったでしょうか?働く人のパフォーマンスにサウナが寄与するということを、自らの体験をもって実感したカワちゃんは、持ち前の“とことん”さで周りの人をどんどん巻き込んでいくことになります。

次回は、コクヨサウナ部が生まれた経緯や、現在関わっているサウナ関連の新事業について聞きます。お楽しみに!