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過食する人の目

都内での『ザ・ホエール』の上映は終わってしまったようだ。
できればもう一度映画館に行きたいと思っていたのでちょっと残念だけど、いずれAmazonやNetflixで配信が始まるだろう。

鑑賞後、私はずっと『ザ・ホエール』のことを考えていた。
摂食障害と心の問題をテーマにした映画は多々あるが、なぜこの映画だけ強くひっかかっているのか、理由がやっとわかった。

270kg超の体重を抱えるチャーリー役、ブレンダン・ブレイザーと「同じ目」をした人を私は知っている。

Iさんの食欲

20代の頃お世話になった上司Iさんは、チャーリーと同じ、とは言わないものの、それなりの恰幅の良さだった。
肥満に分類される体形ではあるが、身長も高く筋肉もあり、学生時代はラグビーをやっていたことを聞いていたので、私は「大きい人なんだな」ぐらいにしか思っていなかった。

ある時、部署で飲み会を開催することになり、数名で麻布十番の焼肉店に行った。
予約の時間までに着席し、みんなでコースメニューを眺めていると、10-20分遅れてIさんが登場し、さあ乾杯、となった。

サラダ、肉、チャプチュ、チヂミ、クッパ……。

和気藹々とおなじみの韓国料理を食べ進め、みんな満腹になってきた頃、誰かが何気なくIさんに遅れた理由を尋ねたのだが、私はその答えにちょっとびっくりした。

「コース料理だと足りないから、焼肉を食べる前に、ラーメンを食べてきたんだ」

……。

その時、Iさんは40歳をとっくに超えていたので、想像以上に食べる人なんだと、私は初めて気づいた。

そして、焼肉から1-2か月しない間に別の会食の機会があった。
たしか中華のコースだったと思うが、みんなで楽しく飲んで、食べて、さあそろそろお開きかと思っていたタイミングで、おもむろにIさんが切り出した。

「足りないから料理を追加する」

みんな最初は冗談だろうと思っていたが、デザートをつつきながら歓談する人たちをしり目に、Iさんは、チャーハンやら焼きそばやらをオーダーし、ひとりで黙々と食べ始めた。

ものすごいスピードで、わき目もふらず、数人でシェアする料理をたったひとりでかきこむIさん。

あの時のIさんは、なんて表現していいのか躊躇してしまうが……。
いわゆる「イッちゃってる目」だった。

最初のうちは周りも「よく食べるねー」なんて笑ってみていたが、Iさんのただならぬ様子にびっくりし、そして、触れてはいけないものには触れないでおこうと自制心が働いたのか、食べ終わるまで誰も話しかけなかった。

Iさんのあの時の目は、羞恥心と怒りの感情にせき立てられ、大判のピザを何枚も貪るチャーリーの目だった。

今では、摂食障害がメンタルの問題に起因することは広く知られるようになったものの、身近な人が摂食障害でも意外に気が付いていない。
極端に痩せている人に対しては、「病気?」とか「ダイエットしてそう」とか、勝手に憶測してしまうが、肥満の人に対しては、「太ってるんだな」ぐらいで、「なぜ太っているのか?」まで思考のリーチが届いていない。

Iさんの目を見てしまった私はIさんが「食べたい」のではなく「食べることをやめられない」のだと気づいた。

ぽっかり空いた穴

一見、体が大きい人はおおらかな性格のように思ってしまうが、Iさんは、神経質で陰険で重箱の隅をつつき、部下に意地悪をするところがあった。

相手が自分になびいているうちはいいが、こちらから少しでも距離をとると、わかりやすく攻撃を仕掛けていた。

ネチネチネチネチ。
大きな体で立場の弱い部下をいつまでもいじっていた。
ターゲットは決まって気の弱そうな、不器用な男性だった。

立場の弱い相手を攻撃するIさんの目は、チャーハンを貪る時のように、険しくも虚無だった。

Iさん、なぜそんなことするの?
はた目で見ている誰もが感じていたが、報復を恐れ誰も口にしはなかった。

私も最初のうちは良好な関係を築いていたが、Iさんの元を離れてから一時、度を越した干渉をうけることがあった。
当時の上司が介在してくれたので、大事には至らなかったが、退職まで、Iさんに関わると胸がキリキリ痛んだことは確かだ。

わかっているのに

私は転職してもう5年になるので、映画を観るまでIさんのあの目を忘れていた。

Iさんは今でも焼肉の前にラーメンや牛丼を食べるのだろうか。
コース料理の後に、単品で炭水化物を追加して貪るのだろうか。
気の弱い部下にネチネチやってるのだろうか。

もし、Iさんが『ザ・ホエール』を観たらどう思うのだろう?
アメリカの僻地で極端な食生活をする、極端な境遇の、極端な男の話だと切り捨てるだろうか。
あるいは、ぽっかり穴の空いた心を埋めるためにジャンクフードを貪りまくるチャーリーに想いを寄せるだろうか。

チャリーは娘のエリーへの罪悪感、恋人の死への癒せぬ悲しみ、外出が困難になるまで肥大化した体への嫌悪感を背景に、緩やかな自殺の手段として暴食をしているが、Iさんはなぜ食べるのだろうか。

きっとIさんは自分の穴に気づいても気づかないふりをするのだと思う。

Iさんの世代は、メンタルの問題を抱えていること、キャリアの妨げになる事実は徹底的に隠すように刷り込まれてきた世代だから。

食べる行為、胃腸と脳と心は切り離せない。
どんなに常識人を装っても、食事の時、自分の内側が露呈してしまう。

食べるって楽しいけど苦しいんだろうな。





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