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若き角栄の血は叫ぶ(1)(2015)

若き角栄の血は叫ぶ
Saven Satow
Dec. 31, 2015

「学歴もなく出身も名家の出ではなく、党内長老の信望もなく大統領も信任していないようだが、党内の実力者であり選挙で与党たる国民党の圧倒的勝利を作り上げた中心実力者であり、総理となりたる由なり。(略)打てば立ち響くような頭の働きの鋭いものを持っている」。
岸信介『岸信介手帳』

1 代議士田中角栄の誕生
 1946年1月2日、27歳の青年が東京から郷里の新潟に向かっている。この4月に実施される総選挙に新潟2区から立候補するためである。

 青年の名前は「田中角栄」と言う。

 角栄は「若き血は叫ぶ」と題する演説原稿を手に有権者の前に立つ。彼は1年の3分の1も雪に閉ざされる人々に次のように訴えている。

「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」。

「越後の人間はこれまで西の海にすとんと落ちる夕陽しか見てこなかった。いいですか、みなさん、私がかならず皆さんに、東の海からゆらゆらゆったり昇る朝日を見せてあげる。約束しますぞ。越後山脈のどてっ腹に穴を開け、拘束の鉄道を建設し、道路を通し、二時間か三時間で東京に着くようにしてみせる。そうすれば朝日が確実に見られる。そうでしょう、皆さん」。

 いくつかの書物で紹介されているが、角栄の演説が正確にそうだったというわけではない。人々の記憶などからおそらくこのような内容だったと見られている。

 当時、太平洋側が表日本、日本海側は裏日本と呼ばれている。両者の間の歴然たる格差を是正する。それは選挙区の有権者が共通して抱く願いである。角栄も彼らとの共通認識を持っている。彼はその状況から政治家を志す。政治家としての課題を地域間格差の是正と有権者に語っていく。

 憲政史上、新人立候補者の選挙演説が後々まで語り草になるケースは皆無である。角栄が唯一の例外と言って差し支えない。それは彼が民衆の中から生み出された政治家だからだろう。戦前の政党政治家は、私学出身者が大半とは言え、高等教育を受けている。旧制高校の学歴貴族ではないにしろ、インテリ層に含まれる。一方、角栄は民衆を指導する知識人ではない。民衆の一人として意識を共有する彼らに訴える。その叫びは時を超えて記憶される。

 角栄が訴えた政治課題は地域間格差の是正である。これは『日本列島改造論』(1972)においても中心的テーマである。各種のインフラを整備するのは地域間格差を是正するためである。前者はあくまで手段であって、後者が目的だ。角栄の政治的テーマは格差是正で一貫している。

 田中派は発足から分裂まで党内最大派閥の地位を維持する。角栄の人心掌握術やカネの配り方の巧みさだけでこれだけの勢力を得たわけではない。角栄の政治的テーマは格差是正である。それは国民生活から政治に取り組むことを意味する。こうした生活に根差したミクロな政治は有権者には身近だ。しかも、医療や産業、税制などさまざまな分野がかかわるので、格差是正には多元主義的認識が不可欠である。そのため、田中派に多種多様な人材が大勢集まる。

 それは、中曽根派と比べると、よくわかる。少数派閥の領袖の中曽根康弘は田中派の協力を背景に首相の座に就いている。中曽根派が勢力を拡大できないのは国民生活から政治に取り組んでいなかったからである。彼の政治課題は憲法の変更や軍事力の増強などで国民生活に根差していない。国防にすべてを翻訳する一元主義的な思考は国民生活を二次的な扱いにする。有権者には縁遠く、集まる人材の幅も狭いから、勢力を広げられない。

 田中派のミクロな政治が支配的だったために、90年代以降、その批判が勢力を拡大する。新人や世襲議員は国民生活の向上よりも憲法変更や軍事力強化を訴える。中には格差是正を否定し、平等を悪であると公然と主張する者さえいる。

 こうした議員には志望動機に共通点が認められる。いずれも社会的な状況ではなく、個人的な選択から政治家になっていることだ。もう二度とあんな馬鹿な戦争をしてはならないといった社会的な共通認識から政治家になると、動議が自分の外部にあるから、国民の必要に答えようと活動する。他方、さまざまな職業の中から個人的な理由によって選ぶと、動機が自分の内部にあるので、自らのイデオロギーや信念の実現を追求してしまう。

 マクロ指向の政治家は国民の必要に応えるのではなく、自分の願望を押しつけようとする。彼らはエリート主義者である。天下国家を論じるのが高級な政治で、庶民の生活に気を病むなど低級で些末だというわけだ。そうした政治が支配的になれば、格差は拡大し、社会を貧困が覆っていく。それが今の日本だ。ミクロ指向が政治に不可欠だ。

 熱く叫ぶ角栄だったが、有権者の反応は冷ややかなものである。高等小学校しか出ていない農家の小せがれが何をおこがましいというわけだ。

 結果は11位に終わる。定数は8で、惨敗である。

 しかし、この落選が角栄の闘志に火をつける。有権者から信頼されるため、個別訪問3万件、辻説法5万回のノルマを自らに課す。選挙区を隅々まで歩き、相手の目の高さで話す。人々の表情や市井の空気を感じとる。

 有権者の心をつかまなければ、投票してくれない。票は信頼の現われだ。そのため、角栄はパフォーマンスも行っている。彼は、田植えをしている人を見かければ、新品の革靴のまま田んぼに入り、話しかけている。いつでも水田パフォーマンスができるように、彼は新品の靴を10足以上も持ち歩いている。

 こうした努力と工夫のおかげで「田中角栄」の名は一年もしないうちに選挙区に知れ渡る。

 1947年4月、日本国憲法下で初めての総選挙が実施される。制度も大選挙区から中選挙区へ変更される。角栄は新潟3区から立候補する。結果は手数5名中3位で当選を果たす。高等小学校卒の27歳の青年代議士が誕生する。

 今日、駅前で志望者を含め政治家が演説をしている光景をしばしば目にする。大部分の通行人は興味も示さず、通り過ぎてゆく。演説する理由は度胸を付けるため、顔と名前を覚えてもらうため、自らの主張を訴えるためといったあたりだろう。しかし、この演説は根本的な間違えに立脚している。一方通行のコミュニケーションでしかないからだ。その政治家が有権者に支持され、投票されるには信頼されていなければならない。お構いなしに一方的に話す人物に人はその思いを抱かない。

 信頼を得る行動を物語るのがイラクにおけるデヴィッド・ペトレイアス将軍のゲリラ対策である。アメリカ軍がイラクに進駐して以来、ゲリラによるテロが頻発する。発生を減らすには民衆の支持を獲得しなければならない。そのためには、民衆がアメリカ軍や政府につねに守られていると思えるようにする必要がある。そうした意識があって初めて民衆は政府を信頼する。

 民衆が恐れるのはゲリラの報復である。ところが、このニーズにアメリカ軍は応えていない。攻撃や戦闘が必要と判断される時だけ出撃し、普段は基地内にとどまっている。ゲリラは、当然、米軍のいないのを見計らって民衆を襲う。これでは民衆が信頼するはずがない。

 デヴィッド・ペトレイアス将軍はゲリラ対策をその殺害ではなく、民衆からの信頼を米軍が獲得することと考える。ゲリラは民衆の中で活動する。住民は誰がゲリラか知っている。米兵にはアラビア語を話すゲリラとアラビア語を話す非ゲリラの区別などつかない。米軍が民衆から信頼され、協力を得られれば、ゲリラは活動の環境を失い、生きていけない。民衆の安全を保障することは、自らが彼らから守られることにつながる。

 ペトレイアス将軍は、各地域に小さな基地を設置し、そこから頻繁に部隊をパトロールに出す戦術を採用する。その際、車両から降りてできる限り民衆の中を歩き、サングラスを外して、言葉を交わすことを求めている。基地が小さくなれば、ゲリラの攻撃には弱くなる。また、パトロールはまちぶせされる。しかし、民衆と米軍を隔てていた壁はなくなる。

 米兵が日常的に民衆の間を歩く。彼らは民衆と目の高さで会話を交わし、お茶を飲み、お菓子を口にする。こうしてアメリカ兵が民衆の隣人として暮らすようになる。信頼とお互い様に基づく人間関係を「社会関係資本」と呼ぶ。住民と米兵の間にこれが蓄積している。民衆は隣人を信頼して協力し、ゲリラに殺させることはしない。情報提供もある。

 街を歩き、眼の高さで人々と会話する。双方向的なコミュニケーションによって相互信頼が生まれる。選挙活動も同様である。

 角栄がなぜ選挙に強かったのか理由は簡単である。信頼を得るために努力を惜しまないからだ。信頼とお互い様の社会関係資本が角栄と有権者の間で蓄積している。それがなければ、有権者は別の候補に投票するか、棄権するだろう。当選できない立候補者は選挙区を隅々まで自分の足で歩き、眼の高さで有権者と会話することを怠っている。当選したければ、歩き、言葉を交わすべきだ。名前を連呼する選挙カーに乗って手を振る候補者の姿はハンディーの米兵と同じだ。

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