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「岩手」の由来から見る日本社会(2015)

「岩手」の由来から見る日本社会
Saven Satow
May, 10, 2015

「今も昔も変わりなく」。
『まんが日本昔ばなし』

 地名には由来がある物です。固有名詞は、普通名詞と違い、なぜそう呼ばれるようになったのかをたどることができます。もちろん、由来は事実と言うより、伝説の場合も少なくありません。けれども、そうであるからこそそこに人々の知恵や教訓、願望が込められているものです。

 パリの世界遺産センターは、2015年5月4日、イコモスの勧告内容を日本政府に伝えます。それは8件23資産に及ぶ明治の産業革命遺産を世界遺産に登録することを勧告する者です。その中に含まれる橋野鉄鉱山・高炉跡は岩手県にあります。

 この「岩手」の由来は今の日本社会を考える際に示唆を与えてくれます。盛岡市三ツ割の東顕寺(とうけんじ)に注連縄が張られた三つの大石があります。この石は岩手山が噴火した際に飛んできたと言われ、「三ツ石様」と人々の信仰を集めています。この意思をめぐる伝説が「岩手」の由来なのです。

 この伝説にはいくつかのヴァージョンがあります。今回は『まんが日本昔ばなし』で1982年02月27日に放映された「岩手」を紹介しましょう。制作は演出小口稔、文芸境のぶひろ、美術門屋達郎、作画門屋達郎です。

 昔々、そう今の岩手県辺りに国もできていない頃の話です。そこに「三つ石の神」が住むようになり、三つの石の上で眠りこんでしまいます。よだれをたらしてすっかり熟睡です。長く眠っているものですから、草や木が生え、土も積もり、とうとう姿が見えなくなってしまいます。

 この辺りにはわずかな数の人と獣が住んでいるだけです。彼らは助け合い、分かち合って仲良く暮らしています。

 けれども、ある時、羅刹鬼(らせつき)という一匹の鬼が現われ、力ずくで食べ物を一人占めにしてしまいます。横暴さに憤った人や獣たちは話し合い、鬼に戦いを挑むことにします。最初に人の中でも血気盛んなものが鬼退治に出かけますが、誰一人戻ってきません。次いで熊、狼、鹿、猿が戦いに向かいますけれども、やはり戻ってくるものはいません。鬼は、毎日瓶いっぱいの生き血を住処の岩屋に届けろと人や獣たちに命じます。

 その最初の日、こんなことには耐えられないと人が感情を爆発させます。年老いた熊がなだめ、神さまに拝むことを提案します。何しろ、久しぶりです。人が手を打つても、反応がありません。もう一度行うと、よだれをたらした寝ぼけ眼の神さまがようやく起き上がります。集まった者たちから鬼の悪行を聞くと、その住処の岩屋に向かって走り出します。

 神さまと鬼の戦が始まるとみんな固唾を呑んで見守っています。ところが、神さまは不思議な力を使い、鬼を宙に舞い上がらせます。神さまがかけ声を発すると、それに合わせて鬼は滑稽な格好で踊らされます。今まで怖かっただけに、人も獣もその姿に笑い転げてしまいます。鬼はとうとう神さまに自分の悪行を謝ります。

 鬼は神さまにこの土地から出て行き、二度と来ないと約束します。その証に神さまの三つ石に大きな手形を残します。本当はこの地が好きで、離れたくはないのです。けれども、鬼は名残惜しそうに去っていくのです。

 この岩の手形の伝説が地名の由来です。「岩手」は「災いが二度と来ない」という意味です。その災いは力にものを言わせる独裁者による独占です。この昔ばなしの教訓は今の日本社会にも通じます。

 鬼が外からやってくるという設定を見逃してはなりません。暴君や独裁者による支配は、住民が自己決定できないので、外国人によるそれと同じだからです。為政者がたとえ自国民であっても、独裁は占領だと住民は認知すべきなのです。

 さらに、この伝説の興味深い点は鬼を追い払うのが血なまぐさい戦いではないことです。恐怖で支配してきた者たちに笑われる中で鬼は許しを神さまに乞います。それを誘う神さまにしても、よだれをたらして寝入っているように、愛嬌があります。暴力は暴力の連鎖を招きます。恐怖は笑いによって崩されるのです。

 おそらく岩手はほんの一例にすぎません。各地の地名の由来の物語にも現代に通じるものがあるでしょう。語り継がれてきた物語の社会的意味を改めて考えることは今を見直すためにも必要なのです。どんど晴れ。
〈了〉

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