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アメリカの反社会主義(2012)

アメリカの反社会主義
Saven Satow
Sep. 27, 2012

“For the revolution”
Helen Keller

 2012年11月の合衆国大統領選挙が迫る中、保守派の間からしばしばバラク・オバマ大統領に対して「社会主義者」と非難のレッテルが投げつけられる。彼はアメリカの価値観の伝統に反した社会主義者だというわけだ。サウスカロライナ州選出のジョン・デミント上院議員やビーチボーイズのブルース・ジョンストンもそう言っている。しかし、この論理は日本から見ると腑に落ちない。日本の社会主義はアメリカから輸入された歴史があるからだ。

 明治末から大正にかけて、日本の社会主義者はアメリカの動向に強い影響を受けている。幸徳秋水や片山潜、安部磯雄、堺利彦、金子喜一、鈴木茂三郎などはいずれも米国滞在経験があったり、アメリカで出版された書物を読んだりしている。中でも、堺利彦は、今日から見ても、非常にバランスよくアメリカの姿を認識している。

 明治維新直後、日本の新たなエクゼクティブにとってアメリカは自由の国である。彼らは、英国から独立を戦いとった米国に幕藩体制を打倒した自分たちを重ね合せている。ところが、明治20年代にその評価が一転する。立憲君主制の帝国を日本が選んだときから、アメリカは悪しき平等主義の国と見なされるようになる。

 さらに、1905年に日露戦争で勝利した日本にとって、1898年に米西戦争に勝ったアメリカが太平洋を挟んで対峙する仮想敵国であるとする時事評論が人気を博す。日米決戦のシナリオまで出版される有様だ。アメリカは軽薄な物質文明の国であり、堕落した拝金主義の国であり、寒々とした弱肉強食の個人主義の国であると侮蔑的論調がエリート層の間で語られる。この風潮は敗戦まで続く。一方で、大衆は映画や音楽などアメリカ文化の受容に積極的である。戦時統制の下でこの動きは当局と自粛によって抑えこまれたが、戦後すぐに復活する。

 いずれの場合も、アメリカを断片化し、自分に都合がいいようにそれを全体像として把握している。しかし、社会主義者たちはそうした抽象化を避け、等身大のアメリカを把握しようとしている。

 彼らが接触したとき、アメリカでは資本主義の矛盾が噴出し、その改良を目指す革新主義が社会的な広がりを見せている。社会主義はそうした動向の一つでもあり、その運動は隆盛の真っただ中である。

 日本の社会主義者たちは、アメリカの内部からの改革の運動を認識していたために、一方的な見方に陥らなかったと考えられる。合衆国には良い面もあれば、悪い面もある。その上で、アメリカ人は社会をよりよくしようと奮闘努力している。そこから自分たちも学ぶところがある。

 1901年にアメリカ社会党が結成されて労働運動が組織化されると、その勢いを連鎖的に拡大していく。党員数は創設時の1万人から12年には11万人を超えている。社会党の大統領候補ユージン・デブスは12年の選挙では90万票を獲得する。しかも、社会党には多くの著名な知識人も加わっている。アプトン・シンクレアやジャック・ロンドン、ジョン・リード、ウォルター・リップマン、ヘレン・ケラーも党員である。

 今日のアメリカの政治は自由民主主義に立脚している。それはイデオロギーや政策が異なる複数の政党によって行われる議会制民主主義である。けれども、独立戦争を先導したのは自由民主主義ではない。むしろ、共和主義である。共和主義は徳を重視する傾向があり、自由民主主義と必ずしも相容れるわけではない。しかし、1830年までに平等の意識が民衆の間で広まり、共和主義が後退、代わって自由民主主義が支配的になる。

 自由主義と民主主義は別々の思想であり、自由民主主義はその調停もそくは折衷の思想である。折り合いのつけ方はさまざまである。アメリカの調整案は判然としないけれども、平等志向と個人本位の行動様式が顕著だという特徴がある。

 自由民主主義だけが政治原理に位置付けられると、それが孤立主義の根拠としても援用される。1823年、ジェームズ・モンロー大統領が孤立主義を宣言する。アメリカは旧世界に関与しないので、そちらも新世界に干渉しないで欲しい。国際政治の文脈ではともかく、信仰の自由を求めた移民も多いこともあり、精神文化においては建国当初からこの孤立主義の傾向が見られる。

 汚れた欧州からわれらの健全な自由民主主義を防がねばならない。自由主義は欧州では寛容な思想であるが、合衆国においては、こうした経緯のため、異質なイデオロギーに対して非寛容である。中でも、国際的な広がりを持つ運動には著しい反発を示す。19世紀のカトリシズムがその好例である。

 反面、孤立主義を破ってまでも国際社会に関わる必要がある場合、アメリカはこの自由民主主義を持ち出す。われらは他国に干渉しない。しかし、自由民主主義の理想のためには、そうせざるを得ない。その拡張が国際社会におけるアメリカの使命である。確かに、世界が自由民主主義化すれば、それはアメリカ化を意味するので、孤立する必要もない。

 自由民主主義のイデオロギーは依然として合衆国の外交の重要な柱である。「フリーダム・ハウス(Freedom House)」というNGOが世界各国の自由民主主義の格付けを行っている。この組織はCIAに近いことが知られている。ここの自由民主主義の尺度は、従って、合衆国の調停案が基準である。これだけ大掛かりに分析している機関はないので、格付けがほぼ独占状態である。しかし、それは自由民主主義的ではない。なお、日本の自由度は1.5と自由の国であるが、合衆国の1.0よりは劣るとされている。

 自由民主主義が標準的政治信条だとしても、それが社会主義と対立するわけではない。実際、アメリカ社会党は選挙に参加している。両者が敵対すると捉えられるようになったのはウッドロー・ウィルソン大統領の政策からである。彼は、施策のため、反社会主義として自由民主主義を規定している。

 ウィルソンは、1917年4月2日、ドイツへの宣戦布告を連邦議会に要請する際、「民主主義にとっての安全(safe for democracy)」を理由として挙げている。それはアメリカの自由民主主義の理想を国際社会に広めることを意味する。実際には、米国の世論にもさまざまな理由からの参戦への反対があったが、自由民主主義の下にすべて抑圧されることになる。

 ウィルソンは、防諜法や治安法など各種の法律を制定し、戦争遂行への邪魔者を排除する。特に標的にされたのが社会主義者である。ボリシェヴィキが権力を奪取するや戦争から降りたように、彼らは自由民主主義のための戦いに水を差す。反戦論者のユージン・デブスは、20年、防諜法違反で禁固10年に処せられる。また、労働条件改善のストライキは戦争妨害とされ、何千人もの活動家が逮捕されている。さらに、エンマ・ゴールドマンのような外国籍の社会主義者は国外追放される。

 アメリカの参戦は戦力よりも、心理的効果として流れを決する。18年11月11日、ドイツは降伏、大戦は終結する。しかし、言論弾圧は止まらない。政府はロシア革命の影響を懸念し、赤狩りの政策を実施する。戦争が終わったのだからと労働者も待遇改善を目的としたストライキを行うが、しばしば州や連邦の軍がそれを鎮圧している。ウィルソンは18年1月に14か条を講和提案として国際社会に訴えたけれども、これもボルシェヴィキの「平和に関する布告」への反論である。自由民主主義は、ウィルソンによって、このように反社会主義として規定される。

 ウィルソンは自由民主主義を反社会主義として措定したが、当の社会主義を定義していない。当時、社会主義者は主にそれを自認している人のことである。彼らは参戦に反対しているから、自由民主主義に敵対するのが社会主義と導き出せる。しかし、それはアメリカの価値観に反する思想が社会主義という拡大を招く。この場合、社会主義は対立項としてのみ認知され、内容は問われない。

 そうなると、自由民主主義自体も怪しくなる。伝統的価値観対社会主義という対立軸が独り歩きしてしまう。社会主義を断片化してそれを全体像に仕立て上げ、自分の政治信条を脅かす政策をそう呼び始める。

 社会主義に類似する思想として共産主義があるが、このレッテル貼りとしての用法もアメリカ独特である。共産主義は東西冷戦の文脈で、共産諸国への姿勢をめぐって、使われる。その定義は1947年のトルーマン・ドクトリンに由来する。そこでは自由主義に対立するイデオロギーとして認知されている。社会主義が民主主義との対立項として把握されたのと同様、素朴な図式である。「共産主義者」のレッテルは、実際には、単純明快でせっかちな保守派が複眼的な外交認識の自由主義者に対する罵倒である。

 保守派は自分たちがアメリカの伝統的価値観に従っていると信じている。実は、保守派は共和主義に回帰している。共和主義は共和政ローマに由来し、権力を分立させてお互いに牽制させて独裁者の登場を防ぐという政治思想である。ローマにおいて共和政の軸は元老院=貴族階級と民会=平民階級の均衡である。貧困層の救済は独裁者が自らの権力を強化する手段とされている。

 一方、合衆国建国当時の近代共和主義は司法・立法・行政の三権分立が重点である。ところが、今の共和主義は、古典時代同様、社会階層間の牽制へと変容している。財政出動などオバマ政権の政策が反古典的共和主義であるのは確かで、保守派はそれに対して「社会主義」を使っている。保守派の言う「社会主義」は反共和主義である。

 現在でも、少数ながら、アメリカには社会主義者を自認する団体が活動している。彼らの中には、オバマ大統領に対する「社会主義者」のレッテル貼りに反発を覚えている人もいる。自分たちこそ社会主義者だと自尊しているからだ。

 日本では、社会主義と言うと、一般的には金融機関や基幹産業の国有化がイメージされる。そうした知識からは米国でオバマ大統領が社会主義者扱いされる理由がよくわからない。歴史を知ると、その謎が多少なりとも理解できる。
〈了〉
参照文献
阿部齊他、『現代アメリカの政治』、放送大学教育振興会、1997年
亀井俊介、『アメリカ文化と日本』、岩波書店、2000年
野村達朗、『フロンティアと摩天楼』、講談社現代新書、1989年
Freedom House
http://www.freedomhouse.org/


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