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愛なき結婚─アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人(2007)

愛なき結婚
─アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人
Saven Satow
Mar. 07, 2007

「説明されていない夢は読まれていない手紙と同じである」。
タルムード

 ジョージ・W・ブッシュ大統領は、2007年1月23日、イラクへの追加派兵を盛りこんだ一般教書演説を行う。大統領はすでに2万人増派を発表しているが、民主党からだけでなく、共和党からも批判が噴出する有様である。おまけに、像派の発表後、イラク国内でテロが続発し、さらに、イランとの関係悪化を招いている。

 今回の演説で目を惹くのは、イラクだけでなく、エネルギー問題への言及である。環境問題に積極的に触れるのは政権発足以来初めてだ。

 いずれの課題も中東やイスラム圏と密接な関係があるわけだが、その地域の情勢はパレスチナ問題に帰着する。この難問は当事者のイスラエル=パレスチナ双方だけでなく、アメリカの積極的関与なくしては、解決できない。

 しかし、常に問われているのが合衆国のダブル・スタンダードである。パレスチナと比べて、イスラエルの肩を持ちすぎている。この偏向により、イスラム圏で米国に対する根強い不信感がある。イスラエルへの非難決議を国連で採択しようとしても、アメリカが拒否権を行使して妨害している。

 2006年10月現在、外務省は、イスラエルに関して経済協力の主要援助国の項目について次のように記している。

米(建国以来、多額の有償無償経済援助を実施。98年までの総額は800億ドル弱に達している。対エジプト平和条約締結後の1981年以降は全額無償援助となり、85年以降は経済援助12億ドル、軍事援助18億ドル)。イスラエルの提案を踏まえ、99年より、米の経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとされている。(但し、その半額は軍事援助の増額分として振り分けられる。)

 けれども、合衆国政府は、イスラエルを建国当初から必ずしも贔屓していたわけではない。ハリー・S・トルーマン大統領がイスラエルを承認した時、ジョージ・マーシャル国務長官はそれに反対している。また、スエズ動乱の際には、英仏ならびにイスラエルに対し、エジプトからの撤兵するようにと圧力をかけている。米国がイスラエルに甘くなったのは東西冷戦が激化した第三次中東戦争からである。

 アメリカにおいて、ユダヤ人は全人口の約2%程度である。これはイスラム教徒よりも少ない。二大政党制の下、わずかな票の違いで選挙結果が左右されることから、議会もホワイトハウスも豊富な資金力と強固な組織票を抱えたユダヤ人コミュニティの動向を無視できないために、イスラエルを支援していると一般に考えられている。確かに、世界の都市の中で最もユダヤ人が住んでいるのはエルサレムではない。ニューヨークである。

 けれども、トーマス・L・フリードマンの『ベイルートからエルサレムへ』によると、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の間には認識の違いがある。

 トーマス・フリードマン(Thomas L. Friedman)はアメリカ出身のユダヤ人である。『ベイルートからエルサレムへ(From Beirut to Jerusalem)』には中東赴任中の経験が書かれ、特に、レバノン内戦、イスラエル・パレスチナ関係を主題としている。この著作は、建国直後、イスラエル当局がパレスチナ難民を撮った映像をすべて押収したため、その姿が現在に至るまで世界に伝えられていないと言及していることで知られている。増補版が90年出版という制約もあり、またパレスチナ側の記述に関しては不備が目立つものの、ユダヤ人をめぐって興味深い分析を示している。

 アメリカのユダヤ人は同じユダヤ人だから無批判的にイスラエルを支持し、彼らの票欲しさに合衆国政府が同国に肩入れしているというのは、短絡的な見方である。ユダヤ系アメリカ人は、彼によれば、イスラエルに対して誇りと恐れのアンビバレントな感情を抱いており、イスラエルのユダヤ人とアメリカのユダヤ人の両者は文化も言語も共有していない。

 イスラエルが全世界のユダヤ人に対して移住を呼びかけた際、アメリカで応じた者は少ない。それどころか、キッスのジーン・シモンズが、幼い頃、母に連れられて渡米したように、移り住んだイスラエルをあとにアメリカへ行く人もいたくらいである。フリードマンは、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の関係は、愛や相互理解ではなく、アメリカのユダヤ人は「色」を、イスラエルのユダヤ人は「金」を求めての利害による「結婚」のようなものだと譬えている。このカップルに愛はないというわけだ。「そのような和解の第一歩は、常に、物事の始まりにある調和を素朴に信じることを拒絶することにある」(ポール・ド・マン『アルベール・カミュの仮面』)。

 両者を結びつけているのは、過去によって作られたイスラエルのイメージである。イスラエルのユダヤ人はナショナリズムによって、イスラエル国家を維持していると考えている。しかし、第一次インティファーダ後、アメリカのユダヤ人は、作られたイスラエルではなく、真の姿を知ることになる。フリードマンは、イスラエルのユダヤ人はイスラエルの状況に涙を浮かべるが、アメリカのユダヤ人は怒りと恥ずかしさを感じると言っている。後に述べる通り、イスラエル建国という「民族誌(Ethnography)」の正典化がアメリカのユダヤ人をイスラエル支持に回らせているのにすぎない。イスラエルへの非難はこの正典への異議となるため、彼らはそれをしない。この後ろめたさなどの複雑な感情に基づいてユダヤ系アメリカ人はイスラエルを支援しているのであって、それがイスラエルの横柄な態度を助長している。

 今日、イスラエルを支持することがユダヤ人のアイデンティティにつながるという通念がある。実際、フリードマンも、欧米から多くのユダヤ人が自分探しのためにかのカナンを訪問すると書いている。イスラエル建国が伝統的な宗教的意味としてのユダヤ教徒と言うよりも、近代的なユダヤ人のアイデンティティを与えている。

 けれども、この建国以前、シオニストがユダヤ人の主流派だったわけではない。フランス革命によって欧州のユダヤ人のゲットーからの解放が始まる。その過程で、ユダヤ人はいくつかの派に分かれ、シオニズムはその一つにすぎない。

 まず、ユダヤ性を極限まで縮小させ、ヨーロッパ社会に同化しようとする「ハスカラー」と呼ばれるユダヤ啓蒙主義運動が生まれる。その代表的理論家がモーゼス・メンデルスゾーンである。特に、ドイツやフランスで極端な愛国主義に走るユダヤ人も現われてくる。

 しかし、解放されたユダヤ人に対し、厳しい差別が待ち構えている。最も有名なのがフランスで起きたドレフェス事件だろう。

 そこで、新大陸への移住が活発化するが、と同時に、ユダヤ性への回帰の動きが生じる。それは二つに大別できる。

 一つがエルサレム市街の丘であるシオンへ帰ることを主張するシオニズムである。彼らは同化主義の道は閉ざされたのであり、ユダヤ人の国家を作る以外残されていないとパレスチナへの移住を呼びかける。当時湧き上がっていた国民国家体制とナショナリズムの影響を受け、それをイデオロギーに建国運動を進めていく。彼らはユダヤ教から独立したユダヤ国民国家にアイデンティティを見出す。

 もう一つは正統派連合と呼ばれるユダヤ教に忠実な人たちである。シオニストは世俗派であり、別に神権政治の体制を構築しようとしているわけではない。政教分離が原則である。しかし、幅はあるものの、正統派連合は宗教国家イスラエルを目指している。ユダヤ教規範を国家原理に昇格させようとし、彼らはシオニストを近代への屈服者と批難する。

 当初、シオニストと正統派連合は対立していたが、1935年、両者は建国運動で連携する。けれども、それに不満を覚えた少数派が離反していく。「超正統派」と呼ばれる彼らはメシアによる真のユダヤ国家の建設を信じており、ユダヤ人の国は神が創るものであり、人為的にそれを企てることはもってのほかだと考えている。

 逆に、ユダヤ性を否定する急進的なグループも登場する。彼らは革命を通じて現体制を打破し、普遍的な社会主義・共産主義社会を建設することに取り組んでいく。アイザック・ドイッチャーが「非ユダヤ的ユダヤ人」と命名したL・トロツキーがその典型である。

 結局、ホロコーストの体験から、シオニスト主導の下で、イスラエルが建国される。ところが、建国自身を目的としていたため、より正確には、建国こそがユダヤ人の置かれている現状を解決するという楽観的な信念のため、国家像が欠如したままで誕生したイスラエルは内部分裂に悩まされることになる。

 ここ最近では、一つの政党が単独で政権を担当することはなく、選挙が終わると、連立協議が始まり、不安定な内閣が発足する。しかも、全人口の四分の一は非ユダヤ教徒である。現状を打開するために、首相公選制を導入したものの、混乱を増しただけで、失敗に終わっている。

 社会民主主義的な世俗国家を目指すシオニストとユダヤ教に立脚する神権国家を理想とする正統派連合が手を組んだにしても、建国を優先するあまり、新たな問題を未来に先送りした結果になる。この曖昧さゆえに、イスラエルという国家の存在自体がユダヤ人のアイデンティティに直結してしまう。

 それまで多様であったユダヤの民族誌はイスラエル建国を正当化するものが正典化されていく。この正典に異を唱えることは、それが本当に正典なのかと問いただすことはユダヤ人にとって難しくなる。戦前、ジークムント・フロイトは、シオニズムに反対し、『人間モーゼと一神教』を書き、モーゼはエジプト人だったという仮説を提起している。

 さらにもっと奇異の念を抱かせるのは、ある神が唐突にある民族を《選んで》、その民族が自分の民であり、自分がその民族の神だと宣言するなどという想像である。こうしたことは、人類の宗教の歴史における唯一の例だと信ずる。ふつうは、神と民はたがいにわかちがたく結びついており、彼らははじめから一つのものである。一つの民族が別の神をうけ入れるということは往々にして耳にするけれども、神が別の民を探しだすというのは聞いたことがない。われわれはモーゼとユダヤの民との関係を思いおこすならば、おそらくこの一回かぎりの出来事の理解に接近することになるであろう。モーゼはユダヤ人のもとへ降りてきた、そしてこれを自らの民とした。つまり、彼らは彼によって《選ばれた民》なのである。
(フロイト『人間モーゼと一神教』)

 イタリアの作家プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツからの生還者であるが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を批判したため、イタリアのユダヤ人コミュニティから孤立を強いられ、それが自殺の一因ではないかと推測されている。

 イスラエルの建国運動をきっかけに、今までシオニストとパレスチナ人との間で軋轢や紛争が続いている。けれども、それ以前、イスラム圏に居住するユダヤ人の待遇は決して悪いものではない。そこでは、ムスリムとユダヤ教徒は協力関係にある。

 90年代に入り、東西冷戦というイデオロギー・ポリティクスに代わり、アイデンティティ・ポリティクスが湧き上がる。それはパレスチナ問題ですでに顕在化していたことの拡散である。後世に影響を及ぼした一神教がこの付近で生育したように、ここは世界にとって予兆の場かもしれない。

 ユダヤ人であることは、歴史を見れば、多様ですが、それと同時に、団結を求める動きがあったのも事実である。けれども、建国以降、アメリカのユダヤ人とイスラエルのユダヤ人の「結婚」が端的に告げている通り、多様性よりも統一性が極端に強まってきている。それを維持するために、莫大な防衛費を注ぎ込み、何をされるかわからないと怯えながら、なめられてはいけないとハード・パワーに極端に依存している。 「国家の『強さ』は、国家を担う人々の『弱さ』の証拠である」(ルドルフ・シュタイナー『われわれが必要としているもの』)。

 しかし、ユダヤ人は、律法とタルムードを読み解き、文化を愛好し、それに貢献してきたように、ソフト・パワーを尊重してきた伝統がある。「学校のない町は破門される」(マイモニデス)。ユダヤ人にとって、律法の研究は必須である。労働は食べるために行われているにすぎず、ユダヤ教の伝統を勉強する方が大切である。ユダヤの伝統では、神殿を建てるためであっても、子どもの教育を妨害してはならない。民族誌を正典化し、アイデンティティを確認しながらも、その意味で、今ほどユダヤ人が自分を見失っている時代もない。「ユダヤ人のアイデンティティとは、いかなるアイデンティティをも求めぬということのアイデンティティである」(フロイト)。
〈了〉
参照文献
アイザック・ドイッチャー、『非ユダヤ的ユダヤ人』、鈴木一郎訳、岩波新書、1989年
トーマス・L・フリードマン、『ベイルートからエルサレムへ―NYタイムズ記者の中東報告』、 鈴木敏訳、朝日新聞社、1993年
小滝透、『ユダヤ教』、河出書房新社、1998年
徐京植、『プリーモ・レーヴィへの旅』、朝日新聞社、1999年
ジークムント・フロイト、『モーセと一神教』、渡辺哲夫訳、ちくま学芸文庫、2003年
チャーレス・ズラックマン、『ユダヤ教』、中道久純訳、現代書館、2006年
外務省、「各国インデックス(イスラエル国)」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/israel/data.html

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