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八橋検校と障碍(2016)

八橋検校と障碍
Saven Satow
Mar. 17, 2016

「顔をいつも太陽のほうにむけていて。影なんて見ていることはないわ」。
ヘレン・ケラー

 横溝正史の金田一耕助シリーズは歴史的事件・出来事・制度・伝説を踏まえている。それが明示されているケースもあるが、暗黙の前提の場合もある。『犬神家の一族』に登場する宮川香琴は後者の一例である。

 彼女は目の不自由な琴の師匠である。盲目の琴の演奏家と言えば、17世紀に活躍した八橋検校を想起させる。彼は名を城秀と言い、江戸前期を代表する音楽家である。箏曲の父とも呼ばれ、胡弓の弓を改良したことで知られる。

 「検校(けんぎょう)」は、実は、名前ではない。役職である。前近代は身分・職能によって秩序づけられた社会である。視覚障碍者には盲官という官職が用意されている。視覚障碍者は音楽やあんま・針・灸などで社会において活動する。彼らは当道座という自治組織を結成している。

 検校は座をまとめる盲官の最高位である。特別の頭巾・衣類・杖などの所有が許され、大名並みの地位が保障されている。他に盲官では位階順に別当・勾当・座頭などがある。

 なお、銘菓八ツ橋は八橋検校に由来している。その業績を偲んで筝の形状の堅焼き煎餅として生まれている。

 近世において視覚障碍者は音楽の専門家である。八橋検校以外にも多くの音視覚障碍者の楽家が活躍している。金田一耕助シリーズは伝統社会をしばしば舞台にしている。こうした歴史的制度が暗黙の裡に踏襲されている。

 盲官が示す通り、障碍者をめぐる環境が近代より近世が遅れているわけではない。知的障碍者を主人公にした昔ばなしも少なくない。その中には富を始めとして服をもたらす話もある。

 前近代の日本には「福子伝説」と呼ばれる言い伝えがある。障碍者は家に福をもたらす幸運の人間だという内容である。昔ばなしもこの伝説を踏まえている。障碍者がいると、家族がまとまり、助け合う気持ちが強くなり、懸命に働くから、家内安全・商売繁盛というわけだ。

 付け加えると、寺子屋で読み・書き・そろばんを習う子どもの中に、身体障碍者の比率が高かったとされている。識字能力があれば、身体が不自由でも、暮らせる場を確保しやすい。

 家だけでなく、近世では共同体も障碍者に配慮している。村や町、長屋などの人々が助け合い、環境を整備して、障碍者が暮らしにくくないように心掛ける。また、寺院や庄屋などが障碍者の面倒を見ることもある。お互い様と信頼の関係が強化・蓄積されていく。

 近世には地縁血縁以外に、知縁とも言うべきネットワークがある。趣味によってつながる人間関係である。音楽はもちろん、俳句や算術などさまざまである。金田一耕助シリーズでもこのネットワークが登場する。『獄門島』の俳句が一例である。これも暗黙の前提である。

 こうした輪に障碍者も参加している。天然痘により両手に障碍を負った上田秋成はこのような人たちの一人である。

 もちろん、すべての障碍者が共同体内に受け入れられていたわけではない。中には物乞いや乞食になる人もいる。時代の限界はあるけれども、近世社会は障碍者と健常者が想像以上に共生している。

 障碍は能力と一般的に見なされている。しかし、障碍は環境によって意識されるものだ。段差があると、車椅子ではうまく移動できない。それは社会的環境の不備を意味している。自分らしく生きたいというアイデンティティの暗黙の前提がかなわない。

 障碍者の自立支援は関係の増大という観点から検討・実施される必要がある。行動が制約されると、社会的・人間的関係が限定される。それでは、個人のみならず、社会にも関係の資本が増大しない。社会的排除は社会関係資本を縮小させ、社会的包摂はそれを増大させる。お互い様と信頼の関係が強化・蓄積され、それにより社会に幸福感が大きくなっていく。

 障碍と共生する社会には福がもたらされる。これは今も再認識すべき伝説である。
〈了〉
参照文献
花田春兆、『日本の障害者─その文化史的側面』、中央法規出版、1997年

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