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「安倍辞めろ!」の民主主義(2017)

「安倍辞めろ!」の民主主義
Saven Satow
Jul. 02, 2017

「ただいま安倍総理が到着でございます。どうぞみなさん、拍手をもってオマヌケください!」
石原伸晃

 ザ・カーナビ―ツ゚のアイ高野は、『好きさ好きさ好きさ』のサビに入ると、右手のドラム・スティックで前方を指さし、首を左に軽く傾けて、「おまえのすべてを!」とシャウトします。この決めポーズに当時の若い女性は黄色い声援をあげ、すっかり彼にしびれてしまいます。『好きさ好きさ好きさ』のヒットはGSブームの火つけ役になったと言えるでしょう。

 2017年7月1日、秋葉原駅前広場で安倍晋三首相は、聴衆に対して、アイ高野の決めポーズに似たジェスチャーをします。しかし、その口から発せられた言葉はラブ・ソングとはおよそ反対の内容です。「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」。

 安倍首相は都議選の自民党候補の応援演説に立ったのですが、聴衆の間から「安陪辞めろ!」や「帰れ!」の激しいシュプレヒコールが沸き起こります。 それに対し、この自民党総裁は激高して聴衆を指さし、先の言葉を絶叫しています。

 その際、「演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と付け加えていますが、鳩山由紀夫元首相は次のような反論を2017年7月2日9時42分にツイートしています。

安倍総裁が都議選の応援で秋葉原の街頭に立った時、聴衆から辞めろコールが続いた。その際総裁は「自民党は演説を邪魔する行為を絶対にしない」と訴えた。私が政権交代選挙で街頭に立った時、盛んに野次をいただいたが、あれはどなただったのか。野次に反応すると墓穴を掘る。

 選挙は政党や候補者の間の競争です。ライバルに対して政党のリーダーがそう言ったとしても、不思議ではありません。けれども、有権者は政党や候補者にとって競争相手ではありません。「負けられない」も何もないのです。

 他よりも多く票を集めることが勝利ですから、政党や候補者はいかに有権者に支持してもらうか苦心して選挙に取り組みます。有権者もさまざまな情報に接し、周囲と話し合ったり、自分で考えたりして投票先を決めます。競争的民主主義において有権者は投票の選択の自由が認められています。特に、近年、無党派層が最大の多数派ですから、選挙の度に投票先が変わる人も少なくありません。このような状況で政党や候補者が有権者を敵と味方に二分しては支持を広げられません。

 安陪首相が有権者を敵味方に二分することは社会を分割して統治していることを明らかにしています。それは自分に従う勢力のために統治を行っていることです。しかし、これは権威主義の独裁者の認識であって、民主主義の指導者のそれではありません。

 独裁者は法ではなく、恣意によって国家を支配します。胸先三寸で規則や手続きなど制度が変更されては、先が読めませんので、人々は行動を委縮します。独裁者はこうした不安定性への不安から自らに対する恐怖として印象操作します。生命財産などの安全や権益を始めとする利益の獲得のため、機会主義的に振る舞ったり、独裁者に取り入ったりする人が幅を利かせていきます。社会は分断され、卑屈や対立、冷笑などが人々の間に蔓延します。独裁者は分割統治により一致団結して歯向かってくることを防ぐのです。

 しかも、今回の演説会場は広場、すなわちアゴラです。グレコローマンの古典時代、市民は広場に集まり、政治的課題について討議をしたり、意思決定したりしています。民主主義はアゴラで実践されています。その広場において安倍首相は民主主義を否定する発言をしているのです。

 ところが、演説会場にいた石原伸晃経済再生相は、聴衆の異議申し立てに対して、  次のように述べています。

「ある意味で民主主義を否定します。自分たちの主義主張があるならば、自分たちの応援するところに行って主義主張をするのが民主主義の基本でありますけれども、残念ながら反対をすることだけしかできない人たちが、さまざまな会場で選挙の妨害を繰り広げたということは、民主主義を守っていく私たちとしては、情けなくも申し訳なくも思っている」

 彼は近代に始った劇場の民主主義を理解していません。ユルゲン・ハーバーマスは、『公共性の構造転換』の中で、19世紀のヨーロッパにおいて、劇場にこそ公共性があり、民主主義があったと指摘しています。彼にとって、公共性はコミュニケーションに基づいています。

 観衆はさまざまな情報を参考にして劇場の中に入ります。けれども、その評価は実際に見てみなければ判断できません。舞台上のパフォーマンスを鑑賞する際、観客はそれに対し、喝采や非難を表明しますが、そうした「観衆」の中に公開の場における自由な討論=コミュニケーションが確立しています。これが近代民主主義の姿です。

 聴衆が演説者に対して拍手喝采したり、賛辞の声をかけたりするだけが民主主義ではありません。足踏みを鳴らしたり、ブーイングを浴びせたり、抗議を叫んだりすることもまたそうなのです。

 政治家と有権者はパターナリズムの関係にありません。投票行動以外の活動も政治参加に含まれます。選挙の演説会に出向くのもそうした参加の一つです。しかも、今回、聴衆は主に言葉によって首相の演説に異議を申し立てています。暴力的行為を用いて演説を中断させたり、最後までできなくさせたりしていません。選挙集会に足を運び、首相に非暴力的に反対の姿勢を表明する有権者を政党の幹部が非難することの方が民主主義の否定です。

 駅前広場での「安倍辞めろ!」コールは近代民主主義の実践です。それに対して安倍総理は独裁者の認識で対応しています。日本が民主主義国であるなら、安倍首相は辞任して当然なのです。
〈了〉
参照文献
ユルゲン・ハーバーマス、『公共性の構造転換 第2版』、細谷貞雄他訳、未来社、1994年


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