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新聞の宅配制度(2012)

新聞の宅配制度
Saven Satow
Jan. 31, 2012

「僕のアダナを 知ってるかい
朝刊太郎と 云うんだぜ」。
山田太郎『新聞少年』

 日本のジャーナリズム特有の問題として記者クラブ制度が取り上げられる。しかし、それに劣らない独自の制度の問題がまだある。新聞の戸別宅配制度である。

 都市部の住民で、新聞拡張団に嫌な思いをした人は少なくないだろう。紙面の主張と彼らの悪態のギャップに新聞の欺瞞を感じて、憤った人もいるに違いない。けれども、宅配制度の害悪はそれだけではない。

 宅配制度の弊害は新聞記事に目を通すだけでわかる。継続している出来事・事件に関する記事があらましから記されているのは稀である。2012年1月11日に発生した李国林受刑者による広島刑務所からの脱走事件が好例である。一般紙では大半の記事にいつ起きたのかが書かれていない。途中の経過報告にとどまっている。事件のあらましを知るには、インターネットで調べるほかない。

 このような記事が掲載されるのは、昨日読んだ人が今日も同じ新聞を手にとっていることを前提にしているからである。宅配制度による常連さんに向けて記者が記事を作成している。出来事や事件の分析がおろそかになり、報告がジャーナリズムの使命だと錯覚も生まれる。

 途中経過の報告で済むなら、当局の発表を待てばいい。それを垂れ流すことで報道になる。実際、省庁の記者会見では、ろくに質問もせず、一心不乱にPCのキーボードを叩き続けて記事を仕上げている記者の姿が少なからず目につく。

 スタンド販売が中心のアメリカの新聞では、記事があらましから載っている。記事は、概して、日本よりも長いが、一見さんの読者も考慮されている。記事には記者独自の分析が多く盛りこまれ、非常に読み応えがある。

 実は、日本語と英語の過去形の用法の違いも記事に影響している。日本語の過去形は現在までの状態や情報の継続を含む場合が多く、ニュアンスは英語の現在完了形に相当する。「彼が脱走した」は受け手に現在もそれが続いていると了解される。いつを意識的に入れないと、区分が不明瞭で、全体像が把握しにくい。一方、英語の過去形は過去のある時点での状態や情報を指しているだけであって、それが現在まで継続しているかどうかは不明である。”He escaped”は受け手には今はどうかわからないと思わせる。そのため、過去形を用いる際には、時間を指定する必要がある。もし英語の記事でいつが抜けた過去形が使われたら、読者にとってそれは曖昧模糊としたものに感じられる。

 経過報告の記事は日本の新聞の悪癖と言うほかない。新聞はこれまで速報性の強いライバルに脅かされてきている。最初はラジオ、次いでテレビ、近年ではインターネットがそれを売り物に社会に認知されている。新聞はその軍拡競争の圧力から自分たちならではの報道を模索するはずだが、記事は旧態歴然としている。速報性がないくせに、あたかもどこよりも最新のニュースを伝えている口ぶりは滑稽でさえある。

 最近、一般紙の販売部数が低落傾向であるのに対し、小学生新聞は軒並み伸ばしている。その理由の一つにあらましから書かれていることもあるだろう。新聞ならではの役割を小学生新聞が果たしているというわけだ。

 宅配制度の起源は明治時代にまで遡る。1878年、偽記者や悪質な売り子が横行したため、当局の取り締まりが厳しくなり、新聞社は戸別宅配制度を始める。記者クラブ制度の開始が1890年であるから、宅配制度はそれより古くかつ根深い。宅配制度が拡張団を横行させた以上、本来の主旨から言えば、存在理由はない。

 現在、日本の一般紙は全国紙・ブロック紙・地方紙が併存している。これは戦時期に起源を持つ。1942年、総力戦遂行のために情報と紙の統制を目的に、情報局が「一県一紙主義」を公表する。一つの県で一つの新聞に統廃合を進めることを求められた結果、日中戦争勃発時に創刊されていた1200紙余りが終戦時には57紙にまで収斂している。戦後、新たに多数の新聞が創刊されたが、しばらくすると、1942年体制へと戻っている。新規参入者が宅配制度の販売網を変更するのは難しい。

 戦後、各新聞社は宅配制度によって飛躍的に販売部数を伸ばしている。核家族化が進行し、宅配制度はこれに非常に適合的である。戸別販売なので、部数は世帯数に依存する。5人家族1世帯なら1部だが、3人家族と2人家族の2世帯なら2部売れる。世帯数が増加する限り、宅配制度は売り上げを伸ばせる見込みがある。新聞は「三種の神器」に代表される戦後の耐久消費財と同じ販売傾向をした商品である。

 また、大都市圏への人口集中が全国紙の販売部数増進につながっている。「全国紙」は販売網こそ確かに全国だが、主な購買者層は大都市圏の住民である。地方で暮らすなら、地方紙やブロック紙のもたらす地域密着の情報が欠かせない。そこでは全国紙は単読よりも併読される場合が多い。そのため、全国紙の紙面構成や記事内容は大都市の住民を読者に想定してなされている。しかも、全国紙は東京・名古屋・大阪・福岡などに本社を構え、それぞれ独自の編集方針で新聞を発行している。全国一律ではない。大都市圏の人口過密は、全国紙には売り上げが伸ばせる環境である。地方への人口分散は、全国紙にとって、販売面からは忌々しき事態だ。

 このように一定の販売部数を確保できる宅配制度は新聞社の経営にとって大きなメリットがある。しかも、販売実績を根拠に広告を集められ、収益増につながる。けれども、これだけ人口動態に依存した販売方法を続けていては、その変化への対応が立ち遅れるのは目に見えている。販売部数の減少がネットの浸透のみならず、人口構成・分布の推移によっても進む。自分で自らの首を絞めていることにもなる。もっとも、そのおかげで、人口問題に対する新聞社としての取り組みでは高いモチベーションが期待できる。

 また、宅配制度は記事内容の質を向上させるものではない。速報性の強い他のメディアとの違いを出し、出来事や事件の全体像を語る新聞ならではの役割をおろそかにしている。各紙ともわかりやすく伝えようとする努力は続けているが、肝心のあらましからの記事作成には及んでいない。読者は正直だ。一般紙離れが進む一方で、小学生新聞の伸長として表われている。

 インターネットが社会インフラとして定着する中、ニュースの速報性はかつてないほど高まっている。反面、出来事や事件が断片化されて伝えられるため、全体像がつかみにくい事態が進行している。こうした状況に対し、新聞はニュースを総合的・有機的に報道できる能力があり、その需要は潜在的にまだまだ多いと推測される。しかし、それには宅配制度の呪縛から解き放たれることが必要である。
〈了〉
参照文献
青木萌、『新聞のひみつ』、学習研究社、2010年
柏倉康夫他、『日本のマスメディア』、放送大学教育振興会、2007年

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