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黒川検事長賭け麻雀事件(2020)

黒川検事長賭け麻雀事件
Saven Satow
May., 22, 2020

「検事総長にリーチ一転」
2020年5月21日付『西日本新聞』

 「職を賭して」彼が雀卓を囲んでいたかどうかはわからない。だが、少なくとも、その賭けによって職を辞することになったのは確かだ。2020年5月22日、安倍晋三内閣は、賭け麻雀疑惑が浮上した黒川弘務東京高検検事長の辞職を閣議において承認する。

 疑惑を報じたのは5月21日発売の『週刊文春』である。それによると、黒川検事長は、新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言下、5月1日と13日の2度賭け麻雀に興じている。場所はいずれも都内の産経新聞記者宅で、相手は産経記者2人と朝日新聞の元検察担当記者である。中でも13日は、検察官の定年延長を可能にする検察庁法改正案が衆院内閣委員会で審議されていた日だ。

 政府は、今年1月末、政権に近いとされる黒川検事長の定年を8月初旬まで延ばす閣議決定をしている。稲田伸夫検事総長の後釜に彼を据える腹づもりである。ところが、これは法令に規定がなく、また過去の政府見解とも矛盾する。そこで、政府は法解釈を恣意的に変更した上で、それを後付けするために定年延長を可能にする法案を提出する。しかし、ツイッターを始めネット上で世論の抗議が強まり、政府は今国会での成立を見送る。官邸はいつものように往生際が悪く、まだツモがあるとばかりに継続審議とする手続きを進めようと企み始めた矢先に、この賭け麻雀疑惑が発覚する。

 実は、賭け麻雀は過去に国会で議論されている。1993年3月24日、第126通常国会参議院予算委員会において、江本孟紀議員と後藤田正春法務大臣の間で「麻雀問答」が繰り広げ荒れている。そのやり取りは次の通りである。

○江本孟紀君
 最後ですけれども、今日は通産大臣、それから建設大臣にもお伺いしたいことがあったんですけれども、最後に法務大臣に一言お聞きしたいことがございます。
 賭けマージャンのことなんですけれども、いろんなところでいろんな賭けマージャンをしておりますけれども、誰がやったやらないということではなくて、世間一般にやられておりますので、だいたいどの範囲ならいいのかということを是非お聞きしたいと思います。
 われわれ野球界の出身者なんかは、かなりマージャン賭博事件とかいろんなことで永久追放処分になったり、2、3年前にそういう事件があって、そのまままだ永久追放になったりとか、スポーツ界なんかでは非常に厳しい処分をされておりますが、
 しかし世間一般では賭けないでただ積み木だけするということはあり得ないので、だいたいどの程度ならいいかなということをお聞きしておいた方がみなさんもやりやすいと思いますので、是非お願いしたいと思います。
○国務大臣(後藤田正晴君)
 江本さんはどれくらい賭けているんですか。
○江本孟紀君
 私は10年前からやめております。
○委員長(遠藤要君)
 一問一答は許しません。
○国務大臣(後藤田正晴君)
 まことにどこまでが賭博になり、どこまでならばバクチにならないのか、境目はなんだ、こういうご質問ですが、やさしいようで実際、ここでお答えするのは非常に難しいんです。
 だから、こういうところでのお答えだとすれば、刑法185条で、偶然の勝敗にお金や物を賭けてそれの取得を争う、これはバクチになるわけですね。
 ところが、そのただし書きに、娯楽の程度であればいい、こう書いてあるんです。
 それはどういうことかといえば、社交儀礼の範囲内であれば私は賭博にはならないのではないかなと、これ以上は答えられないんです。
 お許し願いたいと思います。
○江本孟紀君
 どうもありがとうございました。いまいちよく分からないんですけれども、まあなるべく捕まらないようにみんな気をつけたいと思います。
 そういうことで、今日は質問させていただきましてどうもありがとうございました。これで終わらせていただきます。

 この時、江本議員が賭け麻雀に就いて政府に見解を問いただしたことには背景がある。当時、金丸信前自民党副総裁が脱税容疑で逮捕、賭け麻雀をしてわざと負けてそれを賄賂として議員に配っていたとされる疑惑が浮上する。また、江本議員がかつて身を置いていたプロ野球界では、数年前、東尾修や土井正博が麻雀賭博により西武ライオンズからの退団に追いこまれている。江本議員にすれば、私人であるプロ野球関係者がその職から追われたのに、公人である政治家が賭け麻雀をしても不問とされるのは納得がいかず、それなら基準を示して欲しいという思いがあったことだろう。

 問答自体は曖昧に決着したが、賭け麻雀をめぐる議論はこれで終わらない。答弁から5日後の3月29日の法務委員会でも再び取り上げられる。「社交儀礼」はどれくらいのレート・金額なのかで論戦が繰り広げられたものの、明確な喜寿が示されることなく終わっている。

 ただ、マンガ家の蛭子能収が雀荘で卓を囲んでいた1998年11月20日、単純賭博罪容疑で現行犯逮捕されている。彼は1,000点200円のレートで9,000円の勝ちだったとされているので、当局はこれを「社交儀礼」の範囲と見ていないことは明らかである。

 朝日新聞社の内部調査によると、4人は月に2、3回卓を囲み、1回の勝ち負けは数千円から2万円である。当初報道されていた黒川検事長の負けが1晩10万円は常連の麻雀にしてはあまりにレートが高すぎる。朝日の調査結果の方が妥当だろう。

 黒川検事長の定年延長をめぐる問題は司法の独立を損ねると社会的に理解されている。司法権の独立をめぐる法曹関係者が賭博疑惑で職を辞したことは過去にもある。ただし、今回とは逆に司法の独立を守ったとされる判事が辞職に至っている。

 大津事件の際に、司法権の独立を守ったことで知られる児島惟謙(これかた)は、1892年6月、向島の待合で花札賭博に興じていたとして、彼を含む大審院判事6名が告発され検事総長松岡康毅から懲戒裁判にかけられている。翌7月、証拠不十分により免訴になったが、児島は、1894年4月、審院を辞職する。これは「司法官弄花事件」と呼ばれている。

 黒川検事長は辞職の理由として賭け麻雀よりも緊急事態宣言下での自身の軽率な行動を挙げている。大阪地検特捜部の証拠改竄事件を受けて最高検は、2011年、再生のために、『検察の理念』を制定、そこに次のような件がある。「権限の行使に際し、いかなる誘因や圧力にも左右されないよう、どのような時にも、厳正公平、不偏不党を旨とすべきである。また、自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくこともおそれない胆力が必要である」。

 ステイホームは政府からの要請であり、自主的判断として従わないとするなら、それは単なる反抗である。外出の自粛は新型コロナウイルスの特徴に基づいた政府からの要請である。COVID-19は多くが発症しても軽症であるが、無症状感染を引き起こす。しかも、重症化した場合、治療薬がないため、人工呼吸器を長期使用したり、死亡に至ったりする危険性が高い。こうした理由により感染自体を抑制する必要があり、政府は人の接触を減らす外出自粛を要請している。事態の深刻さを理解するなら、その要請の趣旨を認知して自主的に行動するべきだ。恣意的な解釈は検察官としてあるまじき態度である。恣意的な内閣と恣意的な検事長という組み合わせは「類は友を呼ぶ」としか言いようがない。
〈了〉
参照文献
楠精一郎、『児島惟謙』、中公新書、1997年
津田岳宏、『賭けマージャンはいくらから捕まるのか?』、遊タイム出版、2010年
「週刊文春」編集部、「黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”『接待賭けマージャン』」、『週刊文春』、2020年5月28日号
 


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