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20世紀芸術の抽象性・古典性・運動性(2016)

20世紀芸術の抽象性・古典性・運動性
Saven Satow
Jan. 21, 2016

「倫理的にしてはじめて芸術的なり。真に芸術的なるものは必ず倫理的なり」。
夏目漱石

 20世紀、とりわけ後半以降の芸術には、いずれの分野であっても、三つの指向性が認められる。それは知情意、すなわち抽象性・古典性・運動性である。抽象主義・新古典主義・実験主義とも言えるだろう。

 抽象性は構築性・物語性の解体である。抽象性は一般的であるから、通常、個別性を通じて具体化して表現される。具体性が追及されると、現実感がもたらされる。この過程は構築や物語、流れを誘発する。それは特定の状況への依存が強くなり、一つの現象であっても、物自体ではない。抽象性のままで表現するにはつねに構築や物語を解体する必要がある。

 この抽象主義は前衛的、あるいはアングラである。具体例を出すまでもなかろう。大衆から支持されないことにアイデンティティを見出すエリート主義だ。主知主義であるから、前知識のない門外漢が初めて接して理解することは困難である。鑑賞者は精神的集中や心理的負担、専門的知識を強いられる。

 古典性は歴史の再構成である。その分野で形成されてきた正典的歴史を新たな方法論を使って構成し直す。構築性や物語性、流れがあるので、感情に訴え、素人でも理解しやすい。しかし、あくまでそのまま復活させてはいない以上、新古典主義である。

 これには再帰と拡張の二つの傾向がある。前者は過去に典拠しつつ、それを新しい修辞法で表現することである。ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』が好例だ。後者は伝統的修辞法を用いて他の分野に越境することである。T・S・エリオットの詩をミュージカルにした『キャッツ』が一例だ。

 ただし、いずれの場合でも妥当性のある理由を示せないと、その試みはたんなる感性依存に終わってしまう。それは表現者の主観性の優越性の誇示にすぎず、歴史性という本来の主旨と矛盾する。

 運動性指向は遊戯への意志である。芸術は創作や表現の過程で身体を用いる。舞台や演奏のようなその行為自身を表現とする分野だけではない。美術や文学といった通常は結果だけを披露する分野においても創作のための身体活動自体を表現として示す。実験主義的なジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングを思い起こせばよい。心身二元論に基づき、伝統的に、精神に対して劣位に置かれていた身体の復権でもある。伝統からの排除・逸脱のそれへの取りこみだ。

 身体を動かすことが快感をもたらす。それは遊戯にも通じ、ウィリアム・フォーサイスによるビデオの逆回しのバレーのように、その追求がこの傾向である。また、行為の結果ではなく、その過程が表現となるのだから、あえて身体を動かさないことも表現となる。ジョン・ケージの『4分33秒』がその代表だ。それは身体の置かれた環境の発見でもある。その際、環境との相互作用が顕在化する。身体主義はこうして環境主義と結びつく。

 19世紀の芸術はロマン主義に要約できる。それは主観性指向である。各分野には蓄積・形成されてきた共通基盤がある。この共有された理解はその分野の客観性としての役割を果たす。19世紀の表現者はこの共通基盤にアイロニーを用いて主観性を対峙する。作品世界を一つの中心によって秩序立てることはしない。音楽の半音多用や美術の複数の遠近法、文学の心理描写などのように、多焦点や脱中心を導入する。

 この方向性は芸術家集団自身にも反映される。主観性は個性であり、芸術家は他の誰でもない自分だけのものを創作する。個性が林立し、一つの中心がない。個々の芸術家は写実主義や象徴主義などと区分できるが、主観性表現の個性を示すための呼称である。総体とすれば漠然としていてまとまりがない。19世紀芸術はロマン主義と呼ぶほかない。

 20世紀の芸術はこのロマン主義=主観性指向に対する批判である。抽象主義は非中心化を押し進める。また、新古典主義は新たな客観性を対峙する。実験主義は表現行為自体に着目して、主観性の優位を覆す。この中で、ロマン主義の最も正統的な継承者は抽象主義である。大衆の支持では新古典主義だろう。意外性の提供は実験主義になる。

 知情意は伝統に対する姿勢とも理解できる。知は歴史的蓄積である伝統の流れをラディカルに推し進める。情は伝統を自らの方法論によって再構成する。意は伝統からの排除・逸脱を取りこむ。知情意は伝統の継承・再構成・相対化に当たる。

 ただ、19世紀芸術がロマン主義と総称でき、アマからプロまで広く受容されたのに対し、20世紀はセグメント化している。分裂していると言ってもよい。

 21世紀芸術は20世紀への批判から形成される。20世紀に顕著になったセグメント化はその領域の縮小を招く。それを打破するため、環境の認識が進み、21世紀は社会の中の芸術を自覚する。社会に向き合い、自らの役割や責任を果たそうとする。そこで問われるのが倫理性である。社会性と倫理性を抜きに21世紀の芸術はあり得ない。
〈了〉

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