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『ゲゲゲの女房』に見る現代の家族(2010)

『ゲゲゲの女房』に見る現代の家族
Saven Satow
Nov. 07, 2010

「妖怪も 航空母艦も オナラでも それも愛情 コミュニケーション」。
ゲゲゲ夫婦の極意

 2010年上半期のNHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が好評で、とうとう映画化にまで至っています。このテレビ・ドラマはマンガ家水木しげるの妻武良布枝の自伝『ゲゲゲの女房』(2008)の映像化で、主に、1961年から86年までの水木夫婦の軌跡を妻の視点から描かれています、

 朝の連ドラとしては近年稀に見る成功を収めましたが、その理由をすぐに思い浮かべることは難しいでしょう。高度経済成長期の日本社会を懐古的に美化しているわけでもありませんし、この夫婦にかつての男性稼ぎ手家族の姿を重ね合わせることもできません。この作品の世界は極めて特異なのです。

 そもそも、『ゲゲゲの女房』は朝の連ドラとしても異色です。

 連ドラは、文学ジャンルで言うと、主人公の成長を描く教養小説に当たります。明るく元気で、芯の強さを持ち、健気、いささか感情的な主人公が周囲から冷たくされたり、温かく見守られたりしつつ、社会的な矛盾・葛藤と格闘して成長していくのです。

 舞台としてよく選ばれるのは、飲食店や小売店、旅館、町工場などの自営業です。勤め人が多い日本社会を反映しているとは言えませんが、これには技術的な理由があります。こうした場所は人の出入りが多くありますから、それを利用して物語を展開できるからです。しばしばメインの舞台の他に郷里などのサブの場所が置かれているケースもありますが、これも同様の理由です。複数の場所の間で人の行き来を使えば、物語を容易に動かすことができるからです。

 サラリーマンやOLを主人公にすると、接客業を別とすれば、その人間関係は固定的で、この手法があまり使えません。そうなると、心理描写が中心となります。けれども、映像で眼に見えない心理を描くことは難しいのです。おまけに、連ドラは年配の方のながら視聴に耐えられるようにしないといけませんから、凝ったカメラ・ワークで心理を表現するなど集中して見ていなければわからない描き方はできません。心理描写の多くなる舞台設定は、ですから、連ドラにふさわしくないのです。

 ところが、『ゲゲゲの女房』の舞台設定は、マンガ家という専門職の家庭です。仕事場は自宅ですから、人の出入りは非常に少なく、通常の物語展開の技法が使えません。

 しかも、このマンガ家は水木しげるです。戦後登場したマンガ家の中でも特異な存在です。戦後のマンガ家像をつくったのはトキワ荘世代と言えます。終戦直後に触れた手塚マンガに憧れて将来を決め、家族の反対を押しきって上京し、周囲からのマンガ家への蔑みと戦いながら、友情と愛情に支えられて、大成していくといったところです。しかも、彼らの成長が戦後の日本経済とマンガ産業の発展と平行しています。マンガは、現在でも、売り上げ部数では出版産業を牽引していますが、彼らはその主要な貢献者です。

 水木しげるは手塚治虫の後にデビューしながらも、彼より年上です。子どもとして戦争を体験したトキワ荘世代と違い、お国のためと召集され、激戦地で左腕を失った傷痍軍人です。しかも、デビューしたものの、成功とはまったく縁遠く、経済成長やマンガ産業の発展からとり残されています。

 水木しげるが発見されるのは、60年代後半になってからです。それは、公害問題の深刻化を始め経済成長の矛盾が顕在化し、経済優先主義への疑問が問われた時期です。70年代に入ると、ドル・ショックと二度のオイル・ショックによって世界的な不況が到来し、先の見えない不安さのために、オカルト・ブームが起きます。これは巷だけの現象ではありません。科学史の領域でも、近代科学の成立に神秘主義の果たした役割を極端に強調する学説が席巻したほどです。無個性で、生気がない人間と個性的で、生き生きとした妖怪の織りなすいささか民俗学的な水木マンガを時代が求めたとも言えるでしょう。

 この水木しげるの家庭を連ドラの舞台とするのは非常に困難です。視聴者が共有できるものがほとんどないからです。

 そこで重要となるのが妻布枝です。三人称的ではなく、彼女の視点を強調する描き方が必要なのです。

 この作品は大きく二つの世界から構成されています。一つは一般社会、もう一つはゲゲゲの世界、すなわち水木しげるのテリトリーです。これは水木マンガの人間界と妖怪界という構造とルイジしています。この二つの世界を唯一行き来できるのが妻布枝です。実際には人の出入りが少なくても、彼女がその間を移動することで、物語が展開されます。

 布枝は、時として、二つの世界の仲介者であり、調停者です。その役割のために、一般社会も背負っていますから、従来のヒロインのように、社会的因習・常識などと戦い、変化の中で輝くタイプではあり得ません。言わば、水木しげるがシャーロック・ホームズだとすれば、彼女はワトソン博士です。

 個性的で、等身大ではない人物を扱う場合、それを主人公としないことは効果的な技法です。等身大の人物を主人公にして、そのワトソン役から見られた世界を描くと、作品に厚みが出るからです。

 以上のように考えてくると、『ゲゲゲの女房』の魅力がどこにあるかはっきりしてきます。それは、この作品の世界が過去ではなく、あまりにも同時代的だという点です。

 介護や育児は依然として家族の関係を基盤としながらも、なおかつ社会的サービスも必要としていますから、家族の機能は複雑化・高度化しています。グローバル化に伴う競争の激化にさらされた仕事をしつつ、託児所を探し、介護認定の申請を行い、食料品を始めとした生活必需品を購入、ローンの支払いに頭を抱えています。おまけに、定年退職後もアルツハイマー型認知症の親の介護をすることも珍しくありません。かつてないほど家族は処理機能を整備点検しなければならなくなっているのです。

 高度経済成長期にはここまで家族に調節機能が求められていません。けれども、布枝は違います。彼女は、コミカルに、二つの世界の調節を繰り返し続けています。現代の家族に近いのです。

 朝の連ドラが、近年、低迷しているのは、この家族の複雑化・高度化した調節機能を描いていないからでしょう。一方で、『ゲゲゲの女房』の成功は、制作者の現代の生活問題への無自覚さにもかかわらず、そうした姿を体現していたためです。少子高齢化が進み、老老介護が普通の時代にあって、教養小説のドラマを視聴者にはもう楽しめないのです。
〈了〉
参照文献
『あさイチ』、「ゲゲゲ夫婦に学ぶ~最後に笑おう 仲良し夫婦への道~」、『NHK』
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2010/05/19/01.html

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