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紙と饗宴 ─ポストモダンとニュー・アカデミズム(6)(2004)

6 〈白紙〉としてのアカデミズム
 ニュー・アカデミズムは、そのため、メディア・タレントとして振舞うことを要求されるが、これは歴史的な流れである。18世紀の知識人は、ヨーロッパにおいて、宮廷に属し、パトロンを持っていたけれども、19世紀に入ると、大学に籍を置くようになる。彼らは活字メディアを使い、行動している。ペーパー・アカデミズムは書籍を権威の場所にしていたが、次第に、雑誌へと変わる。雑誌、特にインパクト・ファクターの大きい英語の学術雑誌に論文を掲載することが専門家としての最重要の実績である。

 電波メディアが取って代わると、アカデミズム自体の重点がシンポジウム・アカデミズムへと変容する。これには学際的研究の本格化という背景がある。70年代に従来の学問体系が行きづまりを見せる。それを打破するために、研究者が専門を超えて横断的に協同するようになる。特定の領域に閉じこもるのではなく、他とも連携する開かれた学際的研究が進む。そうなると、多くの分野の専門家が同席するシンポジウムの重要性が増す。そのようなシンポジウムはメディアが用意・報道することも少なくない。そこで知識人はメディアと密接な関係を築く。20世紀後半では、知識人はメディア・タレントでなければならない。

 森毅は、『アカデミズムの行方』において、アカデミズムの今後について次のように述べている。

 専門が栄えるということは、同じ関心の同業者に対してメッセージしているだけで間にあうということでもある。そのことで業界が繁栄するようでも、その業界が閉じる傾向を持つ。そして文化というものの正確として、世界が閉じることは閉塞することであるのは、文化史をふりかえればわかる。現代のアカデミズム文化が例外である保証はない。
 現在のアカデミズム体制は、十九世紀半ばからというが、一世紀たった二十世紀の後半になって、閉じた世界で満できなくなったのではないか・この半世紀はぼくの生きた半世紀であったわけだが、そこではピア(同業者)・アカデミズムが支配していて、何か居心地が悪い気分がないでもなかった。戦後の半世紀に業界が量的に二桁増えることで、逆に繁栄が心配になったりする。

 ポストモダニズムがモダニズムの恩恵に預っているように、ニュー・アカデミズムは従来のアカデミズムの没落から生まれている。それは1960年代に決定的になる。全共闘の功績の一つは講座制を破壊したことである。その結果、ハードからソフトへと知をめぐる認識が変容し、ソフト化を志向するアカデミズムはジャーナリズムと接点を見つけられるようになる。「ハードな学力はシステム化されて制度となるが、ソフトな学力はネットワークだけ。いま生涯学習時代で、必要になるのはむしろソフトな学力だろう。少なくとも、ハードな学力とソフトな学力がバランスしたほうがよい。ハードな学力の要求で、ソフトな学力が衰弱しては困る。ただ、学校という制度では、こうしたものをシステムとしてハード化したがる。ソフトな学力は、勝手にやってもらうしかないのに。だから、自由化」(森毅『学校自由化論』)。

Give me a F! F!
Give me a U! U!
Give me a C! C!
Give me a K! K!

What’s that spell? Fuck!
What’s that spell? Fuck!
What’s that spell? Fuck!
What’s that spell? Fuck!
What’s that spell? Fuck!

(Country Joe McDonald “Woodstock”)

 森毅は、『過去は白紙』において、アカデミズムの変化について次のように述べている。

 このごろ、論文業績を積んでいくペーパーアカデミズムが、こわれつつある徴候もある。まず、ふつうだとアカデミズムが権威ある雑誌を出して、そこで権威あるレフェリーがいて、そこへのせたことがその人の業績になる。ところがそんなことしていたら三年も四年もかかって、アホくさい。それで間にあわんわけ。実際プレプリントという原稿のコピーが個人的なネットワークを通じて世界じゅうに出回る。それがさらにコンピューターネットワークにどんどん流れる。それからオーラルな部分でけっこう流れる。電話とか、それからシンポジウムなんかで人が行き来することによって。人間がオリジナルで、論文はハードコピー。ペーパーアカデミズムの世界に、シンポジウムアカデミズムが入りこんでいる。
 最近あったおもしろい話は、アメリカの若いやつで、数学基礎論の分野で賞をもらったんだけど、実は論文を出していないというのね。もう評判になって、あっちこっちのシンポジウムで引っぱりだこで、賞をもらっちゃったけど、まだ論文を書いていないという。

 これからのアカデミズムは、作品を著さなかったソクラテスが饗宴で哲学を語っていたように、シンポジウムの姿をとるようになるとすれば、それはニュー・アカデミズムが実践していたことである。ニュー・アカデミズムは、大学や国家と結びつく前のアカデミズム、サロン・アカデミズムを復権させる。アカデミーは内部と外部、中心と周辺の区別によって成立しているが、それを決定不能に追いこむ。境界は地平線になる。ニュー・アカデミズムはそのようにしてすべてをアカデミーの対象にし、固定されたアカデミズムを浪費する。

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