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ゲゲゲの夫婦(2015)

ゲゲゲの夫婦
Savrn Satow
Dec. 07, 2015

「そして『女房』である布枝さんにお会いできたのは私の財産です。お二人の醸し出す雰囲気が大好きでした。憧れでした」。
向井理

 戦後のマンガ家の大半は80歳を迎える前に亡くなっています。若くしてデビューし、不規則な生活、運動不足、偏った食事を続けては長生きする方が難しいでしょう。

 そんな中、水木しげるが93歳の長寿だったのは驚くべきことです。「マンガの妖怪」は酒を飲みませんが、甘いもの好きの大食漢です。糖尿病が怖いところです。

 水木しげるは、幼い頃から運動が得意で、散歩や自転車が好き、移動や気分転換のためによくしています。また。軍隊経験がありますから、料理や裁縫をはじめ身の回りのことは自分でする習慣があります。運動や栄養に関して他のマンガ家と比べて実践できている方でしょう。

 戦前は亭主関白が当たり前だったので、男性は家事を一切しなかったという認識は先入観です。軍隊は男所帯ですから、炊事洗濯裁縫なども自分たちでしなければなりません。戦場で不具合があっても、命を落とすのは自分です。他人のせいにできません。自分のことは自分でする習慣を身につけなければなりません。

 入隊経験がある男性は家事を自分でこなすことに抵抗がありません。軍隊経験のある本多緒四郎監督は、黒澤和子の『黒澤明の食卓』によれば、御殿場のクロサワ別荘に来ると、身の回りのことはもちろん、ベッドメーキングから洗濯、食事に至るまで自分でしています。本多監督は、何事につけてもきっちりしており、まさに部隊の「班長」です。

 ただ、長生きした主要な理由はやはり妻武良布枝の努力や工夫が大きいと言わねばなりません。電気を止められるほどの極貧生活の中、乏しい家計をやりくりして健康を考慮したメニューを提供しています。その最も有名な料理がキャベツのギョーザです。少しのひき肉にたっぷりのキャベツで丸々と太ったギョーザは水木プロの名物メニューです。

 1961年、二人は結婚します。この年で夫水木しげる39歳、妻武良布枝29歳です。見合いから式までわずか5日のスピード結婚です。家父長制の戦前は当人などお構いなしに縁談が進められます。しかし、戦後は、見合い結婚と言っても、二人の同意を必要とします。応じたものの、お互いのことをよくわからないまま、東京の調布で新婚生活を始めています。

 新婦は東京が初めてどころか、地元の鳥取県安来からほとんど出たことさえありません。また、自営業の家の手伝い以外の仕事をしたこともありません。そもそも、貸本マンガ家という夫の職業が何かも知らないまま、結婚しているのです。

 彼女は家事手伝いから専業主婦で、今に至るまで勤めたことはありません。結婚後、働きに出ようと思ったことはありましたが、妊娠など諸般の事情により断念しています。ただ、タケノコ生活ですので、家事に専念せざるを得なかったとも解せます。

 内風呂はあるものの、ローンが残っている中古住宅、はっきり言えばボロ家です。貯金もなく、収入も乏しいので、それを家事で補う必要に迫られます。掃除洗濯は手作業、服は自作となり、安い食材に手間をかけて栄養と味を引き出すことになります。冷蔵庫がありませんから、日用品の買い物も毎日になりますし、給湯システムもないので、風呂の用意にも面倒です。おそらく家事に費やす時間は半日近いでしょう。

 さらに、彼女は、ブレークしてアシスタント制を採用するまで、大戸のアシスタントをしています。彼女は消しゴムかけやベタ塗のみならず、家具などの小道具のデザインを始めペン入れも行っています。美術の専門教育を受けたことなどないずぶの素人です。仕事の内容に関しては一切口出しを許さなかった水木しげるですが、妻のアシスタントとしての能力は高く評価しています。

 これまでマンガ家の妻の自伝がいくつか刊行されています。中でも、手塚治虫の妻の手塚悦子による『手塚治虫の知られざる天才人生』がよく知られています。

 手塚悦子は、実は、武良布枝と同じく、1932年に生まれています。彼女は1959年に同い年のマンガの神様と結婚しています。ただし、手塚治虫は、生前、サバを読んでいます。旧制北野中学の先輩だった森毅は自分より年上と思い、この後輩相手に敬語で話しています。

 専門学校で要塞やデザインを学んだ経歴を持つ彼女も、新婚後に時々、消しゴムかけやベタ塗り、色塗りなどのアシスタントをしています。もっとも、色塗りは『らぴちゃん』の一回だけです。ただ、妻がアシスタントをしたことのあるマンガ家はは水木しげるだけではありません。

 現在のアシスタント制度が確立する前、こうした作業は担当の編集者が手伝っています。もちろん、それは雑誌のマンガ家の話です。実は、アシスタントに関して、手塚治虫と水木しげるには共通点があります。どちらも有望な新人を見つけると、手伝いを依頼する点です。

 手塚治虫で最も有名なケースは石ノ森章太郎でしょう。宮城県に住む小野寺章太郎という少年に手塚治虫は『鉄腕アトム』の「電光人間」の手伝いを頼みます。背景を軽く描いてくれるだけでいいと考えていましたが、仕上がった原稿が送られてきます。その陰影のつけ方の美しさに手塚治虫は舌を巻いたほどです。彼は。「マンガの神様」に比して、「マンガの王様」と後に呼ばれることになります。

 水木しげるも無名のつげ義春や池上遼一などをアシスタントに採用しています。しかも、彼らを売りこんだり、指導したりしています。面倒見がいいのです。手塚治虫が自らの後継者を選ぶのに対して、水木しげるの選択はマンガ史上の系譜とさほど関係が強くありません。

 手塚治虫は原稿を描き出す時、妻にストーリーを語り、意見を尋ねています。また、原稿が完成すると、妻に見せて感想を聞くこともしばしばです。手塚治虫にとって妻は最も信頼できる第一の読者です。しかし、ペン入れを頼んだことはありません。

 マンガは線とコマによって構成されています。線こそがマンガ家の個性であり、それを生み出すのがペンです。手塚治虫はハンドライティングで丸を描けることが自身のマンガの基本線だと言っています。確かに、若い頃の手塚治虫の線は比類ない柔らかさを持っています。曲線は個人差が出ます。今のマンガ家の線は硬く。失望させられます。

 水木しげるは左腕がありませんから、左肩で原稿を押えて、右手で執筆します。この姿勢は先の摩擦抵抗を利用するペンはともかく、上下動の筆を使う際に苦労します。水木しげるが細密画と言えるほどペンを多用する理由です。この個性を持つ水木しげるが部分的にでもペン入れを妻に任せたというのは、よほど信頼していたのでしょう。

 手塚治虫と違い、水木しげるは妻に作品に関する意見や感想を尋ねません。ただ、共同作業で完成した貸本マンガの『墓場鬼太郎』が製本されると、水木しげるはその1冊を真っ先に妻に献呈しています。読者と言うより、パートナ-です。水木夫妻は売れるようになるまで共にペンを走らせていきます。最も苦しい時期を共に暮らすだけでなく、描き、乗り切っています。こんなマンガ家の夫婦はいません。

 『ゲゲゲの女房』が公表されるまで、交流がある人たちはともかく、水木しげるへの妻の貢献について考えることは少ないでしょう。あれだけ個性の強いマンガ家ですから、家庭でもマイペースを貫き、家庭のことに関心もなく妻に任せきりで、好き勝手に生きているという先入観さえあったかもしれません。確かに、マンガ界には作品を地でやってしまうような赤塚不二夫もいます。こうしたタイプというわけです。

 けれども、実際には、その存在抜きに水木しげるはありえないほどの貢献を妻はしています。今、最も喪失感を覚えているのは武良布枝でしょう。「ゲゲゲの女房」とは「しげるの女房」という意味です。水木しげるというマンガ家は妻と二人で初めて存在すると言えます。「ゲゲゲの夫婦」がおそらく実態なのです。

2015.12.01水木しげるの家族から皆様へ

「お父ちゃんが亡くなる」
信じられないことでした。
「100歳まではいくようだネ、いや120歳かな」と水木はいつも話していました。
これからも淡々と歳を重ねていつの間にか100歳を迎える、今後もずっと同じような日々が続いていく、と思っていました。

昨年暮れに心筋梗塞で倒れ2か月入院して、今年2月には車いすでの退院でした。
すっかり体力が落ちたのですが、その後持ち前の強さを発揮して少しずつ歩けるようになりました。
家から会社までの1kmの道のりを歩けるまでに回復。
食欲も戻って「何かうまいものはないの?」が口癖でした。

「最期は神様が決めることに従ったらええ」と言っていた水木。
苦しまず自然に最期を迎えられたことは良かったと思います。
家族に囲まれて穏やかに逝きました。
自宅で転倒したことがきっかけになったのはとても残念でしたが
これも神様が決めたことだったのかも知れません。

家族を一番大切に思ってくれたお父ちゃん。これからもきっと見守っていてくれると思います。
今は、亡き戦友との再会を喜んでいるかもしれないですね。

最後になりましたが、ファンの皆様、関係者の皆様、
長い間、水木を応援していただきまして、ありがとうございました。

〈了〉
参照文献
黒澤和子、『黒澤明の食卓』、小学館文庫、2001年
手塚悦子、『手塚治虫の知られざる天才人生』、講談社+α文庫、1999年
武良布枝、『ゲゲゲの女房』、実業之日本社文庫、2011年
「水木しげるの家族から皆様へ」、『水木プロダクション公式サイトげげげ通信』、2015年12月01日
http://www.mizukipro.com/2015/12/post-1342.html


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