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PLAYBOYのアイデンティティ(2015)

PLAYBOYのアイデンティティ
Saven Satow
Oct. 29, 2015

「昔のおとなの猥談で、色町育ちの人だと、それがワイセツでない」。
森毅『セックスの童話』

 PLAYBOYがフル・ヌードの掲載を2016年3月からやめると発表しています。すでにサイトでは脱ヌードが完了していますので、本誌の方でもその路線をとることにしています。

 もっとも、ヌード・グラビアを売り物にするスキン・マガジンの全盛期は70年代で、80年代には低落傾向を示しています。PLAYBOYも70年代には500万部の発行部数でしたが、80年代半ばまでに100万部も減らしています。それに伴い、創業者のヒュー・ヘフナーも出版以外のビジネスに力を入れています。

 また、ヌードド・グラビアよりもインタビュー記事の方が後々まで語られています。ジミー・カーターの記事は大統領選挙を左右したとされています。音楽活動を再開したばかりのジョン・レノンへのインタビューは、衝撃的な狙撃事件直後に公表され、最後のメッセージと社会に受けとめられています。

 今回の決定はPLAYBOYがアイデンティティの新たな定義を迫られている現われと考えるべきでしょう。プレイメイトは一般のミスコンのミスではありません。同誌の理念を体現する女性です。PLAYBOYの同時代における位置づけがあやふやになってしまえば、彼女たちの存在意義も失われてしまいます。現代社会においてフル・ヌードのプレイメイトは何を意味しているのかという問いは同誌のアイデンティティから答えが用意されるのです。ネットにきわどい画像・動画が氾濫している中で今さらフル・ヌードなんて時代遅れだからという素朴な理由ではありません。

 1926年4月9日にシカゴで生まれたヒュー・ヘフナーは道徳的に厳格な家庭に育っています。父は謹厳実直な会計係、母は着替えの時に自室の鍵をかけるような女性です。酒もタバコも厳禁、他人の悪口を言うことも許されません。

 そんな家庭に育ったヘフナーは知能指数152の天才児として知られています。高校を抜群の成績で卒業、第二次世界大戦勃発に伴い徴兵され、陸軍に入隊しています。除隊後、イリノイ大学において2年半で心理学の学位を取得、1949年にはノースウェスタン大学に入学しています。

 もっとも、彼は高校生の頃『女性のピンナップ・イラストで自室の壁を埋め尽くしています。1949年6月に高校の同級生ミルドレッド・ウィリアムズと結婚しています。なお、新郎は童貞、新婦は彼の兵役中に経験済みです。

 その後、『エスクァイア』などでライターを経て、1953年9月、45人の投資家から8,000ドルを集めて『PLAYBOY』を発刊します。その際、彼の手持ち資金は600ドルのうちの500ドルを投じてある写真を手に入れます。写っていたのはマリリン・モンローです。創刊号は表紙と中綴じのグラビア写真に彼女を起用します。同号は数週間で2万5,000部売れています。

 ヘフナーがPLAYBOY創刊に影響を受けたのは、1953年に公表された2度目の「キンゼイ報告(Kinsey Reports)」です。『人間における女性の性行為(Sexual Behavior in the Human Female)』は既婚女性の26%が不倫をしていたと明らかにします。ヘフナーは抑圧から性の解放を一般の女性たちも求めているとこれを理解します。

 50年代のアメリカはジョン・K・ガルブレイスの言う「豊かな社会」です。耐久消費財の物質的豊かさを誇る大衆消費社会を迎えています。この消費社会は市場経済の爛漫を意味します。計画経済には労働意欲を引き出せないことと並んで、資源配分の非効率性という欠陥があります。国家は生産・流通を計画によって管理できます。けれども、消費は主観的効用を満足させる選択行動ですから、国家管理は難しいのです。欲しいものがなく、要らないものがあるちぐはぐな状態になってしまいます。旺盛な消費が経済活動を活発化する消費社会は市場経済という花の満開なのです。

 豊かな社会はアメリカ資本主義の成功だけでなく、画一化の時代でもあります。似たような住宅に似たような家族構成、似たような自動車、似たような家財道具の生活様式が全米を覆います。また、東西冷戦の始まりもあり、共産主義への脅威が扇動され、マッカーシズムの嵐が吹き荒れています。曖昧な情報や虚偽に基づいて多くの人々が「共産主義者」と抑圧されます。

 反面、そうした空気に抵抗する反逆児も登場しています。ビート世代は消費社会に背を向け、エルヴィス・プレスリーは既成の規範を挑発します。ヘフナーもこの反逆児の一人です。

 女性は妻や母など役割を演じて生きています。暮らしていくためには仕方がありませんけれども、その仮面が自然としての人間を抑圧しているのです。性は人間の自然なのに、それを隠蔽することが文化であるとは言えません。猥褻は自然と役割の距離が遠くなるほど生じます。露骨な、あるいは品のない猥談は性の抑圧のシニカルなもしくは屈折した現われです。性の解放は文化とは何かの再検討なのです。

 PLAYBOYは性の解放を実践していく雑誌です。同誌が毎号選ぶプレイメイトは性の解放を訴える隣にいる普通の女の子です。彼女たちがヌードであることに社会的・時代的理由があるのです。

 映画の中でプレイメイトが最も効果的に使われているのは『地獄の黙示録』でしょう。これは60年代後半のベトナム戦争を舞台にした70年代後半の映画です。ディレクターズ・カット版には二度登場シーンがあり、どちらも抑圧からの解放感として描かれています。

 雑誌は順調に部数を伸ばしていきます。PLAYBOYのシンボル・マークは、言わずと知れた、ウサギです。ウサギは繁殖力が旺盛なので、性の解放と富を生み増やすことを象徴しています。ウサギのコスチュームに網タイツのバニー・ガールはこの具象化です。さらに、ヘフナーは、雑誌のスローガンである”Entertainment for Men”の体感の場として、バニー・ガールが接客する高級ナイトクラブ「プレイボーイ・クラブ」を各地に展開します。

 けれども、ヘフナーのイノベーションはすぐさま追随者を生み出します。その代表はボブ・グッチョーネが創刊した『PENTHOUSE』でしょう。また、『週プレ』も便乗です。交渉の結果、「プレイボーイ」を名乗れていますが、ロゴもシンボル・マークも使っていないように、PLAYBOYと無関係です。

 革新的なアイデアの成功に刺激されて、それを模倣しようとするフリー・ライダーが現われます。真似ですから、開発するためのコストはほとんどかかりません。考案者の独占状態は長く続かず、追随者との競争を強いられます。

 また、革新的アイデアは刺激的ですから、当初は人々の注目を浴びます。けれども、次第に慣れ、飽きられて、人々の関心を呼べなくなります。

 しかも、参加者が増えすぎると、市場が飽和状態に達します。その際、業界は刺激の競争とかします。しかし、過ぎたるは及ばざるが如しです。消費者に慣れと飽きを生じ、その分野自体が衰退していくのです。これは日本のゆるキャラ・ブームにも見られる現象でしょう。

 ちなみに、ヘフナーの最大の発明はバニー・ガールでしょう。これはPLAYBOYを離れて社会に定着しています。セクシーな女性の理念系として日本でも風俗産業から深夜やサブカルチャーなどで利用されています。

 性の解放は露出競争に矮小化されてしまいます。それは商業主義であって、自然としての人間の回復ではありません。商業主義が男女の権力関係を温存しているのですから、フェミニストにすれば、男性中心主義であり、批判の対象です。

 性情報の流通量の増大は性の解放を必ずしも意味しません。性の解放はそれが自尊心ではなく、自尊感情から認知されることです。自尊心は他者と比較して優越感を味わいたい心情です。一方、自尊感情はあるがままの自分を認める心情です。性を自分とパートナーの関係ではなく、パートナーが周囲にどう見えるのかなど周囲に誇示したくてパートナーを選ぶのは自尊心の現われです。それに対し、性行為の後でかけがえのないパートナーと混じるのなら、それは自尊感情です。自尊感情から捉えられてこそ世が解放されたと言えるのです・。

 スキン・マガジンの70年代の過当競争と80年代の低落はこうした過程をたどっています。ヘフナーはこの事態を多角化で乗り切ろうとしたわけです。その際、彼はPLAYBOYを再定義しています。”PLAYBOY Means Business”とビジネスマンのための洗練された雑誌へと方針転換しています。その際、社長も娘のクリスに交代します。新路線に基づき、彼女はオーディオやファッションの別冊を出したり、ビデオやCATVに進出したりします。

 ただ、そうなると、プレイメイトの意味合いも変わらざるを得ません。彼女たちはもはや性の解放を担っていません。ビジネスにも関心があり、卑猥ではなく、洗練された性的話題を話せる女性ということになります。フル・ヌードの意義は薄れているのです。

 イメージ・チェンジと言っても、性に関する記事は掲載しています。90年代のレズビアンへのアンケート調査の記事では、「この人がレズビアンだったらよかったのに」の項目のトップにヨーコ・オノが選ばれるという興味深い結果が公表されています。

 今回の脱フル・ヌードは、PLAYBOYにすれば、80年代からの規定路線です。編集方針も大きく変わることはないと見られます。しかし、アメリカに初の女性大統領が誕生するかもしれない時代に、創刊以来の看板コーナーを取りやめる決断には感慨深さがあります。時代と共に進化する雑誌と自らを定義しているように見受けられます。

 伝統は、懐が深いので新奇さも取りこめますから、変化に強いものです。そうした過程を通じて洗練さや品格が身についています。長寿雑誌ですから、PLAYBOYには伝統があります。品よく、洗練された口調で性を語り得る雑誌という独自性は依然としてあります。PLAYBOYのアイデンティティはそんなところにあるのです。
〈了〉
参照文献
常盤新平他編、『アメリカ情報コレクション』、講談社現代新書、1984年
森毅、『あたまをオシャレに』、ちくま文庫、1994年

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